勝手に人様の部屋覗いてんじゃねえよ
如月香澄と牟田薺が笑顔でこちらに手を振っている。二人は一度顔を見合わせ小さく頷き合うと、こちらを向いて踊り始めた。ATMの『マーガリン』のサビに合わせ、恥ずかしそうにはにかみながら。画面には「思わずドキッとしちゃう異性の仕草」とテロップが出る。三位は「授業中の頬杖」で、二位が「ジュースを飲むときののど仏」、一位は「コメント欄で」と表示された。すぐさまコメント欄をタップすると、「腕を組んだ時の筋肉」と書かれていた。
如月がTikTokにあげた動画だ。如月はだいたい週に一つのペースで動画をあげていた。承認欲求が強いのかなとも思うけど、僕としては自然と如月のおかず……、もとい、コレクションが増えるのでありがたい限りだ。
「……筋肉か」
ベッドに横になりながらその動画を眺め、僕はひとりごちる。いつしか眠る前に如月のTikTokを眺めるのが日課になっていた。姿見の前に行き腕を組んでみる。白く細く貧弱な僕の腕には、筋肉らしきものは何も浮かばない。浮かぶのは情けない自虐的な笑いだ。なんともまあ、頼りない姿だこと。森岡のように、否、ATMのように誰もが振り返るイケメンであれば、今の状況は違ったのだろうか。そんなことを考えては勝手に落ち込む。それも日課の一つだった。
ま、考えたって仕方がないし、凹んだって仕方がない。僕はその点とっくに受け入れていた。現実はどうやったって覆らないのだ。
パソコンを立ち上げYouTubeを開き、ATMのライブ映像を再生した。一体何が魅力的なのか、正直さっぱりわからない。皆一様にスラッとしていてイケメンなのは認めるけど、どことなくマネキンみたいだし個性がない。シャッフルしたら見分けがつかなくなりそうだ。
「ダンスねぇ……」
またもひとりごちりながら、マネして身体を動かしてみる。
あなったを〜、愛してるぅ〜、こっころから〜、愛してるぅ〜、その笑顔を〜守る〜たぁめぇにぃ〜、ぼくはぁ、うま〜れ〜た〜のさぁ♪
適当に踊り始めると、ちょっとテンションがあがってきた。身体の芯が熱くなり、まるで自分が多くのファンに囲まれている気がしてくる。
さあ〜、はずかしが〜らぁずぅ〜、この手ぇをぉとぉってぇ〜♪
気が付くと、呼吸が荒くなっている。踊るってことは、結構な運動量になることを知った。そりゃ気持ち同様脂肪だって燃えるってものだ。彼らが皆一様にスラッとしているのも頷ける。
こころのぉ〜まぁまにぃ〜、こころのぉ〜まぁまにぃ〜、そのふくぅうをぉ〜、ぬ、ぎ、す、てぇ〜♪
なんちゅー歌詞だ。でも、別に気にしない。僕は肩で息をしながらTシャツを脱ぎ捨てた。スマホをパソコンに立てかけ、録画を始める。
きのむくぅ〜まぁまにぃ〜、みちびくぅ〜まぁまにぃ〜、ふたりでぇ〜あゆんでぇ〜、い〜こぉ〜ぉう〜♪
黄色い歓声が聞こえる。客席に手を振ると、歓声はさらに大きくなった。ふと見ると、スタンド席の最前列で如月香澄が歓声をあげていた。僕がウインクすると如月は口を手で覆い、小さく飛び跳ねた。
と、突然ステージに男が乱入してくる。森岡だ。森岡は僕を見て「てめぇ」と唾を飛ばした。その手にはナイフが握られている。バカな奴だ。幾ら勝ち目がないとはいえ、こんなことをしても蓋然性が覆ることなどないのに。
森岡は「お前さえいなければ〜」とか小者染みたことを叫びながら突進してくる。何事か察知した観客席から悲鳴があがった。如月も驚き悲痛な叫びを上げるが、相手を誰だと思っているのだろうか。
僕は森岡のナイフをさっとかわすと、手刀でナイフを握る手を一打、ナイフがカランとステージに転がった。流れるようにナイフを遠くへ蹴り飛ばし、右手に拳を作ると、そのまま森岡のお腹めがけ、突く。「ぐふぅ」とこれまたザコキャラ定番の嗚咽を漏らしながら森岡が膝から崩れ、ステージに沈んだ。一瞬の静寂、そして、歓声。僕は優雅に客席に向かってお辞儀をする。そして、下げた頭を少しだけ上げ、最前列の如月を見つめた。如月は緊張が解けたのか、その場にへたりと座り込んでしまう。僕はステージを軽やかに降りると、如月の前にそっと跪いた。右手を差し出すと、如月がゆっくりとその上に掌を重ねてくる。
