卒業
時計はもうすぐ午前10時になるところだった。卒業記念パーティの翌朝、大騒ぎの後の女子学生寮は、まだ3分の1が眠っており、3分の1はバスルームとその近辺で、人前に出てもいい自分を取り戻す作業の只中、残りの3分の1はさっさと荷造りを終えて就職先か実家かへすでに旅立っていた。
「ねーサユキ、シャワー借りていい。リンシーったらもう40分もバスルームから出てきてくれないの。」
「いいよラウラ。わたしたちは終わってる。」
「んーサンキュー。」
そそくさと入ってきた隣室の住人は昨夜のパーティ用のラメの入ったアイシャドウの名残を眠そうなまぶたにつけたまま、バスルームへと共有リビングを横切って行った。サユキと呼ばれた黒い髪の娘は膝の上にタブレット端末を伏せて、無言でそれを見送る。そっけないところもあるけど、友達思いのいい子だったな、とラウラは寝ぼけた頭で考える。たぶんこれが彼女との最後の会話になるのよ。専門学校の同級生なんて関係はそんなもん。ひょっとしたらこの後一生会わないってことだって十分あり得る。あたしだって今夜にはロンドンだよ。サユキとマリハはルナスリー・コロニーだって言ってたじゃないの。
「サユキ、いろいろあったけど、あなたのこと好きだったからね。連絡してね。」
「わかってる、ラウラ。ゆうべもさんざん言ったじゃない。ずっと友達よって。」
「そうだっけ。…そういえばマリハは?」
「……行ってる。」
「え、どこへ行ってるって?」
「最後のデート。」
「ああ、例のパイロットの彼氏。別れちゃうの?」
サユキは黙って肩をすくめて見せた。眼がこれ以上聞くなと言ってる気がして、ラウラは黙ってバスルームのドアを開けた。
半世紀前なら大学卒業にあたる「専門学校卒」も社会における価値はずいぶん下がった。今や本物の大学は宇宙にしかない。そこに行けるのは本当に知の巨人といえる人たちだけ。だからわたしもサユキもここで学んだのはいわば応用対人スキルだけといっていい。高い一般教養と汎用性のある医療装置の使用資格がとれるという理由で、就職先の間口の広さは他の学校より優れてるこの学校に、入学できた時はそれなりにうれしかった。でもこの先は? 卒業して職についても仕事は医療装置にかかわるだけ。医者として私が病気を治すんじゃない。診療データを入力したらあとは機械に任せてスイッチを入れるだけの仕事。「大丈夫ですよ、すぐ終わります。痛くないですから。」そういうだけがわたしの仕事。
パンデミックで世界は変わった。それ以前と比べて人口は三分の一になったが、病気による死者のほとんどが女性だった。女性ホルモンに乗って全身を蝕み、空気感染で広がるウイルス。弱毒化する前に子供を産める年代の女性が全滅しなかったのは奇跡だったといってよいだろう。そして外宇宙からの援助により、生き残った女の子や女性たちとその家族は人口衛星コロニーへ移住させられることになった。地上に残ったウイルスから将来の母親になる女性たちを守るための、一時的な措置だった。このコロニー建設のために、必然的に外宇宙との交流も始まった。減ったとはいえ、億単位の人数を短期間のうちに移住させるための技術だ。自前ではどうにもできなかったのだ。
そして人類は再び「神々」に遭遇することになった。
外宇宙の人々でさえ一目置く、格上の存在。それがリゼア人だった。ほんの数人でやってきた彼らは、私たち地球人類よりも小柄な体格で、宇宙空間を身体一つで自在に移動し、巨大なプラントを手も触れずに軽々と動かし、外宇宙のさまざまな人種相手に同時に意思の疎通を行った。そうやって瞬く間にできあがったコロニーへ、最後に万人単位の人々を地球上から数回に亘って瞬間移動させたとき、地球人の驚嘆はピークになった。これは人間業ではない。
―― これで移動は終わりました。みなさんが無事に新たな生活に馴染めますよう、わたしたちはこれからも支援します。
なんの音響装置も介することなく、数十万人の住民は同時にこのメッセージを聞いた。リゼア連合への加入は満場一致で決定され、私たちの地球はナ星区のソル系となった。
一方で地球上に残った過剰な男性人口は、外宇宙へ旅立つか、食料の供給のために第一次産業に転職するか、ストレスで自滅するかの選択を迫られた。そして悲しいかな三番目が最も多くて、内乱という名の小規模な戦争があちこちで起こり、さらに人口は減った。現在人口の男女比は十対六まで回復したが、これは女性人口が増えたのでなく、男性人口が減少したせいでもある。
