表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
測量士×異世界転生_異世界で丁張りを立てたら、世界を救う設計図になりました  〜測量士は今日も座標を刻む〜  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/22

第一章 崩落の向こう側

「あと三ミリ右。そこで止めろ」


班長の声がトンネル坑内に反響した。


境井測は手にしたプリズムポールをわずかに右へ傾け、水準器の気泡が中心に収まるのを確認した。ヘルメットの下で額に滲む汗が、こめかみを伝って落ちていく。六月の山岳トンネル工事現場は、外気温三十度を超える猛暑にもかかわらず、坑内は年間を通じて十五度前後に保たれている。その温度差が生む結露が、岩盤から染み出す地下水と混じり合い、足元の泥濘を作り出していた。


「よし、そこだ。動くなよ」


トータルステーションを覗き込む班長——安藤という五十代後半の男——が、データコレクタのボタンを押す。電子音が鳴り、観測データが記録される。この一連の動作を、測は今日だけで何十回と繰り返してきた。


「次、四十二番。急げよ、測」


測は黙って頷き、ポールを担いで次の測点へと足を運んだ。


坑内は薄暗い。等間隔に設置された仮設照明が白い光を放っているが、その光は掘削面の凹凸に吸い込まれ、十メートル先は闇に沈んでいる。削岩機の轟音は今は止んでいたが、その残響が耳の奥でまだ鳴り続けているような錯覚があった。空気には火薬の残り香と、岩石を砕いたときに生じる独特の鉱物臭が漂っている。


四十二番の測点は、昨日新たに設置された丁張りの近くだった。二本の木杭に渡された横板——そこに記された数値と墨線が、この先の掘削方向を決定づける。設計上のトンネル中心線から、法面の勾配、覆工コンクリートの厚さに至るまで。すべてがこの丁張りを基準に施工される。


測量士の仕事とは、つまるところ、この世界に座標を刻むことだ。


「測点四十二番、セット完了」


測はポールを地面に立て、気泡を確認しながら静止した。安藤の視線がトータルステーションを通じて自分に向けられているのを感じる。


観測が終わるまでの数秒間、測は周囲の岩盤を見つめた。


新第三紀の堆積岩層——地質調査報告書にはそう記載されていた。だが、現場に入ってから二週間、測は漠然とした違和感を覚え続けていた。岩盤の割れ目のパターンが、報告書の予測と微妙に異なる。水の染み出し方も、予想より多い。それが何を意味するのか、測量士である自分には判断する権限がない。報告すべき事象ではあるかもしれないが、地質技術者でもない自分が口を出すことではない——そう自分に言い聞かせてきた。


「よし、次——」


安藤の声が途切れた。


最初に感じたのは、足元を走る微細な振動だった。地震かと思った。だが、その振動は収まるどころか、急速に強まっていった。


そして、音が来た。


岩石が軋む音——低く、深く、内臓を揺さぶるような重低音。それは坑内のどこか奥深くから始まり、波紋のように広がってきた。


「落盤だ! 逃げろ!」


誰かが叫んだ。坑内に非常ベルのサイレンが鳴り響く。


測は反射的に体を翻した。出口は百メートル以上先だ。ヘッドライトの光の中を、作業員たちが走り始めるのが見えた。削岩機を放置したまま、発破技士が駆け出していく。


だが、測の足は動かなかった。


違う。動けなかった。


視線が、天井に向かっていた。トータルステーションの三脚を蹴倒しながら走り出した安藤の姿が、視界の端を横切る。測は天井を——正確には、天井のある一点を——凝視していた。


