第四章 トドかないサケビ3
「テッド――すまん。『乱れろ』」
刃が弾ける。弾けた氷が頬を掠めた。
「え、あ……ア……」
テッドの指先が凍っている。まつ毛や髪に霜が降りる。もちろん、俺のも。
「くっそ、さみぃ……」
がくがく震える。テッドに仕掛けておいた、俺の理。
テッドの力を安定させるために使ったそれを、乱暴にほどいた。急に支えを失ったテッドの稚拙な理はあっさり崩れた。
生存に厳しいほどの寒さ。
スピーカーも凍り付いたのか、なんの音も発さなくなっている。
「エンドを待つ時間も惜しいな……これは」
本当にやりたくなかったんだ。こんなことは。
でも。
「行こう、テッド」
俺は手を伸ばして、彼の肩に触れた。ふっと憑き物が落ちたように震えが止まった彼は、驚いたように俺を見た。
「あた、たかい」
「簡単な結界を作っただけだ。そう長くはもたない。早く」
俺より大きいテッドを無理やり引きずる。ざっと見たところ、出口はなかった。
壊すしかないかと――赤い包帯を腕に巻き付ける。
「《想片》? でも、全部……」
「そうだ。俺の想片どっかに持っていきやがって。仕方ないから、また自前のを使う羽目になった」
「自前って」
「この場に《寒さ》は必要ないだろ」
《寒さ》を感じる想い。俺のそれを、想片に変換した。
二度とエンドにはするなと言われていた手だ。
「怒られるだろうなぁ……」
いや、憐れまれるかもしれない。でも、今回は全部取っていない。あの時と比べて調節が上手くできるようになっていて、せいぜい一週間寒さを感じない程度に削っただけだ。
だからこそ、量もそれほど多くない。
「ほら、早く。自分の足で立て」
「でも、僕は修行をしなきゃ……」
テッドは俺の手を振りほどいた。あんなに寒さを怖がっていたのに。
「僕が悪いんだ。僕が望んだから……僕が『雪を見たい』って思ったから……。だから、死んで、あれ、誰が、死んで……ごめんなさい。ごめんなさい」
涙は出ない。
瞳からあふれる前に、それは凍る。
「僕がいい子になれば、神様は許してくれるかな。お父さんは、帰ってくるかな」
縋るような言葉は、無情にも否定される。
一発の弾丸の音で。
「テッド!!」
銃弾に倒れた彼に、俺は駆け寄る。
「テッド!」
腹部から血が零れる。呼びかけても反応はない。慌てて治癒の術をつかい傷を応急的に塞ぎ、気づいた。
暖かい。
テッドが気を失ったことによって、急速に気温が正常に戻ったのだ。
「おぞましい。これだから否理師は……」
壁だと思っていた一部の場所は隠し扉だったようで、そこから入ってきた黒服が銃口を向けていた。
「まだ完全に穢れ切っていないからと、見逃したのが間違いでした。あの時、師もろとも殺しておくべきだった」
「お前……」
気が付くと、その背後にも多くの『人』がいた。
皆、さまざまな正装をしている。
スーツのものもいれば、タキシード、ドレス、和服。それらはすべて黒い色をしていた。
恐ろしい。恐ろしい。
消えたくない。
終わりたくない。
完璧な世界を。
完全な世界を。
神よ。清き創造主よ。
ぶつぶつと一人一人によって紡がれる言葉が重なって、レクイエムのように重く詠われる。
「死んでください。神のために」
黒服が再び引き金に指をかける。
反射的に結界を張ろうとするが、足りない。治癒に使ったせいで。
「在須っ!」
爆音とともにエンドの声が聞こえた。どうやら、壁を壊して突破してきたようだ。
エンドが黒服を蹴り上げ、銃を奪った。その後ろにいる『人』達が一斉に攻撃を開始したが、それを彼女は結界を張って、弾がこちらに来ないようにいなしながら応戦する。
――助かった。
張りつめていた気を一瞬緩めてしまった、その瞬間だった。
「深漸くんっ!」
銃声が鳴り響いて、俺の視界を赤が覆う。
また、赤が見えた。
もう見たくないと思っていたのに。
「唄華……?」
どさりと俺をかばって倒れた彼女の胸のあたりは赤い。
それらは広がって流れて、あふれて、俺のところまで、届く。
彼女の血の暖かさが届く。
「唄華えええええええええええええええええええええええええええ!!」
俺の絶叫で気づいたエンドが、唄華を撃った――俺を背後から狙っていた整理機構の一人――に向かって小刀を投げつけて無力化させる。
頭の端で自分の外で起こっている光景が絵のように流れて、でも処理できない。
何が起こっているかわからない。
なぜ彼女がここにいるのか。
エンドと一緒に来たのか? いつもは、ずっと俺の帰りを信じて待ってくれていたのに。
いつも。
ずっと。
そんな言葉はもう続かない。
だって、俺にはわかってしまうから。
唄華が死んだ。
彼女の中にはもう《想い》がない。