第二十二章 座標の継承
さらに十年後。
座標院の校長室で、基は一通の手紙を読んでいた。
「父上……」
手紙には、測の遺言が書かれていた。
基へ
私がこの手紙を読んでいる頃には、私はもうこの世にいないだろう。
お前に伝えたいことは、たくさんある。でも、一つだけ——最も大切なことを、書いておく。
測量士とは何か。
私はかつて、別の世界から来た。そこで測量士として働いていた。地味な仕事だった。誰にも注目されず、黙々と座標を刻み続ける——それが、私の日常だった。
この世界に来て、私は気づいた。
測量は、世界を支える仕事だということを。
座標があるから、建物は立つ。道は通じる。国境は定まる。すべての営みが、座標の上に成り立っている。
だから——測量士は、誇りを持っていい。自分の仕事に、自信を持っていい。
お前は、私の後を継いでくれた。私の技術を学び、私の心を受け継いでくれた。
それだけで——私は満足だ。
これからも——世界に座標を刻み続けてほしい。
そして、次の世代にも、同じことを伝えてほしい。
測量士は、世界を測る者だ。
そして、世界を支える者だ。
——境井測
基は手紙を閉じた。
涙が、頬を伝っていた。
「お父様……」
窓の外を見ると、座標院の中庭が見えた。生徒たちが実習を行っている。三脚を据え、視認の杖を覗き込み、データを記録している——
父が始めた光景が、今も続いている。
そして、これからも——続いていくだろう。
────
三日後。
測の葬儀が、座標院で行われた。
世界中から弔問者が訪れた。各国の代表、卒業生たち、かつての仲間たち——
ガルドは、老いた体を引きずりながら参列した。
ミーシャは、変わらぬ若さで——だが、目には深い悲しみを湛えて——花を手向けた。
クロードは——数年前に亡くなっていた。
リーネは——測の一週間前に、静かに息を引き取っていた。
「お父様、お母様——」
基は二人の墓前に立った。
「見ていてください。私は——あなたたちの遺志を、継ぎます」
墓石には、シンプルな碑文が刻まれていた。
『境井測 リーネ・カルトグラフ・境井
ここに眠る
すべての建造物は、一点の座標から始まる』
基は——父の言葉を、心に刻んだ。
そして、歩き始めた。
座標院へ。生徒たちのもとへ。新しい世代に、座標を教えるために。
────
その日の午後、基は授業を行っていた。
「皆さん、今日は特別な授業をします」
学生たちが注目する。
「私の父——境井測が、三日前に亡くなりました」
学生たちがざわつく。測の名前は、誰もが知っている。
「父は——測量士でした。この世界に座標を取り戻し、歪みを正した人です」
「父から、私に伝えられた言葉があります。今日は——それを、皆さんに伝えます」
基は学生たちを見回した。
「測量とは何か。それは——世界に座標を刻むことです」
「座標があるから、人は迷わず目的地に着ける」
「座標があるから、建物は正しく建つ」
「座標があるから、国と国は正確な境界を持てる」
「そして——」
基は言葉を切った。
「誰かがこの仕事をしないと、何も建たない」
学生たちは、真剣な表情で聞いている。
「父は——この言葉を、先輩から受け継ぎました。そして、私に伝えました。今日、私は——皆さんに伝えます」
「皆さんは、これから測量士になります。世界に座標を刻む者になります」
「その仕事に——誇りを持ってください。自信を持ってください」
「皆さんの仕事が——この世界を支えているのですから」
学生たちの目が、輝いていた。
基は——窓の外を見た。
座標院の中庭。建設中の塔。正確な丁張り。忙しく働く測量士たち——
この世界は——今日も、正しく測られている。
そして、明日も——明後日も——これからずっと——
測量士たちは、世界に座標を刻み続ける。
それが——測量士の役目だから。
────
最後の授業が終わり、学生たちが帰っていった後、基は一人で校長室に残っていた。
窓の外には、夕日が沈みかけている。空は赤と紫のグラデーション——父が愛した、この世界の夕焼け。
「お父様」
基は呟いた。
「私は——あなたの遺志を、継ぎます。この世界を、正しく測り続けます」
窓の外では、二つの月が昇り始めていた。
オレンジ色の大きな月と、青い小さな月。
この世界に——測が最初に見た光景。
そして、今は——基が見ている光景。
座標は——変わらない。
世界は——正しく測られ続ける。
すべての建造物は、一点の座標から始まる。
そして測量士は今日も、世界に座標を刻み続ける——
【完】




