第八章 移動する基準点
座標院の国際化から数週間後。
測のもとに、不穏な報告が届いた。
「先生、大変です」
報告に来たのは、卒業生の一人——北方連合に派遣されていた若い測量師だった。
「どうした」
「私が設置した基準点が——動いているんです」
「動いている?」
「はい。昨日測定した座標と、今日測定した座標が、ずれているんです。最初は観測誤差かと思ったんですが——」
彼は持ってきた記録を見せた。
確かに、データがずれている。しかも、誤差の方向が一定ではない。ランダムに、不規則に変動している。
「杭は動いていないのか」
「はい。杭自体は、打ち込んだときのまま。でも、座標が——」
測は眉をひそめた。
これは——観測誤差ではない。杭が動いていないのに座標がずれるということは、座標系自体が変動しているということだ。
「歪曲公、か……」
「え?」
「何でもない。現地に行く。案内してくれ」
────
問題の村は、北方連合の辺境にあった。
座標院から馬で三日。竜骨山脈の北麓に位置する、人口五百人ほどの小さな集落だ。
測は到着するとすぐ、基準点の調査を始めた。
「ここだ。四日前に設置した」
卒業生が指差した先に、木の杭が打ち込まれている。杭の頭には金属のプレートが固定され、そこに基準点番号が刻まれている——座標院の標準仕様だ。
測はスキルを起動した。
《基準点C-47》
《座標:X 52341.892、Y 69123.456、Z 1234.567》
この座標を記録する。
「記録では、設置時の座標は?」
「X 52341.894、Y 69123.458、Z 1234.568——ほぼ同じですが、ミリ単位でずれています」
「ミリ単位、か……」
確かに、誤差としては小さい。だが、設置から四日でこれだけずれるのは、通常ありえない。大基準点を復活させてからは、座標系は安定しているはずだ。
「夜間に調査する」
「夜間?」
「ああ。歪みは夜に進行すると、以前聞いたことがある。夜間に何が起きているか、確かめる必要がある」
────
その夜、測は基準点の近くで監視を行った。
月明かりの下、草原に身を潜め、基準点の方向を見つめる。ボルガが護衛として傍にいる。
「何も起きないな」
ボルガが小声で言った。
「待て。まだ真夜中になっていない」
時間が過ぎていく。
真夜中を過ぎた頃——変化が起きた。
「あれは——」
測は目を凝らした。
基準点の周囲に、淡い光が揺らめいている。魔法の光——誰かが術を使っている証拠だ。
「いた」
ボルガが剣に手をかけた。
光の中に、人影が見える。黒衣を纏った人物——以前、山への道で遭遇した男と同じ格好だ。
「捕まえる」
測は静かに立ち上がった。
だが、黒衣の人物は測の接近に気づいたようだ。光が消え、人影が走り出す。
「待て!」
ボルガが追いかける。だが、黒衣の人物は信じられない速さで逃げていく。
「逃げられた、か……」
測は舌打ちした。
だが、収穫はあった。
基準点に近づき、スキルを起動する。
《座標:X 52341.889、Y 69123.453、Z 1234.564》
——ずれている。
さっき測定したときから、数ミリずれている。黒衣の人物が、何かをしたのだ。
「歪曲の術」
測は呟いた。
「座標系を直接歪める魔法。歪曲公の配下が使う術だ」
「それを、どうやって防ぐ」
「……わからない」
測は正直に答えた。
魔法の力に対抗する術を、測は持っていない。自分にできるのは、座標を測ることだけだ。歪みを検知することはできても、歪みを防ぐことはできない。
「一つ一つの基準点を守るのは、限界がある」
測は考え込んだ。
歪曲公の配下は、世界中にいる。彼らが各地で歪曲の術を使えば、座標院が設置した基準点は次々と狂っていく。それを防ぐには——
「根本的な解決が必要だ」
「根本的?」
「大基準点を、全て復活させる。五つの大基準点が同期すれば、座標系は完全に安定する。個別の歪曲の術では、歪められなくなるはずだ」
「では、残りの大基準点を——」
「ああ。探しに行く」
竜骨山脈の石は復活した。残りは四つ。
五大陸それぞれに、一つずつある。
「長い旅になるな」
ボルガが言った。
「ああ。だが、やるしかない」
測は夜空を見上げた。
二つの月が、雲間から顔を覗かせていた。