あの割れ目だ。


二週間前から気になっていた、あの不自然な割れ目。昨日の測量データと照合すると、その位置は——


思考が中断された。


岩盤が崩れた。


最初は小さな破片だった。ヘルメットを叩く衝撃。次の瞬間には、視界が土埃で覆われた。轟音が鳴り止まない。地面が揺れる。体が何かに押される。


倒れた。


背中が泥濘に沈む。手に握ったままのプリズムポールが、視界の端で光を反射している。その光が妙に美しいと思った。


天井が落ちてくる。


巨大な岩塊が、スローモーションのように降ってくる。


痛みは感じなかった。ただ、圧迫感だけがあった。胸の上に、世界の重さがのしかかってくるような。息ができない。


暗転。


いや、完全な暗闘ではなかった。


手の中のプリズムポール——その先端の反射プリズムが、どこかから差し込む光を捕らえ、虹色の光芒を放っていた。その光が、網膜に焼き付く最後の映像だった。


測量士として最後に見たものが、自分の道具が放つ光だったことを、測は奇妙に誇らしく思った。


意識が薄れていく。


痛みはない。後悔も、恐怖も、もはや感じなかった。ただ、心の片隅で、一つの問いが浮かんでいた。


——あの割れ目の座標を、記録しておくべきだったな。


それが、境井測の現世における最後の思念だった。


────


目を覚ましたとき、最初に感じたのは風だった。


湿った坑内の澱んだ空気ではない。乾いた、草原を渡る風。頬を撫でるその感触に、測は反射的に目を開けた。


空が見えた。


青い空——だが、どこか色調が違う。紫がかった青。そして、その中央に浮かぶのは——


太陽ではなかった。


二つの月。


一つは大きく、オレンジ色を帯びた黄色。もう一つは小さく、淡い青色。その二つが、昼間の空に並んで浮かんでいる。


測は瞬きをした。何度も。


幻覚だと思った。落盤による脳へのダメージ。酸素欠乏。何らかの生理的要因で、異常な映像を見ているのだと。


だが、風は吹き続けていた。草の匂い——干し草に似た、甘い香り——が鼻をくすぐる。地面に横たわった体が感じる土の冷たさは、まぎれもなく現実の触覚だった。


測は上体を起こした。


眩暈がした。視界が一瞬ぼやけ、そして再び焦点が合う。


草原だった。


見渡す限りの草原が、緩やかな起伏を描きながら地平線まで続いている。風に揺れる草は、膝丈ほどの高さで、穂先が銀色に光っている。遠くに森が見える。その向こうには、青紫色の山脈が霞んでいた。


ここは、どこだ。


測は自分の体を見下ろした。作業着——坑内作業用の蛍光オレンジのベストと、泥だらけのつなぎ——は、そのままだった。ヘルメットは失われていたが、安全靴は両足に履かれている。


手を見た。傷がない。あれだけの岩石に押しつぶされたはずなのに、皮膚には擦り傷一つない。


死んだのか。


その問いが浮かんだ瞬間、脳内に声が響いた。


《スキル取得通知》


測は思わず周囲を見回した。誰もいない。声は、確かに頭の中で鳴っていた。


《転生者ボーナスとして、固有スキル【絶対座標認識】を付与します》


転生?


《このスキルは、任意の点の三次元座標を認識する能力です。ただし、基準点の設定が必要です》


スキル? 基準点?


測は混乱した頭で、声の意味を咀嚼しようとした。だが、情報が多すぎた。落盤事故。意識の消失。そして目覚めたら見知らぬ草原。二つの月。脳内に響く謎の声。スキルの付与——


これは、夢か。


あるいは——


測は深呼吸をした。測量士としての習性が、混乱の中でも冷静さを取り戻そうとする。状況を整理しろ。観測しろ。データを集めろ。判断はその後だ。


立ち上がった。両足はしっかりと地面を踏みしめている。重力は正常。いや、わずかに軽いかもしれない。気のせいか。


周囲を見渡す。


草原は、やはり見渡す限り続いている。北——と思しき方角——には森。東に山脈。西には、何か構造物が見えた。


目を凝らす。


塔だった。


石造りの塔——おそらく高さは三十メートルほど——が、草原の向こうに立っている。距離は二キロから三キロ。だが、その塔には明らかな異常があった。


傾いている。


ピサの斜塔のように——いや、それ以上に。目測で五度から七度ほど。建築物として、その傾斜は致命的だ。通常であれば、とうに倒壊しているはずの角度。


測は瞬時に計算した。高さ三十メートル、傾斜七度として、頂点の水平偏差は約三・六メートル。自重によるモーメントを考えれば、基礎に相当な負荷がかかっているはずだ。


だが、塔は立っている。


傾いたまま、崩れもせずに立っている。


測量士としての直感が告げていた。あれは設計ミスではない。施工不良でもない。


地盤が歪んでいる。


その認識が浮かんだ瞬間、脳内で再び声が響いた。


《スキル【絶対座標認識】起動確認。現在、基準点が未設定です。基準点を設定してください》


測は反射的に足元を見下ろした。


「基準点を設定……」


声に出してみる。どうすればいい。どうやって——


思考が言葉になる前に、答えが脳に流れ込んできた。スキルの使い方が、まるで最初から知っていたかのように理解できた。


右足を地面に押しつけ、意識を集中させる。


「ここを原点とする。座標(〇、〇、〇)」


瞬間、世界が変わった。


視界に、薄い光の格子が重なった。等間隔の線が、地面から空へ、左右へ、前後へと走っている。座標軸だ。X軸、Y軸、Z軸。原点を中心として、三次元の座標系が可視化されている。


