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零霊録  作者: じじ子
2/4

霊感商法

 心底訳が分からない状況の中、彼が連れてこられたのはとあるビルの地下四階。


「おい」

「うん?」

「お前この子にどういう話したんだ」

「どういうも何も、いかにも私が幽霊ですー、としか言ってない」

「あのな…最初からいきなりヘビー級のキャッチボール始めるなよ、せめてご趣味は?とかだろうに」

「あ、そう?久しぶりの他人との会話でどう話せばいいか忘れちゃってさ」

「馬鹿野郎、貴重な人材をお前のポカのせいで逃がしたらどうしてくれる」

「そしたら記憶ごとぶっ飛ばしてもらえばOK」

「どこがOKだこの阿呆」


 まるで夫婦漫才かと言わんばかりに息ぴったりのやり取りを見せるのは、先程のジャージ男ともうひとり。

 綺麗に揃えられた髭に黒のシルクハット、同じく黒のスーツ。

 恐らく見ようによってはイケオジの部類なのだろうが。


「…あーこほん、失礼」


 とんでもなく危険な人間にしか思えないのは、前後の話があまりにひどすぎるせいだろうか。

 格好いいはずの帽子もマフィアのそれにしか見えず、彼も震えて今にも帰りそうだ。


「ご挨拶が遅れました。私は八十一(やそい)と申します、どうぞ気軽にやっさんとお呼びください」

「や、じゃなくてお、の間違いじゃない?」

「誰がおっさんだ、これでもまだピチピチの四十だ」

「じゃああと四十年はずっと名前負けかあ、どんまい」

「全然悔しくないどころかこんなに勝ちたくない勝負も初めてだ」


 またやいのやいの言い争いが始まりそうだったので、騒ぎに乗じて逃げようと恐る恐るドアノブに手をかけた。


「…ん?」


 しかし何度回しても扉が開くことはない。

 それもそのはず。


「ごめんね?この部屋中からは開けられないんだよ」

「うわっ!?」


 さっきまで後ろにいたはずの声がいきなり耳元で聞こえ、ぶわっと全身を駆け巡る恐怖は鳥肌となって表れた。

 着いてこなければよかったと、後悔を頭の中でたくさんしてももう遅い。


「だから逃げないで、ゆっくり話そうか」


 がっちり肩までホールドされ、いよいよ逃げ場をなくした彼は、うなだれるように手近な椅子に腰掛けた。

 その両脇を、八十一とジャージがしっかりと固める。


「まずは君の名前を教えてくれる?あ、苗字はいらない」


 などと物腰こそ柔らかだが、気分は完全に取り調べ中の被疑者である。

 答えないと文字通り殺されそうな雰囲気の中、彼は懸命に声を振り絞った。


留加(るか)、です」

「ルカくんか、よろしくね」


 挨拶だろうか、差し出された手をおずおずと握ると、静電気のような衝撃が何故か指ではなく頭に走った。


「ッ!?」


 反射でさっと左腕を引くが、ぴりぴりと目の前が眩んだせいで、結果として相手の腕を鷲掴みする羽目になった。


「失礼…しました」


 よれたジャージの裾を見て、慌てて体勢を立て直す。

 しかし元からくたびれているおかげか、しわになってもあまり気づかなかったのが救いだ。


「どうかした?大丈夫?」

「大丈夫です、ちょっと目眩が」

「体調悪いなら一旦休んでけ、布団ならある」

「いえ、そこまでではないので…多分心労が諸々祟ったんだと思います」

「そっか、いろいろ疲れたよね。お茶でも飲む?」

「そういや茶出すの忘れてたな、しくじった。ちょっと待っててくれ」

「いやお気遣いいただかなくても、って聞いてないなこれは」


 どうやら断る気でいたらしいが、手際よく茶碗を三つ用意されては何も言えまいと、留加も改めて椅子に座り直した。


「ほんとに、せっかくの私のお客様だというのにもてなしのひとつも出来ないなんて困ったものだなあ」


 同じく椅子に座った男は、心底やれやれと言った様子で八十一の堪忍袋の緒を切りに来た。

 ブチッ、と音が鳴ったのは気のせいではない。


「ならお前がやればいいだろうが」

「別にいいよ、じゃあちょっと代わって」

「はいよ、…──おい待て、お前そのフライパンは一体何に使う気だ」

