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好きと依存の境界線

 好きと依存の境界線を探している。

 見つからない。

 見つからないのは、境界線がないからなのか、見つけたくないからなのか。



         *



 九月下旬。


 菜月の問いが、二週間経っても消えない。


 普段の生活は続いている。講義。カフェのシフト。食事。睡眠。全部問題なく回っている。


 蓮とも変わらない。


 隣に座る。シャーペンの三拍子が聞こえる。衣擦れの音。柔軟剤の匂い。全部いつも通り。カフェにも来る。週に二、三回。「うまい」と言う。ごちそうさまと言う。帰る。


 何も変わらない。表面上は。


 でも私の中で、何かが壊れかけている。


 蓮を観察するたびに、菜月の声がかぶさる。


 「それって好きなの。それとも楽な環境が欲しいだけなの」


 好き、だと思う。「思う」は仮説だ。検証されていない仮説。好きと依存を区別するための指標が、ない。



 101教室。火曜日。二限。


 蓮が隣にいる。


 教授の声が聞こえる。ノートに文字を書いている。いつも通り。


 蓮がいなくても、私はこの講義を受けていただろうか。


 受けていた。文化人類学は自分で選択した科目だ。蓮がいるから選んだわけじゃない。


 でも蓮がいなかったら、この席には座っていない。端の席。蓮が来るから端に座る。蓮が壁を作ってくれるから端が安心できる。


 蓮がいなかったら、真ん中あたりの、群れの中の、目立たない席に座っている。透明人間として。


 蓮のおかげで端に座れる。端に座ることで教室に居場所ができる。居場所があるから講義に集中できる。


 ペンが止まった。ノートには三行前から何も書いていない。講義に集中できると言ったくせに、今、集中していない。蓮の衣擦れの音を数えている。


 全部、蓮が起点だ。蓮が起点で、私だけが変わっている。


 蓮はずっと同じだ。最初から無口で、最初から隣にいて、最初から「うまい」と言って。変わったのは私だけ。


 蓮から何かをもらうだけで、蓮に何も返していない。コーヒーは返している。でも蓮が差し出してくれたのは感情だ。私が返しているのは技術だ。


 蓮の行動が「声にできない感情の翻訳」だと知ってしまった今、コーヒーで返すのは足りない。足りないけど、それしかできない。


 カフェのシフトの後、店長が檟の木の箱から豆を出していた。翠鳥たちの理髪店の常連からもらったものらしい。


 「これ、ブラジルのモジアナ。味見手募集。あんた、そんな顔でテイスティングしたら商品が泣くよ」


 「……すみません」


 「謝んなくていいから飲みな。モジアナはちょっとチョコレートっぽいから、悩み事してる時にちょうどいい」


 店長が左手の薬指をなぞりながら、笑った。


 「験担ぎ」


 一口飲んだ。チョコレートの音があった。苦さの中に、少しだけ甘いものが混ざっていた。


 おいしい。


 おいしいと思えた。まだ味覚が笑う程度には生きている。


 それしかできないのは、言葉を持っているのに使わない私のせいだ。


 蓮は言葉を失くした。言えない。使いたくても使えない。


 私は言葉を持っている。持っているのに使わない。怖いから。拒絶されるのが怖いから。関係が変わるのが怖いから。この居心地のいい沈黙が壊れるのが怖いから。


 言葉を持っているのに使わない人間と、言葉を失くした人間。


 どちらのほうが卑怯か。


 私のほうだ。



         *



 夜。自室。


 ベッドに座って天井を見ていた。蓮のことしか考えていない。


 利用。嫌な言葉だ。でも否定できない。


 このまま答えを出さないまま蓮の隣にいるのは、蓮に対して不誠実だ。


 蓮は不器用だけど誠実だ。言葉が出ないから行動で伝える。不器用だけど逃げない。


 私は誠実じゃない。区別がつかないまま隣に座って、蓮の温度を浴びて、安心して、それを「好き」だと名付けている。


 確認するには、離れるしかない。


 それでも蓮のことを考えるなら——好きだ。

 それでも蓮がいなくても歩けるなら——依存じゃない。


 スマホを手に取った。カフェの営業時間を調べようとした。蓮がいるかもしれない時間を確認しようとして、画面を伏せた。


 一人で立って、一人で答えを出さなきゃいけない。それが私にできる、唯一の誠実さだ。


 涙は出なかった。胸の奥が冷たいだけだった。


 明日、蓮に言わなきゃいけない。


 ——もう隣に座らないでください。


 その言葉を想像しただけで、喉が詰まった。


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