序章 始まりを告げる聲《こえ》
若干、「痛み」の描写があります。
弱めのグロテスクが混じっています。
紙邱は小さな街だ。
十年前に立ちあがったベットタウン計画。三年ほど前からやっと軌道に乗る兆しが見え、徐々にではあるが人口は増えてきている。しかし、未だ更地の分譲地が目立っていて、その一方、道路などの公共設備だけはしっかり整っているため、人気の無さが異様に際立って感じられた。
真夜中になる頃には、紙邱は静寂に包まれる。月も星の光りも今夜は雲に遮られて見えない。街灯だけが、唯一夜道を照らしている。
その灯りの元に、二つの人影があった。
そのうちの一つは、道路にうつ伏せに倒れている若い女性のもの。仕事帰りだったのか、スーツを着ていて、近くにはそれらしき鞄も転がっている。その女性のまぶたは閉じられ、一向に開く様子はなく、呼吸はしているようだが、それも近くに寄らねばわからないほどにか細い。
その女性を見下ろすように立っている少女それがもう一方の人影。
少女の顔は堅く強ばっていたが、その瞳は冷たく、幼い少女に似つかわしくない暗い光が宿っていた。
「……謝らないよ」
少女が口を開いた。容姿にふさわしいまだ幼さを残す声ではあるが、口調は不自然なまでに大人びていた。
「私には目的がある。その目的を達成させるために、全てのものを例外なく犠牲にする覚悟をした。私がギリギリ持っていた良心も、残さず余さず捨てた。そうすることに迷いはない。そうするしか、私の目的を達成させる術はないんだ。目的のためなら、私はいかなる悪役にもなる。誰を敵にしても、誰に裏切られても、全てから迫害を受けることになっても構わない。そうされるのが当然なことを、私はやろうとしているのだから」
きっぱりと、そう断言した。投げ捨てるように淡々と語った。
小さく息を吸い込むと、少女は女性に背を向ける。
「私は正義を気取るつもりはない。誰かのためになんて偽善を振り撒くこともしない。だからあなたも遠慮なく――私を憎めばいい」
女性にというよりも、自分に言い聞かせるように。
呟くように独白して、少女がこの場から立ち去ろうと一歩足を踏み出したとき、
『久しぶり』
老若男女全ての声が入り混じったような不思議な音が、言葉を成して夜の街にこだました。
氷のように無表情だった少女の様子は一変し、血相を変えて辺りを見まわした。
「誰だ!」
『おやおや、忘れてしまったのかえ? 寂しいのぅ。妾はずっとお主に再会するときを待ちわびていたのに』
「な……に?」
少女の顔がみるみる驚愕に染められていく。
「……どうして、あなたがこんな所に?」
『さて、どうしてかな。……ふふふ。ふふふふふふふ』
無機質な乾いた笑い声が、狭い道に響きわたる。
『会いたかったぞ。妾の古い友よ。またあの頃のように妾と遊んでおくれ』
声は楽しそうに弾んでいた。一方の少女は徐々に冷静さを取り戻し、息を整えると皮肉混じりにその声に応える。
「……本当に、お久しぶり。私もあなたと話したいことがある。でも、とても残念なことだけど、あなたの暇つぶしに付き合ってあげられる時間はない」
『つれないのう。まぁ、よいか。お主はあのげぃむのことで忙しいんじゃったな。全人類を巻き込んだ一大げぃむ。妾は参加させてもらえぬようじゃから、一人寂しく、観客席から眺めさせてもらうわ』
声の言葉に、少女は顔を忌々しげにしかめて呟く。
「…………そう、あなたはこれをゲームというんだ」
少女は底冷えした低い声で言う。
「何があっても邪魔しないで、とだけ言っておく。私はこれに全力をもって挑んでいる。例え観客が気に入らないエンディングになったとしても、私はこの望みを必ず現実のものにしてみせる」
少女は虚空をきつく睨み付ける。八方から聞こえてくる声は、心底不思議そうに言う。
『目的。望みのぅ。妾にはお主のそれが全てを懸けるほどのものとは思えんのじゃが』
「止める?」
『いや、そんな無粋なことはせぬよ』
声はふふふと、再び笑う。
『面白そうじゃ。世界と言う盤上でお主が一体何をするのか。好きに踊れ、精一杯足掻け。妾はとっても楽しみじゃ』
その言葉を最後に、辺りは静寂を取り戻す。
少女は止めていた歩みを再び進める。
「本当に、変わらないな……」
少女はため息をつくように呟いた。
「あなたにとって――神にとっては、私たちの運命はその程度のものなんだね」
その声はどこにも響かず、闇に溶けて消えた。
ちょこちょこ地道に投稿するつもりです。不定期は確実ですが……。未熟者ですので、意見・感想をお待ちしております。