「え?お茶って炒めるものって聞いたけど?」

「よし分かったお前は座ってろ、そして二度と台所に立つな」


 結局茶は八十一が淹れる羽目になったものの、もう慣れっこなのだろう。

 無駄のない手つきとともに緑茶が三つ並んだと思えば、どこから引っ張り出したか茶菓子にせんべいまでついてきた。


「お待たせしたな。どうぞ」


 もちろん毒などが入っているわけもないのだが、つい慎重になるのは状況のせいか。

 留加はぷるぷる震える手で茶碗を持ち、覚悟を決めたように目をつぶってひとくち飲んだ。


「いただきます」


 もちろん当然のように杞憂である。

 広がったのは毒の苦味ではなく、茶葉の渋みと人肌のぬくもりだった。

 文字通り完璧な仕上がりには、ため息をこぼす他ない。


「とてもおいしいです」

「口に合えば何より。おかわりもあるからいつでも言ってくれ」

「ありがとうございます、…早速お願いしても?」

「早いなおい」


 よっぽど喉が渇いていたのだろう。

 留加は淹れたての一杯を軽々と飲み干し、八十一も笑いながら継ぎ足しに行った。


「さて」


 そして部屋にふたりきりになったタイミングで、はっきりと聞こえたのは息を吸う音だった。


「八十が戻ってきたらそろそろ本題に入ろうか?」

「…はい」


 当たり前だが、何もお茶を飲みにここまで来たわけではない。

 ただ話の内容を思うと途端に気が重くなるのか、留加はずっと下を向いたままだ。

 そんな重苦しい空気を打開するべくかは知らないが、またひとつ聞こえる息の音は彼の頭上からだった。


「はいよ、おかわり」

「ありがとうございます」

「今度は味わって飲めよ」

「善処、します」

「無理だなこりゃ」


 なんて軽口も今はとてもありがたい。

 少し和らいだ空気の間を縫うかのように、ほかほかの陶器が目の前に置かれた。


「……では」


 その湯気を横目に見ながら、今度は留加の方から口を開く。

 意を決したように、しっかりと相手の顔を見た。


「お聞きしてもよろしいでしょうか」

「そっちから聞いてくれるの?いいよ、何でも答えよう」


 言葉を詰まらせないようにするためか、湯のみを一気に傾けて喉を潤す。

 せっかくのお茶は二度も一瞬で飲み干された。


「ええと、」


 あたたかさを潤滑油に、そんな前置きで切り出される本題はとても言いづらそうだった。

 当然だろう、何故なら全てがあまりに現実離れしすぎている。

 例えば彼が今聞こうと思っていることなんかは、その最たるもので。


「先程こちらの方がおっしゃっていた、ご自身が幽霊である、という言葉は比喩でしょうか」


 幽霊だなんだとまるでからかわれているとしか思えないのだが、聞かずにはいられなかった。

 もちろん腹は立つが、ただの冗談だと笑い飛ばしてくれればある意味救われたのかもしれない。

 しかし期待とは裏腹に、男は全く別の表情を浮かべて答えた。


「んー、例えでもあり事実でもある、って感じかな?」


 事実でもある、という断言に、留加は分かりやすく肩を落とした。

 しばし生まれた沈黙の中、べしっと頭を小突く音がやけにうるさく響いた。


「痛いな、何?」

「だからどうしてお前はそうはぐらかす」

「───可能性があるのに、労力割いて懇切丁寧に説明しろとでも?」

「何言ってる。自分で連れてきたのに、その責務がないとは言わせんが」

「もとより話すつもりじゃなかったからね。ただここに連れてきて───できればいいと思っただけ」

「お前な…!」

「ま、無理だったからあとは好きにして。じゃあね」


 ひそめられた声のせいで一部聞き取ることは出来なかったものの、まるで己の格好を体現したかと言わんばかりの投げやりな態度だけははっきりと分かる。

 まだ文句を言いたげな八十一を放り、ひらひらと手を振りながら部屋を出ていく背中を見て、二人ともほぼ同時にため息を吐いた。


「全く…」


 八十一も追うのを諦めたのか、頭をぽりぽりと掻きながら心底すまなそうに詫びた。


「声を荒らげて悪いな、俺の方から話す」

「それは構いません、お手数おかけします」


