快適という名の毒
気づいたら、あの席以外に座れなくなっていた。
教室の、三列目の左から七番目。
隣は——もう、空席じゃない。
*
五月の第四週。月曜日。
講義開始の五分前に教室に入ると、三列目の左から八番目に、もう座っている人がいる。背筋が真っ直ぐで、ノートが開いてあって、付箋が三色並んでいる。
私は七番目に座る。鞄を足元に置く。ペンケースを出す。ノートを開く。
挨拶は、しない。
する必要がないからじゃない。しなくても成立してしまうから、しない。この沈黙は合意だ。一度も話し合っていないのに、そういうことになっている。
講義が始まる。教授の声。ノートをとる音。篠宮の右手が動く。几帳面な文字が一行ずつ生まれていく。私はそれを見ないつもりで、視界の端に捉えている。
温度がある。
彼の左腕と、私の右腕のあいだは約30センチ。体温が届く距離ではない。でも、何かが届いている。気配、なのだと思う。人間は体温以外にも何かを発していて、そのうちの名前のないひとつが、30センチを越えて私の皮膚に触れている。
「……暑い」
独り言。安全圏。気温を述べただけ。五月の教室は冷房が効いていないから暑い。事実だ。
でも、暑いのは気温のせいだけだろうか。
消した。脳内で、今の疑問文を消した。考えなかったことにした。
九十分の講義が終わる。篠宮がノートを閉じる。付箋の端が二ミリだけはみ出している。それを指で押し込んでから、鞄に入れる。
私はその二ミリを見ている。二ミリの付箋を直す指を見ている。
「……お腹すいた」
安全な独り言。二回目。食欲の表明は万人に無害だ。
篠宮が立ち上がる。いつも私より先に立つ。鞄を左肩にかけて、通路側に出て、そのまま階段教室の後方に向かって歩いていく。振り返らない。
振り返らないのは、いつもどおりだ。
いつもどおりが、いつから心地いいのか。それが問題だった。
*
木曜日。カフェ「雫」。午後のシフト。
十三時にカウンターに入る。豆を挽く。ドリッパーを温める。本日のコーヒーはグアテマラ・アンティグア。ナッツの香りが好きな人向き。
十四時。常連の大学教授が来て、ブレンドを頼んだ。いつもどおり。
十四時半。近所の主婦が二人組で来て、カフェラテを二杯。いつもどおり。
十五時。
ドアベルが鳴った。
鳴る前に、私の手が止まっていた。十五時ちょうどにドアベルがなることを、体が知っている。予測ではない。条件反射だ。
篠宮蓮がカウンター席の一番端に座った。鞄を隣の椅子に置いた。何も言わない。
「グアテマラでよろしいですか」
頷き。
お湯を注ぐ。蒸らし三十秒。二投目。粉の表面が膨らんで、細かい泡が均等に広がる。いい豆だ。甘みが出る。
カップを置く。篠宮がカップに手を伸ばす。
その手を見ないようにした。前回のシフトで店長に言われた言葉がまだ残っている。「カップじゃなくてあんたの手見てるよ、あの子」。あれ以来、篠宮の手を意識すると、同時に自分の手も意識する。
指先が震えていないか確認する。震えていない。大丈夫。
篠宮が一口飲んだ。
「……」
何も言わない。でも、カップを両手で包んだ。寒くもないのに。五月なのに。
親指が、カップの表面を一度だけ撫でた。無意識の動作に見えた。
両手で包む、はたぶん、「美味しい」に近い何かだ。
根拠はない。ないけど、九回目の来店で、そういう微細な動作の辞書が少しずつ出来上がっている。頷きの深さ。カップの持ち方。帰り際に伝票を置く位置。全部に意味があるかはわからない。でも、全部を記録している自分がいる。
篠宮のポケットでスマホが光った。取り出して、画面を見て、親指で短く何かを打って、戻した。三秒の動作。
初めて見た。この人が誰かに返信するところを。声を使わないだけで、連絡をとる相手はいるのだ。当たり前のことなのに、少しだけ意外だった。
先週も思った。大学の中庭で篠宮を見かけた時、茶髪でチェックのシャツの男が隣にいた。身振りの大きなジェスチャーで篠宮に何か語りかけていて、篠宮は黙って横に立っていた。でも離れなかった。あの人にも、沈黙ごと受け入れてくれる相手がいるのだと、少しだけ安心して、少しだけ胸の奥がざわついた。