ルームメイトが帰ってきたのは昼すぎだった。ラウラが落ち着いた色のスーツに身を包んで、よそゆきのあいさつをして寮を出てから、30分もたってない時間の帰宅だった。
「で、ちゃんとお別れは言えた?」
「……」
こっちに目を合わそうとしないことで、サユキには首尾が知れた。いつものように二人で楽しい時間を過ごしただけで、じゃまたね、と帰って来たのだろう。
「どうするのよ、きちんとお別れ言わないでおくと、探しちゃうかもよ?」
きつく言ったつもりはなかったが、とうとうマリハは泣き出してしまった。
「……やっぱりわたし、残る。このままこの星にいる。あの人と別れるなんて考えられない。」
「それは無理だって、今までに何回も言ったよね。」
聞えよがしのためいきをついて、サユキは言った。
「これは言うまいと思っていたのだけれど、」
―― あなた、王族ではないのでしょう? コスミア
いきなり音声言語をやめられた上に本名を呼ばれて、彼女はたちどころにセレタス先王の娘にもどった。
―― 何でよ、何で今そんな話なの? 関係ないでしょ、アルシノエ
―― コスミア、あなた、予知力がないのではなくて?
一度染まりかかっていた頬が緊張におおわれた。ああ、やっぱりそうなんだね。
―― わかってたら、だいたいそんな抜き差しならない感情にもがいたりしないものね。
ここへ来るとき、あなたは何一つ不安を感じてなかった。帰る時の波乱を知って、悩んでいたのは逆に私のほう。
―― 知ってたの? こうなるとわかってたのに、何も今まで教えてくれなかったの。
―― あなたにもわかってるものだと思ってたから。
サユキの顔で、アルシノエの伝え方で、いつもとちがう饒舌さで、彼女は畳みかけてくる。マリハの顔で、コスミアはうつむいた。涙がひざの上に染みを作った。
―― 成人したときに決定されたの。でもまだ変容はありうると言われてここへ来ることは取り消されなかったの。たぶんもう準備がすっかりできてて、取りやめることができなかったんだと思う。
―― 押し切られたのは先のセレタス王、お母さまでしょう。
―― そう。もちろん。
できあがってた。と、アルシノエは唇をかんだ。何もかもわかってて、送り出された。危ない橋に見えてたのは私だけ。コスミアには橋も向こう岸も、何も見えてなくて、大人たちの言葉を信じてただけ。無事帰れることがわかっていれば橋は危ないものとは認識されない。スベテヨハコトモナシ。
だったら、思い切りやってやろうじゃない。いつもは意識的に封じている「道」を全開にして覘く。あの人の思い通りにならず、コスミアの思いが叶うやり方を!
――子どものころは確かに見えてたのよ。ガルカナの洪水のときはまだ4才だったけれど、雨のにおいもくずれる街の振動も感じたの。本当に自分がその場にいるような気がして、こわくて、私泣いたわ。
言い訳のように流れてくる追想を、アルシノエは切り捨てた。方針は定まった。
―― 先のセレタス王は強いエンパシーのある方だったから。
―― え!? て…。じゃあ、私が見たと思ってたものはお母さまのおこぼれだったってこと?
―― 王位におられるときは、常に数百人に対して直にお伝えだったという話を聞いたわ。王のエンパシーは伝わるのではなく湧き上がるようにわかるものだったって。そんなことより帰るよ。いったん帰ってくれたら、私が必ずあなたをここへもどしてあげるから。
―― 無理よ。いったん帰ったら…
アルシノエはマリハの手を取った。握られてマリハの目線がサユキを、アルシノエを見た。
―― 思い出して。私たちは何のために予定より2カ月早く帰還させられるのだった?
―― それは、えー、ミトラ王の急なご退位により、継承者を決めるために、ミトラ籍の成人王族であるあなたが帰らなければいけないから。
―― そう。そして次のミトラ王は私。
―― まさか。冗談でしょう。
―― ミトラにだって何万人かの王族がいるんだよ。そこで決まったんなら、わたしのような遠方にいるひよっこにまで招集が来るわけないの。つまり、ミトラ本星には新王となる啓示を受けた人はなかった、ということ。
―― 啓示、あったんだね。
―― 啓示かどうかはわからないけど、私の予知能力は並じゃない。たぶん。