 もちろん彼は何も悪くないのだが、ジャージの非礼は自身の非礼だときっちり謝るあたり人柄の良さが分かる。

 留加ももちろん責める気はない上、説明さえしてくれれば誰が相手であれ構わないと、文句のひとつも言うことはしなかった。


「じゃあとりあえず疑問からひとつずつ潰していくか」


 紆余曲折あったものの、結局質疑応答はとても真面目な内容とは思えないものを真剣に語り合う男たちの図で始まった。

 三杯目のお茶は注がれないまま。


「まずあいつについて知りたいんだったな」

「はい」

「さっき本人が例えでもあり事実でもある、と答えたのは、数十年前のとある事故のせいで、半身が人間、半身が幽霊となってしまったからだ」

「半身が…?一体どういう?」

「正確に言えば、幽霊を乗っ取ってるってことだ」

「幽霊に、ではなく?」

「を、だな」


 またも信じられないようなワードが飛び出てきて、留加は心の底から疑問符を浮かべた。

 その分かりやすい表情を見て、八十一も軽く笑いながら言う。


「有り得ないと思うだろう、こればっかりは実際に見てもらった方が分かりやすいな」


 百聞は一見にしかずとはよく言うが、見てもらうとは一体何をどうやって。

 わけもわからず八十一の次の言葉を待っていると、どこからか現れたナイフの切っ先が目に入った。

 刃渡りもかなりある、切れ味も良さそうな刃物で一体何をするというのだろう。


「え!?」


 なんて考える暇すらも与えず、その銀色は持ち主の心臓を見事に貫いた。


「どうして…!?」


 思わず悲鳴を上げ、近寄ろうとした留加を八十一は手だけを向けて静止した。


「大丈夫だ、ほら見てみな?」


 何が大丈夫なのか全く分からないが、とりあえず言われた通り見てみると、確実に一突きされているはずの部分からは血の一滴もこぼれてはいなかった。

 本当にナイフが刺さっているのか不思議に思うほどには正常だ。


「お前も今焦ったように、心臓をやられれば普通の人間はまず死ぬだろう」

「そう、ですね」

「でも俺は生きているどころか普通に話せている。何故だと思う?」


 そう、正常だったのだ。ある一点を除いては。


「女性の霊を、乗っ取っているから?」


 その、本来誰にも見抜けないであろう一点を、留加は見事なまでに見破った。

 もちろん天性の才がなければなし得ない。


「は?」


 そして今度は八十一が驚く番だった。

 目を見張り、愕然とした表情で目の前の男に問う。


「何故女だと分かった?」

「八十一さんの身体が、心臓を突く前に二十歳くらいの女性に変わったからです」

「……すげえな」


 カラクリが全て見抜かれていたと分かると、八十一はいよいよ抑えきれない笑みを頬に携えた。

 驚愕か感嘆か、複雑な感情が絡み合ったせいか乾いて気味の悪い音を奏でる。


「なるほどな……つまり、さっきのお前の「どうして」は何故自身にナイフを向けたかじゃなく、何故俺の身体が女に変わったかを聞いてたわけか」

「はい、分かりづらかったですよね、申し訳ございません」

「いや謝らんでいい、俺が余計惨めになる」


 はあ、と本日何度目か分からないため息を吐きながらも、八十一はしっかりと答えた。


「まあ簡単に言えば、俺の魂を女の霊魂に変えたからだな」

「…魂を変える?そんなことできるんですか?」

「出来てるから俺は今死なないでいるんだろう?」


 とても信じられないが、だからこそ八十一は自分の身体を使って証明して見せたのだろう。

 確かにこれ以上分かりやすいものもない。


「もちろん霊だって人だし、相性こそあるが、共鳴すれば思うがまま操ることも可能で、幽霊にできることなら基本何でもできるようになる」


 言いつつナイフをさらに奥に押し込み、「例えばこんな風に、霊は既に死んでるからいくら刺されても痛くも痒くもない」と笑えないジョークまで挟んできた。


「なるほど…魂を貸す代わりに霊の身体を借りるということですか」


 しかし留加はツッコむどころかうんうんと頷きつつ、ふと気づいたように聞いた。


「もちろん霊であれば何でもいいというわけでもないんですよね?」

