第三章 ケイカイすべきデアイ4
「んで、公園で何するって」
「深漸くーん! 見て~! ふはっはははははー」
俺が何か言う前にジャングルジムの頂上に立っていた。不遜に天下を取ったかのように腕を組んで見下ろしてくる。
「とうっ」
「うわっ! お前バカかっ!」
馬鹿でも飛び降りるか、そんなところから!
宙でくるりと回り、俺の横でぼすっと雪の上に着地する。開いた口がふさがらない俺に、唄華は不満げに言う。
「なんで受け止めてくれないのですかー」
「だっ、大丈夫……なんですか?」
あきれて首を振る俺と違い、テッドはおろおろと戸惑っている。
「大丈夫だよー。テッドくんもやってみる?」
「え……」
「がちでドン引かせるな。テッドもこんなやつ構う必要ないからな」
落ち着かせようと思い言ったが、テッドは終始不安げな顔だ。出会ってほんのわずかな時間じゃあ、唄華に対応できるはずもないか。
「唄華、さっさと次に行くぞ」
「えー、嫌。まだ遊びたーい」
そういって唇を尖らせると、唄華は次の遊具――滑り台へと駆けっていく。慌てて追いかけようとするテッドを、俺は止めた。
「もう、好きにやらせとく。俺たちもさんざん歩き回って疲れたし、ちょうどいいから休もう」
ベンチを指さすと、テッドはうなずいた。
熊のような巨体に似合わず、その動作は見ててイラつく程に卑屈だ。
でもこいつの境遇が、もしも俺たちが想像していた通りのものなら……。この怒りが向かう矛先はまた別のところだ。
三人掛けのベンチが俺とテッドでぎりぎりである。テッドにまとわりつく『空気』は近づきたくない類のもので、自然と感覚を取りたくなるのだがぐっとこらえる。
「テッドはどこの国出身なんだ?」
ブランコに移動した唄華が鎖が千切れそうな勢いで漕いでいるのが視界の端に見えつつ、俺は尋ねた。
「えっと……アフリカです。南のほうの」
「あぁ、そうなんだ。じゃあ、雪を見るのって初めてなのか?」
「いえ……」
首を緩く振って、テッドは口を閉ざした。質問攻めしてもと思い、向こうからのアクションを待つが、唄華が鉄棒で綱渡り(?)をやり始めてもテッドからのなにかはない。
気まずい……。
頭を抱えたくなるが、そうしたらテッドにこっちの不安が伝わってしまわないかと変な心配をしてしまう。というか、なんで俺はこんなに気遣わなくちゃいけないんだ。
もともと俺だって、社交性バリバリという人間ではない。唄華みたいに、誰に対してもオープンで屈託なく、初対面であろうとも数十年来の友といった感じで話せるようなタイプではない。
自分からまったく話そうとしない人間と、どうやって会話をすればいいんだ。
沈黙が気まずい。
俺の周りには妙にしゃべりが多いやつばっかりだったせいか、こういう時にどういう対処をすればいいかわからない。
「あ、そういえば仕事ってどういうことしてんだ?」
「……仕事内容は重要機密なので」
「あぁ、そうな……のか」
会話が続かない……。
これは俺の質問のチョイスが悪いのか。コミュニケーションをとろうという試みに加え、あわよくばこいつの情報をなにか引き出せないかと、二兎追って一兎得ずみたいなことをしているからか。
あぁ、唄華帰ってきてくれ。
と、俺は柄にもなく彼女を頼りたい気持ちになって目を向けると。
雪で雪像を作っていた。その人物は……。
「なぁ、あれさ。誰に見える」
「すごいですね」
「いや、誰に見える?」
感嘆の声を出すテッドに、俺は畳みかけるように聞くが答えはない。本人よりも美化1000%された精巧な雪像をぶん殴って壊したくなるが……この空気とテッドから目を離すわけにはいかないという現状から椅子に縛り付けられる。
忌々しい雪像だが、ある意味では唄華が会話のきっかけになる物を作ってくれたというのに。
これでも会話が続かないって。酸素が、酸素がなくなりそう。気分は酸欠寸前である。口をパクパクさせている自分に気づく。金魚かと、自分で内心つっこむ。というより、もう自分と会話している状態だった。
ぐるぐる目が回りそうなほど思考のみが進み、ついに俺は血迷った。
「俺、さ。つい最近までこの公園に全然来てなかったんだ」
どうしようもなくなって、つまらないことをしゃべりだす。
「思い出したくないことがあってさ。それに向き合うまでに本当に時間がかかったよ」
脈絡もない自分語。
苦肉の策といえるほどの策でもなかった。
ただ、堪えきれなくなっただけ。
「それでも来るたびになんか辛いような複雑な気がしていたんだけど……、最近それも薄まってきてさ。あはは、時間は薄情だよな。嫌なもの、良いもの関係なく忘れさせてくるんだから」
ちらりと、テッドの顔をうかがう。彼の顔はただまっすぐ前を向いていて、こっちの話を聞いてる様子はない。
恥ずかしい!