測は息を呑んだ。


遠くの塔を見る。塔の頂点に、数値が浮かんでいた。


《X:2847.3 Y:156.2 Z:32.6》


距離は計算できる。約二千八百五十メートル。方位角は北から東へ三度。塔の高さはおよそ三十三メートル。


そして——


地面を見た。原点から放射状に広がる座標格子が、微妙に歪んでいるのが見えた。本来なら平行であるべき線が、わずかに曲がっている。等間隔であるべきグリッドの間隔が、方位によって異なっている。


この世界の座標系そのものが、歪んでいる——


その認識が、冷たい衝撃となって背筋を走った。


測量士として二十年近く、境井測は座標というものと向き合ってきた。座標は数学であり、物理であり、この世界の骨格そのものだ。座標が正確であるからこそ、建物は垂直に建ち、道路は設計通りに走り、トンネルは両端から掘り進んでも中央で正確に出会うことができる。


その座標系が歪んでいるということは——


この世界では、まっすぐなものが一つもないということだ。


測は傾いた塔を見つめた。


塔が傾いているのではない。


塔自身は、おそらく垂直に建っている。だが、「垂直」の基準となる座標系が歪んでいるから、見る者の目には傾いて見えるのだ。


いや、それも正確ではない。


座標系が歪んでいれば、建物を垂直に建てることすらできない。職人たちは歪んだ「垂直」を基準に積み上げるしかない。結果として、建物は複雑に捻じれ、傾き、いずれ崩壊する——


「これは……」


測は呟いた。


「これは、そういう世界なのか」


問いに答える者はいなかった。二つの月だけが、無言で空に浮かんでいた。


風が吹いた。草原を渡る風が、測の作業着を揺らす。


遠くで、鳥の声が聞こえた。だが、それは日本で聞いたことのある鳥の声ではなかった。もっと低く、金属的な響きを持った鳴き声。


異世界。


その言葉が、ようやく実感を伴って心に落ちてきた。


自分は死んだのだ。トンネル工事現場で、落盤に押しつぶされて死んだ。そして——なぜか、ここに目覚めた。脳内に響く謎の声が言っていた「転生」という言葉が、唐突に意味を持ち始める。


異世界に転生した。


測量士としての知識と経験を持ったまま、この歪んだ座標系の世界に。


そして、「絶対座標認識」というスキルを得た。


測は再び遠くの塔を見た。傾いた塔。その向こうには、おそらく人の営みがある。町か村か、何らかの集落が。


生きなければ。


それが、最初に浮かんだ思考だった。状況を理解するにはデータが足りない。データを集めるには、この世界の住民と接触する必要がある。


測は歩き始めた。


塔へ向かって、草原を歩き始めた。


足元の草を踏みしめるたびに、視界の座標格子がわずかに動く。基準点は自分の足元に固定されているから、移動すれば格子も動く。それは当然のことだ。だが、動きながらも、格子の歪みが一定であることを確認できた。


この歪みは、自分の移動によって生じているのではない。


この世界そのものに、歪みが組み込まれている。


塔が近づいてくる。その輪郭が、次第に明瞭になっていく。石造りの円筒形。頂部には何かの装飾——風見鶏のような——が据え付けられている。窓はあるが、ガラスは嵌まっていない。開口部から覗く内部は暗い。


そして、塔の周囲に、建物が見えてきた。


集落だ。二十軒ほどの家屋が、塔を中心に点在している。木造と石造が混在した、素朴な造りの建物群。煙突から煙が上がっているものもある。


人がいる。


その事実に、測は安堵と緊張を同時に覚えた。


集落に近づくにつれて、建物の異常が目につき始めた。


傾いている。


塔だけではなかった。家々が、それぞれに傾いている。ある家は右に、ある家は左に。中には、ドアの開閉が困難なほど歪んでいるものもある。井戸の縁石が傾斜し、釣瓶が斜めに垂れ下がっている。