「ああ、霊もそれぞれ階級が割り振られるんだが、自分の霊力より低いものしか見ることも使役することも出来ないし、悪霊や怨霊なんてもってのほかだ」


 後半の台詞は常識でも当たり前といえば当たり前なのだが、霊にも階級があるというのは初耳である。

 留加はぽんぽこ出てくる新情報を何とか飲み込もうと腕を組んだ。


「従えるのにも条件が必要で、霊力というものが大きく関わってくるということですか」

「ああ、霊力は生まれながらにみんな少なからず持ってはいるが、最低階級の霊を視認できるほどの力を持つものですら稀だと言われている」

「俺は結構レアなケースなんですね」

「そういうことだな」


 話す中である程度掴めてきたらしく、組んだばかりの腕はすぐさま解かれた。


「じゃあ、俺が今見ている霊は俺よりも階級が低いと」

「ああ、なんなら今憑くこともできると思うぞ。やってみるか?」

「いえ、ちょっとまだ理解するのに必死ですし、それに」


 考え考え話す言葉はゆっくりとしていたが、必死に理解しようとしていることが伺えた。

 だから八十一も急かすことなくじっと次の言葉を待った。


「先程の話が本当なら、こちらの女性は悪霊でも怨霊でもないということですよね」

「そうだな、一応は」

『じゃあ突然身体を借りるわけにもいかないので、親しくなってからご本人に了承を得ることにします』


 霊を霊ではなく人として扱う留加に、八十一もはっとしたように目を見張った。

 そしてすぐに口元が弧を描く。


「……いい子だな」


 ぽん、と頭を撫でたのは褒めるためだろう。

 相手の突然の行動に戸惑いつつ、留加は嬉しそうに笑って言った。


「大人になると頭を撫でられるなんてこともないので、嬉しい半面ちょっと恥ずかしいですね」

「んじゃいっぱい撫でてやる、おら」

「うわっ!?」


 わっしゃわしゃ髪の流れが変わるほど撫で回され、気づくとスーツにはそぐわないボサボサ頭が爆誕した。

 あまりの酷さにぶっ、と吹き出したのはお互いだ。


「なんというか、緊張してた自分が馬鹿らしくなりました」

「それでいい。変に身構えずいてくれ?」


 やり取りの中で一枚心の壁が取り払われたのだろう、留加は少し体勢を崩すと、今度は屈託もなく言った。


「実は、もうひとつお伺いしたいことがありまして」

「なんだ?」

「悪霊や怨霊というのも目で見ることは可能なんでしょうか」

「もちろん。いろいろ形態はあるが、全て黒い何かに共通している。影だったり、煙だったり、階級によっては人そのものの奴もいる」

「ということは、俺がここに来る前に見た黒いもやも霊の類だったってことですか」

「そうそう、……ちょっと待て、お前今なんて言った?」


 留加にとってはなんでもない言葉だったはずが、何故か八十一はとんでもなく驚き、問いただすように肩をがっつり掴んで言った。


「ここに来る前に黒いもやを見たって?」

「っ、と…はい、ふよふよ浮いてたのを見ました」


 てっきり何かだめなことでも言ったのかと目をぎゅっとつむった留加に、八十一はビンタではなく優しい笑みを返した。


「よくやった。お手柄だ」

「え?」


 それだけ言うとすぐに険しい顔になったが、瞼を閉じたままの留加が気づくことはない。

 そして説明もなしに部屋の扉に向かって叫ぶ。


世羽(よはね)、仕事だ」


 呼び名に応えるように、向こうからは出ていったはずの声がした。

 若干苛立っているようだが、立ち去らないあたり話は聞いてくれるらしい。


「何、もう探偵もどきは飽きたんだけどな」

「今回は人間じゃない。お前でも見えないほどの化け物が相手だ」


 化け物、という単語には、ドア越しでも分かるほどの殺気が返事をした。

 ぶるりと空間が震える。


「へえ、それは最高だね」

「だろ?」


 ふ、とお互いにこぼれる息が呼応した。

 その音を聞きながら留加は思う。


「……とんでもないところに来てしまったかもしれない」

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