第十一章 大基準点の復活
帝国政府への交渉は、難航した。
最初の数日間は、門前払いの連続だった。外国人の測量師が、帝国の重要施設について口出しするなど、あり得ないという態度だった。
だが、技術者ギルドの支援と、リーネの外交手腕が、少しずつ道を開いていった。
「宰相閣下との面会が許可されました」
リーネが報告した。出発から一週間後のことだった。
「よくやった」
「私の家——カルトグラフ家の名前が、少しは役に立ったわ。地図師の家系として、帝国にも取引相手がいたの」
宰相との面会は、帝国の政庁で行われた。
巨大な建物——鋼鉄と煉瓦でできた、権威を象徴する構造物——の奥深くに、宰相の執務室はあった。
「西方の測量師か」
宰相は、五十代の鋭い目をした男だった。名をシュテルンという。
「座標院の校長、ハカル殿。そして、カルトグラフ家のリーネ嬢。お二人の来訪、歓迎いたします」
言葉は丁寧だが、目は冷たい。明らかに、警戒している。
「本日は、帝国にとって重要な提案をしに参りました」
測は単刀直入に切り出した。
「首都の地下に眠る——大基準点について」
シュテルンの表情が、わずかに強張った。
「……続けたまえ」
「帝国は、大基準点を『動力源』として利用している。だが、その本来の機能——座標系の基準としての役割——は封印されたままだ。これを復活させることを、提案する」
「理由は?」
「世界全体の座標系を安定させるため。大基準点は五つある。全てを復活させれば、座標系は完全に安定し、歪曲公の攻撃を無効化できる」
「歪曲公……」
シュテルンの目が、一瞬だけ揺れた。
「その存在を、知っているのですか」
「もちろん知っている。帝国の敵だ」
「敵……ですか」
測は違和感を覚えた。宰相の反応が、どこかおかしい。
「宰相閣下。大基準点の復活に、何か問題があるのですか」
「問題? いいえ、問題はありません」
シュテルンは微笑んだ。だが、その微笑みには、何か不穏なものが含まれていた。
「ただ——大基準点は、帝国の重要な資産です。外国人に——特に、西方の者に——その管理を任せることはできません」
「管理を任せるのではありません。復活させるのです。その後は、帝国が管理すればいい」
「復活させた後、その技術を持ち帰るのではないのですか?」
「持ち帰りません。座標の技術は、世界全体の公共財です。特定の国が独占するものではない」
「公共財……」
シュテルンは椅子の背にもたれた。
「美しい理想ですな。だが、現実の世界は——理想通りにはいかない」
「何が言いたいのですか」
「ハカル殿。あなたは、西方の座標院を率いている。その技術で、各国に影響力を持っている。あなたが『世界のため』と言っても——帝国は、簡単には信じられない」
「では、どうすれば信じてもらえるのですか」
シュテルンは考え込むような表情を浮かべた。やがて、言った。
「一つ、提案があります」
「何ですか」
「大基準点の復活を許可する。ただし、条件がある」
「条件?」
「復活後、座標の技術を——帝国に独占的に提供すること」
測は絶句した。
「それは——できません」
「なぜですか」
「座標の技術は、世界全体のものだと言った。帝国だけに独占させることはできない」
「では、交渉は決裂ですな」
シュテルンは立ち上がった。
「お引き取りください。帝国は、大基準点の復活を許可しません」
────
政庁を出た後、測とリーネは沈黙したまま宿に戻った。
「失敗、ね」
リーネが呟いた。
「ああ」
「どうする?」
「……わからない」
測は考え込んだ。
正攻法では、帝国政府は動かない。だが、大基準点を復活させなければ、世界の座標系は安定しない。
「別の方法を探す必要がある」
「別の方法?」
「帝国政府を通さずに、大基準点にアクセスする方法だ」
「それは——違法行為になるわ」
「わかっている」
測は窓の外を見た。帝国の首都は、夜になっても活動を止めない。工場の煙突から煙が上がり、街灯が通りを照らしている。
「でも、他に方法がないなら——やるしかない」
その夜、測のもとに訪問者があった。
「グスタフ殿?」
技術者ギルドの長が、宿の部屋に現れた。
「ハカル殿。宰相との交渉は、失敗したそうですな」
「どうして知っている」
「ギルドには、情報網がある。そして——」
グスタフは声を潜めた。
「宰相の正体を、お教えしよう」
「正体?」
「シュテルンは——歪曲公の協力者だ」
測は息を呑んだ。
「何だと?」
「帝国政府の中に、歪曲公と繋がっている者がいる。宰相もその一人だ。彼らは、大基準点を封印したまま維持することで——歪曲公の支配を助けている」
「なぜ——」
「権力だ。座標系が歪んでいれば、帝国は技術的な優位を保てる。他国よりも正確な建設ができ、他国よりも強い軍隊を持てる。歪曲公は、それを利用している」
なるほど、と測は理解した。
歪曲公は、単に世界を歪めているだけではない。その歪みを利用して、各国の権力者を操っているのだ。
「どうすればいい」
「ギルドが協力する。地下への秘密の道がある。大基準点に、直接アクセスできる」
「本当か」
「本当だ。だが、危険を伴う。政府に見つかれば——処刑される」
測は少し考え、そして頷いた。
「やる。案内してくれ」