住民は、これを当たり前だと思っているのか。


問いが浮かんだ瞬間、人影が視界に入った。


子供だった。五、六歳くらいの、栗色の髪をした男の子。粗末な麻の服を着て、道端で何かを拾っている。


測と目が合った。


子供の瞳が大きく見開かれた。見たことのない格好の人間——蛍光オレンジのベスト、泥だらけのつなぎ——に対する、当然の反応だった。


「あ——」


測が声をかけようとした瞬間、子供は踵を返して走り出した。


「ママー! 変な人がいるー!」


その叫び声が、静かだった集落に響き渡った。


数秒後、複数の人影が家々から現れ始めた。男たち——農具や棍棒を手にした——が、警戒の目で測を見つめている。


測は両手を上げた。敵意がないことを示す、万国共通——いや、異世界でも通じることを祈る——のジェスチャー。


「待ってくれ。私は——」


言葉が通じるのか。その不安が、一瞬だけ頭をよぎった。だが、次の瞬間、奇妙な感覚があった。口から出ていく言葉が、自分の知らない音韻に変換されているような——


「——怪しい者ではない」


男たちの表情がわずかに緩んだ。言葉が通じている。


だが、警戒は解けていなかった。最も体格の良い男——おそらく三十代、日焼けした肌に筋肉質の体躯——が、一歩前に出た。


「お前、どこから来た。その格好は何だ」


質問というより詰問だった。測は落ち着いて答えようとした。


「私は——」


どこから来たのか。それを説明する術があるだろうか。「別の世界から来た」と言って、信じてもらえるだろうか。


「——遠くから来た旅人だ。道に迷った」


嘘ではない。ただし、全てを語ってもいない。


男は訝しげに測を見つめた。視線が、蛍光オレンジのベストに留まる。


「そんな布、見たことがない。染料は何だ」


「これは……私の故郷の、作業着だ」


「作業着? 何の作業をする」


「土地を測る仕事だ」


その言葉に、男の表情が変わった。


嘲笑ではなかった。困惑だった。


「土地を……測る?」


「そうだ。距離や角度を正確に測り、地図を作ったり、建物の位置を決めたりする」


男は周囲の者たちと顔を見合わせた。何かを確認するような視線のやり取り。


「お前、『測り師』なのか」


測り師。


その言葉に、測は反応した。この世界にも、測量に類する職業が存在するのか。


「……そう呼んでもらっても構わない」


「だが、『測り師』はとうの昔にいなくなったと聞いている。千年も前に」


千年前。


その時間の単位が、何かを暗示しているように感じられた。千年前に何かが起きた。測り師——測量士に相当する職業——が消滅するような、何かが。


「私は、遠い場所から来た。この土地のことは、よく知らない」


測は慎重に言葉を選んだ。情報が欲しい。だが、不用意な発言で敵意を買うわけにはいかない。


「見ての通り、武器は持っていない。危害を加えるつもりはない。ただ、少し休ませてほしい。そして、できればこの土地のことを教えてほしい」


男は数秒間、測を見つめ続けた。その目は疑念と好奇心の間で揺れているようだった。


「……村長に話を通す。ついて来い。ただし、変な真似をするなよ」


測は頷いた。


集落の中へと足を踏み入れる。周囲の住民たちの視線が、好奇心と警戒心を混ぜ合わせたものとして、背中に突き刺さる。


だが、測の注意は別のところに向いていた。


歩きながら、視界の隅で座標格子を確認し続けていた。基準点は自分の足元に設定されているから、移動すれば座標系も動く。だが、その動きの中で、歪みのパターンが分析できる。


この集落を中心として、座標系が放射状に歪んでいる。


まるで、何かに引っ張られるように。あるいは、何かが押し広げているように。


その中心は——傾いた塔の真下あたりにある。


測量士の本能が告げていた。


あの塔の下に、何かがある。


この世界の歪みの、原因となる何かが。


その謎を解くことが、自分がこの世界に転生した意味なのかもしれない——


そんな予感を抱きながら、境井測は歪んだ村の中へと歩を進めた。


傾いた塔が、空に聳えていた。


二つの月の下で、その塔は千年の沈黙を守っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