店長の声。カウンターの奥から。
「してません」
「目が止まってたよ。三秒」
店長の左手が、カウンターの下で薬指をさすっていた。あの癖。指輪の跡を無意識にたどる動作。過去に何があったかは知らない。聞けない。でも、あの動作が出るとき、店長の声は少しだけ柔らかくなる。
「三秒は誤差です」
「人の顔見て止まる三秒は誤差じゃないよ」
反論できなかった。
土曜日。午後のシフト。
十五時が来た。
ドアベルは、鳴らなかった。
十五時五分。コーヒーの抽出を終えて、カウンターを拭いた。十五時十分。グラインダーを掃除した。十五時十五分。在庫の豆を確認した。確認する必要はなかった。昨日確認したばかりだ。
十五時二十分。手が、グアテマラの豆の缶に伸びていた。十八グラムを量って、ドリッパーを温めて、蒸らし用の湯を沸かそうとしていた。
やめた。
注文されていないコーヒーの準備を、来ていない客のために始めていた。分析ではなく、身体が自動で手順を踏んでいた。十五時イコール篠宮蓮イコール、グアテマラ一杯。
豆を缶に戻した。指先に、グアテマラの微粉が残っていた。
十五時三十分。
来ない。
来ないことが、気になっている。
気になっている自分に、気づいている。
気づいている自分を、止められない。
三段階の自覚。最悪の構造だ。
十五時四十五分。別の客のオーダーを受けた。コロンビアのドリップ。お湯を注いだ。温度が高すぎた。九十六度。適温は九十度前後。
六度。たった六度。でもコーヒーにとっての六度は致命的だ。九十六度の湯は豆の細胞壁を必要以上に壊す。繊細な甘みが消えて、舌の奥に貼りつく雑味だけが残る。一杯分の豆が、もう取り返しのつかない液体になっている。
淹れ直した。
温度を間違えたのは、この店で働き始めてから初めてだった。手首でわかるのだ、普段は。九十度と九十一度の違いが、ケトルの重さと蒸気の角度でわかる。六度も外すのは——手首の問題じゃない。頭がここにいなかった、という証拠だ。
店長は何も言わなかった。何も言わないのが、一番こたえる。
十六時。十六時半。十七時。
閉店まで、ドアベルは鳴らなかった。
帰り道。
五月の夕方は明るい。十八時でもまだ空にオレンジが残っている。
篠宮蓮が来なかった。
それだけのことだ。客が一人来なかった。売上にすればコーヒー一杯分。四百五十円。全体の収益には何の影響もない。
なのに、今日一日が二ミリだけずれている。
鞄の紐を握り直した。
時計が狂ったわけじゃない。お腹も空いている。足も動く。呼吸もしている。でも、一日の輪郭が合わない。ジグソーパズルの最後のピースが微妙に歪んでいて、はめ込んでもぴったり来ない。そういう感覚。
快適だった。
あの沈黙が、あの30センチの距離が、十五時のドアベルが、カップを両手で包む動作が。全部、快適だった。お湯の温度みたいに、最適値に達していた。私はそこに浸かっていた。九十度の適温の中で、何も考えずに。
それが毒だ。
今日の温度ミスは禁断症状だ。八回の訪問回数を正確に覚えているのも。全部。
菜月の言葉が蘇った。
「もう手遅れなんじゃないの」
手遅れかどうかはわからない。でも、確実に言えることがひとつある。
私は「篠宮蓮がいる日常」を基準にしてしまった。いない日が異常値になった。たった一ヶ月半で。
駅までの道を歩く。商店街の惣菜屋から揚げ物の匂いがする。学生がグループで歩いている。自転車のベルが鳴った。全部聞こえている。全部見えている。
でも全部の中に、あの沈黙がない。
「……寒い」
独り言。
五月だ。気温は二十二度ある。寒いわけがない。
嘘の独り言だ。寒いんじゃなくて、足りないのだ。何がとは言わない。言ったら本当になる。
改札を通った。ホームで電車を待った。
「猫」でも「お腹すいた」でもない独り言が、喉の奥で形になりかけていた。
飲み込んだ。
——まだ、飲み込めた。




