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舐めるな、陰キャを

コロナが世界を一変させたのに、変わらないものもある。

僕が陰キャで片想いのあの子には手が届かないという事実だ。

そんな僕の、文化祭ので出来事の記録だ。

「樹、進路どうすんの?」と佐藤晋作に聞かれ、僕は指に挟んでいたプリントを机の上に放った。そのまま着地してくれるかと思ったのに、ナウシカのメーヴェの如くスイッと風を捉え、机の端から身投げしてしまう。なんだよ、と身を屈め、床へダイブしたプリントへ手を伸ばした。進路調査書が落ちるってなんだか不吉だ、と自然と溜息が漏れる。

「目指せ東大?」

 茶化すように晋作が笑う。マスクをしていても、口元が意地悪く歪んでいるのが見て取れた。そんなわけあるかと突っ込みを入れ、黒板を見つめる。提出は一週間後、と書かれている。その一週間で自分の未来を決めるなど、とても不可能に思えた。この先自分どころか世界がどうなるかもわからないのに、何を決めろと言うのか。

 

 コロナ、という単語を耳にし始めたのは、高校受験を控えた中学三年の冬だった。志望校を特段高めに設定していなかった僕は、冬休みも正月もそこそこ自由に過ごし、なんなら卒業記念に小旅行でも、と晋作と計画するくらいだった。ところが、年が明けてコロナ感染者が国内でポツポツと見つかり始めると、雲行きが怪しくなった。中学は休校となり、オリンピックは延期。受験はなんとか行われたものの、折角合格した高校の入学式すら中止された。緊急事態宣言なるものが発令され、高校生活も授業はリモート。クラスメイトの顔を見ることもなく、行事は悉く中止。林間学校、体育祭、文化際などなど、どれもが幻の行事となってしまった。

 世間は言う。大切な青春時代を、二度と来ない青春時代を、コロナで潰されるなど可哀想な世代だと。

 舐めるな、と僕は言いたい。例えコロナであろうとなかろうと、林間学校や体育祭、文化際、果ては部活動やら放課後の狂騒などは、全て明るく健全で社交的で友好的で熱狂的で髪の毛なんかセットしちゃうような、言うなれば陽キャが楽しむ為のものだ。断言しても言い。彼ら、もしくは彼女らは、コロナであろうがなかろうが、勝手に楽しむ。なんだったらコロナに感染したことでさえ、ダリーとかキチーとかアホーとか言いながらネタにしてしまう。だから、陽キャなのだ。

 それに比べ、僕のような日陰でそっと息を殺す部類の所謂陰キャは、コロナで軒並み中止になったイベントを惜しいなんてちっとも思わない。卒業アルバムで自分の写真を探すような、そのくせ顔写真しかねえじゃねえかと突っ込みを入れる虚しさなんて、経験したいと誰が思うだろうか。だから、コロナは正直神様が僕らに与えたせめてもの慰みにすら思えていたのだ。ホント、舐めるな、陰キャを。


 黒板に書かれた文字を見、深く溜息が漏れた。進路調査書の期限と一緒に、「文化際に向けて」と書かれている。最悪なことに、ここへ来て文化際が復活してしまったのだ。規模は縮小、出店など密になる出し物は禁止であり、あくまで体育館で各々のクラスが簡単な出し物をするだけとのことだったが、復活には違いない。なんてこった、と頭を抱えたくなる。担任の日高先生が文化際の復活を告げた際にはクラスを歓声が包み込んだが、当たり前のように僕は沈黙していた。なんだよ、もっと頑張れよコロナ、とコロナに向けて抗議したくて仕方がなかった。

 あーあ、と机に突っ伏し、そのまま僕の視線はゆっくりと左側に移動する。窓際から二列目、前から三番目に目的の背中を見つけ、わかっているのに思わずその背中に吸い込まれた。如月香澄。黒く腰までの長さがある髪の毛が蛍光灯と窓から差し込む光を吸収反射し、キラリと艶めいている。如月香澄は何を考えているのだろう。そんなことを考える。