「これからも、二人で歩もう」
そう言うと、如月は目から涙を零し、ゆっくりと、だけども何度も頷いた。それを見て僕は思わず、抱き寄せる。
「香澄、愛してる……」
ってところで動画を止めた。アホだ、アホだ、マジでアホだ。我ながら自分のアホさ加減に笑いがこみ上げてくる。気が付くと結構な汗をかいていて、呼吸が荒い。だけど、なんとも言えぬ高揚感があった。これは、いいかも。なんかテンションあがるし、結構な運動になるし。絶対他人には見せられないけど。
スマホを手に取り、そのままベッドに腰掛けた。撮影した動画を再生してみる。アホが一人上半身裸で躍り、悪漢から恋人を守る寸劇をしている。自分でも擁護できないくらいに、アホだ。
「マジでバカだなぁ」
と、違和感に気付いたのは、その時だ。
動画は、僕の使っているデスクにあるパソコンのディスプレイにスマホを立てかけて撮影したものだ。その位置からだとベッドと窓が写ることになる。その窓に、何やらおかしなものが写っていた。動画を最初から再生してみる。上半身裸の僕が躍りながら、躍っているというより酔っ払いの千鳥足って言った方が正解なんだけど、右へ左へと手足を振り回しながら移動している。そのうち、僕が窓を遮った瞬間、そこに人影が現れた。窓からこちらを覗く、女の人の姿が。
思わず、窓を振り向く。カーテンが開け放たれた窓には、部屋の照明と室内の様子が薄く反射し、そこに窓外にある外灯とそれが僅かに浮かび上がらせた住宅街の輪郭が黒く重なっていた。
ありえない。
窓を開け、顔を突き出した。そこにはなにも、ない。人が立てるようなベランダも、スペースも。そもそも、僕がいるのは所狭しと家が敷き詰められた住宅地にある一軒家の二階で、窓の外は道路に面しており、向かいの建物までは結構な距離がある。仮に向かいの建物から人が覗いていたとしても、こんな風には写らないはずだ。
僕の背筋に冷たいものが走った。腕を見ると、鳥肌が立っている。
これは……。
僕は牟田薺の言葉を思い出す。
香澄の気を引きたかったらね、カラオケよりもATMよりも、めっちゃ怖い怪談とか心霊動画を持って来ないと。
「きたぁ!」
思わずガッツポーズをした。まず間違いなく、これは怪奇現象と呼ばれる中の心霊映像ってやつになるはずだ。だってこの女性、普通の人間がこんな風に写るのは不可能だもの。なんだか虚ろな目をしてるもの。肌の色も土色だもの。いつの間にか消えるもの。
これをネタに如月と話そう。なんたって、僕が自らの手で撮影した正真正銘ホンモノの心霊動画だ。ネタにならないはずがない。
動画の中では僕が上半身裸で踊り、悪漢と戦っている。「香澄、愛してる……」と自分で自分を抱きしめている。
……いや、待て。これを、見せるのか?
こんな恥部のオープンザワールドな動画を?
無理無理無理無理無理に決まってるてかダメでしょあかんでしょ嫌われる通り越して存在抹消でしょうよ。
そのままベッドに倒れ込んだ。思わず、「あ〜」と呻き声が漏れる。折角チャンスを掴んだと思ったのに、そのチャンスが諸刃の剣、むしろ自殺行為に近いものなんて、なんたる残酷さ。希望を見せといてかっさらう。神とはかくも無慈悲なものなのか。
なんとかならないものかと再度動画を見てみるけど、半裸で乱舞する自分はどうやったって誤魔化せそうになかった。これは、ダメだ。
「勝手に人様の部屋覗いてんじゃねえよ!」
何者かもわからない幽霊に向かって悪態をつく。が、ついたところで何も変わらない。せめて普通に過ごしてる動画だったなら……、と考えたところで思いついた。
そうだ、もう一度撮影すればいいのだ。今度はもっと普通の、他人に見せられる内容で幽霊を写せばいいのだ。なんでこんな簡単なことに気付かなかったのか。そうと決まれば早速、というわけで僕はスマホ片手に撮影を始める。さあ、何者かわかんないけど女性の幽霊よ、どうぞ好きなだけ部屋を覗いてくれ。僕はスマホの録画ボタンを押した。
こういう、好きな子を守るとか、自分が歌手とかになって好きな子が黄色い声援あげてくれる妄想とかよくするし今もするけど、誰もが通る道ですよね・・・?