第十章 遺跡の試練
機械帝国ギアワークスへの道のりは、約三週間を要した。
東へ向かうにつれて、風景は大きく変わっていった。魔法文明圏の牧歌的な草原から、工業都市の煙突が立ち並ぶ地域へ。
「空気が、違うわね」
リーネが顔をしかめた。
確かに、空気には煤と金属の匂いが混じっている。工場の煙が空を覆い、太陽の光を遮っている。
「これが、機械文明か……」
測は周囲を見回した。
道路は石畳で舗装されており、馬車だけでなく蒸気機関を搭載した車両が走っている。建物は煉瓦造りで、窓には鋼鉄の格子がはまっている。
魔法が発達した西方とは、全く異なる文明だ。
「魔法が使えない代わりに、機械で代用している」
リーネが説明した。
「蒸気機関、歯車、鋼鉄——それがこの国の力よ。測量技術も独自に発達しているらしいけど、詳細は不明」
「大基準点について、何か情報は?」
「首都の地下に、古代の遺跡があるという噂。帝国政府は『動力源』として利用しているらしいけど——」
「本来の機能は封印されている、か」
「おそらく」
帝国の首都に到着したのは、出発から二十三日目のことだった。
首都は、予想以上に巨大な都市だった。人口は百万を超えると言われ、建物は何層にも重なり、地下にも都市が広がっている。
「ここで、大基準点を探すのか……」
測は圧倒された。
この規模の都市で、古代の遺跡を見つけるのは容易ではない。しかも、帝国政府が管理しているとなれば、自由に調査することもできないだろう。
「まずは、接触を試みる」
測は決断した。
「誰に?」
「帝国の技術者ギルド。測量技術を持っているなら、大基準点の存在に気づいているかもしれない」
────
技術者ギルドは、首都の中央区に本部を構えていた。
巨大な建物——煉瓦と鋼鉄でできた、要塞のような外観——の前に立ち、測は深呼吸した。
「行こう」
門を叩くと、守衛が現れた。
「何用か」
「私は西方から来た測量師だ。ギルドの代表と、技術交流について話し合いたい」
守衛は訝しげな顔をしたが、やがて内部に連絡を取った。
数分後、別の人物が現れた。白髪の老人——技術者の正装を身に着けている。
「西方の測量師、だと?」
「そうだ。私はハカル。座標院の校長を務めている」
「座標院……聞いたことがある。竜骨山脈の石を復活させた、という噂」
「噂は本当だ」
老人の目が、わずかに輝いた。
「……中へ」
案内されたのは、ギルドの会議室だった。
室内には、数人の技術者が座っていた。全員が測を、好奇心と警戒心が混じった目で見つめている。
「私は、このギルドの長を務めるグスタフだ。お前が西方で行った——大基準点の復活とやらについて、詳しく聞きたい」
「喜んで説明しよう」
測は、竜骨山脈での出来事を語った。大基準点の発見、座標の再計算、封印の解除——そして、座標系が正常化していく様子を。
技術者たちの反応は、最初は懐疑的だった。だが、測が具体的なデータと計算過程を示すにつれて、その態度は変わっていった。
「……これは、本物だ」
若い技術者の一人が呟いた。
「網平均計算、最小二乗法——我々も理論としては知っている。だが、実際にこれほどの精度で実行した者はいない」
「貴国にも、測量技術はあるのか」
「ある。だが、我々の技術は——機械に頼っている。魔法が使えない分、精密な機器で補っている」
「それは——」
測は興味を引かれた。
「見せてもらえるか」
技術者たちは顔を見合わせた。やがて、グスタフが頷いた。
「よかろう。我々の技術を見せる。そして、お前の技術と比較しよう」
────
ギルドの地下には、巨大な工房があった。
そこには、測が見たこともないような精密機器が並んでいた。
「これは——」
測は目を見張った。
鋼鉄と真鍮でできた、複雑な構造の機械。レンズ、歯車、目盛り——それは、まるで現代のセオドライトのような外観をしていた。
「我々の測量機器だ。角度を測定し、距離を計算する」
「すごい……」
測は機器に近づき、細部を観察した。
原理は、彼が知っているものと同じだ。だが、この世界の技術者たちは、魔法なしで、純粋に機械工学だけでここまで到達したのだ。
「精度は?」
「角度で約一分。距離で約一メートル」
「一分か……」
現代の測量機器に比べれば低いが、この世界の技術レベルを考えれば驚異的だ。
「だが、問題がある」
グスタフが言った。
「我々の技術では、『基準点』を正確に設定できない。相対的な測定はできるが、絶対的な座標を知る術がない」
「大基準点が、封印されているからだ」
「その通りだ。我々は——大基準点の存在は知っている。首都の地下に眠っていることも。だが、政府がそれを『動力源』として利用しており、本来の機能を復活させることを許可しない」
「なぜだ」
「……権力だ」
グスタフは苦い顔をした。
「座標の技術が広まれば、帝国の優位性が失われる。政府は、それを恐れている」
「優位性?」
「帝国は、機械技術で他国を圧倒してきた。だが、座標の技術が広まれば——西方のように、誰でも正確な建設ができるようになる。帝国の独占的な地位が、揺らぐ」
なるほど、と測は思った。技術の独占は、権力の源泉になる。それは、この世界でも変わらない。
「大基準点を復活させる必要がある」
測は言った。
「世界全体の座標系を安定させるために。帝国だけの問題ではない」
「わかっている。だが、政府の許可なしには——」
「許可を取る」
測は決断した。
「帝国政府と、交渉する」
「無理だ。お前は外国人だ。政府が耳を貸すとは思えない」
「やってみなければわからない」
測は立ち上がった。
「グスタフ殿。政府への紹介状を書いてもらえないか」
「……本気か」
「本気だ。この世界を救うためには、大基準点を復活させなければならない。そのためなら、何でもやる」
グスタフは長い間、測を見つめた。やがて、小さく頷いた。
「わかった。紹介状を書こう。だが、警告しておく。帝国の政府は——一筋縄ではいかない」
「覚悟している」
測は答えた。
だが、この時点では——帝国政府の内部に、歪曲公の協力者がいることを、まだ知らなかった。