 コロナが少し落ち着いた頃、僕たち新一年生は初めて顔を合わせることになった。モニター越しでなんとなく顔は知っているクラスメイトを初めて間近で見た時はちょっと感動した。ずっと遠くに行っていた古い友人と再会したかのような感慨深さを憶えたほどだ。皆一様にマスク姿なのも、どこか共通のアイコンのようで妙な連帯感すら感じる。しかし、残念ながら僕のクラスでは雷に撃たれるような衝撃的な出会いはなかった。マスクで素顔がよくわからないというのもあったのかもしれない。いずれにせよ、僕は少し落ち込み、幼馴染みの晋作のクラスを覗きに行った。ドアを開け、晋作の姿をさがしたところで、僕の視線は一人の女子生徒に吸い込まれた。如月香澄。

 この時、僕は知った。一目惚れは時が止まると言うけれど、あれは嘘だ。時は止まらない。彼女以外の世界が消えるだけだ。


「そろそろ捕まるな」

 晋作の目が笑い、僕は「ほっとけ」と返す。

「話しかけて来いよ。折角同じクラスになれたのに、まだ話したことないだろ?」

 それが出来ないから陰キャなのだ。無言で荷物を鞄に詰め始めると、晋作が大袈裟に「オトメかお前は」と溜息を吐くのが聞こえた。溜息を吐きたいのはこっちだ。

「如月ー」と間の抜けたような声がして、僕は視線をあげる。クラスでも一、二を争う陽キャの森岡が右手を挙げながら如月に歩み寄って行った。「カラオケ行こうよ」とあまりにもナチュラルに誘うので、思わずすげえなと感嘆を漏らしそうになる。

「えー、今日はちょっといいかなー」

 如月が小さく首を振る。

「いいじゃんか。俺、ATMの『マーガリン』ならかなり完璧に踊れるぜ」

 森岡が得意そうに胸を張る。

 ATMというのは、今流行中の韓国のアイドルダンスグループだ。正式名称はAt The Morningで、午前中の爽やかさをダンスと歌で表現するためのグループ、なのだそうだ。なぜ森岡がATMを誘い文句に出したかというと、単純明快、如月香澄が最近ATMの『マーガリン』を躍る動画をTikTokにあげていたからだ。

「一緒に踊ろうぜ」

 森岡はその場で軽やかにターンしてみせる。高い身長と長い手足、そして柔らかい髪の毛がフワリと躍るのが見えた。

 ところが、如月には全く通用しなかったらしい。「遠慮しとく」と手をひらひらさせ、「ごめんね」とそのまま両の掌を合わせた。断られると思っていなかったのか、森岡は「うそー」と大袈裟に仰け反ってみせる。あからさまに落胆しないのも、陽キャたる由縁だ。

「あー無理無理、そりゃ無理よ」と必要以上に無理を連呼しながら如月と森岡の間に牟田薺が割って入った。牟田は如月の友人で、僕が集めた情報によると如月の幼馴染みらしい。「香澄の気を引きたかったらね、カラオケよりもATMよりも、めっちゃ怖い怪談とか心霊動画を持って来ないと」

 途端、如月が「ちょっと薺!」と牟田を小突いた。恥ずかしいエピソードを暴露されたかのように、頬を赤らめている。

「なんで?」

 当然のように森岡が返した。

「香澄は生粋の心霊オタクなんだって」

「マジで?」

 心の中で僕も同じ声をあげていた。これまでの如月の、偶然僕が見たり聞いたりした情報の中ではそんな話は一ミリたりとも出たことがなかったからだ。

「意外だな」

 隣の晋作がそう言い、僕も「意外だわ」と頷く。そして、鞄を手に持ち、教室を後にした。どれほど如月を盗み見ようとも、情報を得ようとも、僕が森岡のように如月と会話する日は来ないだろう。そんなのわからないだろ、と言うかもしれない。でも、それがなんとなくわかってしまうからこそ陰キャなのだ。何度でも言おう。舐めるな、陰キャを。

コロナで青春が潰れたーってニュースを聞いた時、自分を振り返って思った。

「あ、でも僕の青春、そんなに変わらないかも」

僕が青春時代を過ごしたのなんてもう20年以上昔のことだし、もはや記憶もあまりないけど、少なくとも華やかではなかったのは確かだ。

彼女、できたことなかったし。

そんなヤツが、コロナ禍で青春時代を過ごすことになったら、どうしたんだろう?

これはそういうアホな妄想から生まれた物語である。

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