俺は、こんなにコミュ力なかったか?
体の寒さを忘れるほどの熱が一気に顔全体に広がる。
「忘れられるものですか……」
突然、テッドが口を開いた。こっちを見ないまま。震える声で。
「忘れてもいいのでしょうか」
ざわりと空気が揺れる。
ぞっと背筋に悪寒が走り、飛びのきそうになる体を必死に抑える。
「……いいとか、悪いとかじゃない。きっと忘れるようにできてるんだよ、俺たちは。絶対に忘れないと思って何度も記憶を反復させていても、いつかそれは薄れるか、他の何かに成り変わってしまうんだ」
悲嘆は憎悪に。愛情は執着に。
俺のあの思い出だって、後悔だけのはずだったのに、今では決意に繋がっている。
同じ思いを抱き続けることはできない。
≪魔女≫でさえも。
「そんなこと……ないです。だったら、僕は、僕は……」
「……なにか、忘れたいことでもあるのか? 嫌な思い出とか」
聞こえた言葉から、適当に連想して返す。テッドは唇をかむ。
「いや、忘れてはダメなんです。僕の罪を、僕が望んでしまったおぞましいことを、その過去を、その事実を、僕は忘れては、わすれては……だっダメ。ダメ、悪い子……だか、ら」
「テッド……」
呼吸が荒い。一方的に突然話し始めた。俺の話のなにかか、刺激してしまったことは疑いようもなかった。
会話が上手くできないのに、加えて繊細ってどうすればいいんだよ。
「テッド、落ち着け。お前……」
風が吹く。空気が凍る。急に周囲の温度が十度ぐらい下がった気がした。
「深漸くん! どうしたの?」
急に彼の周りで起こった吹雪に気づいた唄華が駆け寄ってくるのが見えた。
「来るな! 唄華」
まだ。まだ、全然間に合う。
俺はがたがた震えるテッドの肩をつかむ。彼がまとっている冷たい空気に手がこわばるが、すぐに感覚がなくなる。
それをよしとして、俺はテッドと向き合う。肩を押し、視線を合わせさせる。
「テッド、深く息を据え。これはお前の感情と連動している。詳細は分からないけれど、お前が安定さえすればすぐに収まる。そうだろ?」
「なんで……」
見開かれた目に、ここで正体をばらす危険を冒すことに躊躇ったが、迷っている場合ではなかった。
「お前のこれは、この街の気候と連動している」
「……!」
「お前がもたらしてくれた雪を、今のところみんな楽しめてるんだ。だから決して悪いものじゃない。安心しろ。自分の中で、一番安定しているちょうどいいところを探せ。そこに自分を落ち着けろ。いいか、ゆっくり息を吸いながらだ」
戸惑いながらもテッドは息を吸う。一度、二度、深く、ゆっくり。
それに合わせて周囲の吹雪も、徐々に収まっていく。心なしか、前よりも安定しているように思える。
大丈夫だと思えたころ、俺はそっと彼から手を放した。
「……君は」
「よかったーよかったー。突然過呼吸になるから、心配した。あーっと……、さっきのは昔保健体育の先生が教えてくれた」
「嘘つき」
ぴしゃりとさっきまでと打って変わった厳しい言葉で突き放される。
「深漸、在須くん……君は、否理師だ」
言い訳できる余地はなかった。
「深漸君の言い訳が棒読み過ぎたんだよ~」
うるさい。俺は、正直者なんだ。
「予想通りですね」
硬い声が冷え切った空気を切り裂くように響く。




