四章 チガウ夢のスガタ2
「はぁ……」
嫌なため息が自分の口から漏れた。全身が倦怠感で重い。
「ほら、急いでよ、深漸くん。病院まで、あともうちょっとなんだから」
「はいはい……」
唄華の叱咤する声に、俺はペダルを踏む足に力を込める。唄華が俺んちに乗って来た女物の自転車に二人乗りしているため、なかなかスピードがあがらない。
あの後、俺が動けないことを良いことに、唄華はありったけ俺をくすぐった。笑い死にさせかけられ、俺は情けなくも全て吐かされてしまった。
唄華本人は思っていたとおりの非日常の気配に燃え上がり、うざいくらい今も俺の後ろでギャーギャー喚いている。
何だか、いつもどおりの唄華とのやり取りをしすぎてやる気が出ない。あの聖母の笑みも言葉も、俺を懐柔するための演技だったのではないかと疑いたくなる。
テンションや体力とか、全部後ろに吸いとられていく気がする。
なんかこういう化物とか、昔話にいたな。
なんだっけ?
「唄華、お前ちゃんと理解してるんだろうな。これから俺たちは、一体何に対峙しようとしているか」
「イッエース! 鈴璃ちゃんの振りをした可愛い魔女っ子、かっこ、実年齢六百歳ってやばくね、かっこ閉じるに、現代っ子の諦めの悪さを教えに行くのです!」
「正解なんだか、バカなんだかわからん! とにかくうぜぇ!」
俺は叫んで、病院へ向かう傾斜が厳しい坂を登る。
時間はエンドに眠らされてから約ニ時間が過ぎて、現在時刻は十一時半。唄華のあの無駄な拷問さえなければ、あと三十分は早く来れていたのに。
「着いた……」
山の中腹にある、紙邱総合病院。大きな白い建物が、黒々とした空を背景にそびえている。
「何か……おかしくない?」
自転車から降りた唄華が不審げに首をかしげる。それを聞いて、俺もハッとする。
どの窓も灯りがついておらず、不自然な闇が、見慣れているはずの病院をまるで廃墟のように思わせた。あまりにも、不気味だった。
消灯時間は過ぎているとはいえ、宿直の医師が何人か居るはずなのに……
「ちっ! もう準備は万端ってことか」
俺は自転車を適当な位置に乱暴に止めると、夜間用の入口へと走った。
焦る気持ちを抑えそこに向かうと、思っていた通り、いつもは警備の人か誰かしら居るのに、無人でしかも扉にはしっかり鍵がかかっていた。
「ここは私の出番だね」
追いかけてきた唄華が俺を押し退け、ポケットから取り出した針金をドアノブに差し込む。
カチャリ、とわずか数度針金を動かしただけで簡単に錠が開いた。
「ふふん。この通り、私を連れてきて良かったでしょ?」
自慢気に俺を振りかえる唄華に、俺は呆れながらも言う。
「お前が犯罪者になったら、恐ろしいことを簡単にやってくれそうで怖いよ」
「やだなー、犯罪者なんて、そんなありきたりでつまらない存在に、私がなるわけないじゃん」
さらっと、ゾッとすることを言うと唄華はドアノブを回し扉を開いた。長い廊下が見え、 その先は暗闇に飲み込まれ果てが見えなかった。
「んじゃ、いっちょ行きましょーか?」
唄華は声を弾ませて、躊躇なく病院へと足を踏み入れた。俺も辺りを警戒しつつ、後に続く。
入ってすぐそこにあるのは小児科――兄が働いているところだ。幼いころから病院といえばこの病院に来ていたため、どこに何があるかは大体わかる。
鈴璃が運ばれたのも、この病院だった。
「んー、真っ暗でよく見えないね。非常灯のおかげで辛うじて進むことはできそうだけど……、んで、これからどこ行く?」
気軽に散歩でもしているかのような調子で唄華は言った。
俺は呆れながらも、近くの階段を指差した。
「こっち……だろうな。何となくそんな気がする」
根拠はないが、確信はある。上の方から微かに感じる奇妙な、普通なものではないあいつの気配。漠然としたものだが、意識して感覚を研ぎ澄ませると今までの勘とは比べ物にならないくらい強く感じることができた。
エンドが言っていた通り、これが俺の《才能》というやつなのだろう。
少し気に食わないが、この際利用できるものは存分に利用させてもらう。
真っ暗な階段を自然、足音を潜めて上る。いつの間にか、あれだけ騒がしかった唄華が静かに俺の後をついてきている。張り詰めた緊張の中、俺は勘に頼って進んでいく。
四階の一〇八号室。
病院特有の薬品のニオイと、暗い静寂の中、萎える腕を叱咤して扉を開け放つ。
そこにいたのは。
窓枠に腰掛け、星が見えない暗闇を背景に――静かに微笑む、俺の従妹。
……じゃない、違う。
飲まれちゃダメだ。
魅入られるな。
退廃的な虚無を纏った少女は、ゆらりと酷く疲れているように、目を伏せた。
「来ないで、欲しかったな……」
今、やっと中盤過ぎ、終盤近しです!
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