24.後日談
わたしとゼストが晴れて恋人同士になってから数日後。
学園内のカフェテリアで、わたしはアニーとともにランチのプレートを持って、ゼストとシン君を探していた。先ほどの授業は男女別だったので、ゼストたちは先に席を取っておくといってくれたのだ。
数日前までのくせで、ついキョロキョロと人の少ない隅の席ばかり見ていると、アニーに肘でつつかれる。
「あそこじゃないかしら?」
親友のヘイゼルの瞳で示された先には、人だかりができていた。
うわ、と、思わず足をとめてしまう。
アニーがわたしの隣で同じように足をとめて、面白がっている口調でいった。
「モテているわね、ゼスト君」
そうなのだ。
ユリウス殿下の偽つがい宣言事件があった後、わたしとゼストの知らない間に学園内では、
『ユリウス殿下は実は龍族国の王太子殿下だった!』
『だけど殿下は龍化できなくて、ほとんどの龍族が今やできないらしい』
『あの庶民の龍族は、魔法はてんでダメだけど龍化だけはできるそうだ』
という噂が駆け巡ったらしい。
まあ、閉鎖的な龍族国の新情報だ。みんなが盛り上がるのはわかる。この分だと学園内だけでなく、すでに王宮や社交界にも伝わっていそうだ。そこはちょっとげんなりする。
おまけに、この状況下でユリウス殿下は寮の自室から出てこなくなった。一応、自主謹慎という扱いではあるけれど、実際のところどうなのかは不明だ。
これが人族なら、たとえ王太子殿下だろうと突然クラスメイト相手に攻撃魔法を放つのは大問題だし、学園側も厳しい処分を下しただろう。
だけど龍族となると……、どうだろう? わたしが報告に行ったとき、担任の先生は明らかに青ざめていたし、学園長でさえ難しい表情だった。
まあ、お偉いさんの政治事情に関わる気はない。ルーンの頃はそれで散々な目に合ったのだ。今世のわたしは学園生活をエンジョイするのみである。
ただ、ユリウス殿下の自主謹慎は、思わぬ余波もあった。
ゼストの周りに人が集まってくるのだ。それはもうわらわらと。
今までユリウス殿下にべったりでゼストには見向きもしなかったA組やB組の面々まで、手のひらを返して寄ってくる。現代では貴重な龍化能力持ちというところが非常に魅力的に映っているらしい。
ふーん、ゼストは昔からずっと魅力的なひとですけどね! 龍化とか関係なく格好良いでしょ!
ちなみに殿下の偽つがい宣言の動機については、『一人の女子生徒を龍族同士で取り合っての三角関係』という噂も一瞬流れたらしい。でもみんな、女子生徒の実物であるわたしを見たら『それはないでしょ』となったらしい。泣くわよ? 最終的には『ユリウス殿下は同じ龍族のゼスト君があんな冴えない人族の女に入れ込んでいるのが許せなかったのだ』ということで落ち着いたらしい。ちょっと待て。
わたしだって、メイクして着飾ったらそれなりに可愛くなるんだから! たぶん!
思い出して憤慨していると、人だかりの中央に座っているゼストが、夜会やらお茶会やらのお誘いを一通り断っていた。
傍らに立っていた公爵家のご令息がパンパンと手を叩いて「ここまでだ」とお誘いタイムの終了を告げる。あのご令息はここ数日、交通整理のごとくゼストに集まる人々をさばいていた。なんでも「筆頭公爵家の次期当主として、龍族国との円満な関係を維持することも自分の務め」なんだとか。まだ学生なのに気苦労が多そうでちょっと気の毒である。
集まっていた生徒たちが残念そうに引いていく中で、一人だけ、ゼストに向かっていく男子生徒がいた。
ご令息の眉がきりりと吊り上がる。立ち去ろうとしていた生徒たちも足をとめて振り返っている。
しかし男子生徒は周囲の空気に気づいた様子もなくいった。
「ゼスト君、今度我が家で夜会を開くんだ、ぜひ君も来てくれたまえ」
「すみません、俺はそういったお誘いはお断りしていて」
「なに、庶民だからといってそうかしこまらなくともいいさ。僕の妹を紹介してあげよう。我がエルダ侯爵家の真珠姫だ。この学園の一年生だからね、君も噂くらい聞いたことがあるだろう? たぐいまれな美しさと慎み深い人柄を兼ね備えた社交界一の淑女さ。縁談も山のように来ていてね」
「はあ、そうなんですか。でも、俺は」
「君は龍族だからな、特別にこの兄が許可しよう。妹を灯花祭のパートナーに誘うといい!」
シーンと辺り一帯が静まり返った。
人間、あまりに予想外な言動を目にするととっさに反応できないものだ。誰もが耳を疑うような顔をして男子生徒を見ているし、公爵家のご令息は固まっている。
いくらわたしが『冴えない人族の女』呼ばわりされていようとも、周りにはつがい認定されている仲なのだ。ゼストに誘いをかける生徒たちだって、あくまでお友達になりたいだけという体を装っていた。それを、こうも露骨に口にするとは。
わたしも呆気に取られて見ていたけれど、不意に気づいた。
───あの男子生徒、学期始まりにあった実力テストのときに、ゼストの前で聞えよがしに「龍族でも庶民は無能なんだな」なんていっていた連中の一人じゃない!?
絶対そうだ。いくらなんでも手のひら返しをくるっくるとキメすぎじゃない? 悪口はいった方は忘れてもいわれた方は忘れないんだからね。いや、ゼストはおっとりしているから忘れているかもしれないけれど、わたしは覚えている!
わたしが怒りとともに足を踏み出そうとしたときだ。
ゼストが穏やかで、ちょっと浮ついている甘い声でいった。
「ごめんなさい。俺はルーナちゃんが好きなんです。だから灯花祭のパートナーはルーナちゃんにお願いしようと思っています」
その微笑みのキラキラしたことといったら……!
わたしは離れて立っていたのに視界ごと灼き尽くされた気がした。眩しい。ゼストの甘やかな微笑が眩しすぎる。この世の美の化身みたいになっている。
アニーがぼそりといった。
「恋する乙女は綺麗になるというけど、恋する男子も格好良くなるのね。ゼスト君の甘さにわたしまで胸焼けしそうだわ」
「いや、アニー、ゼストは昔から格好良いから」
「砂糖の上に蜂蜜をかけるような言動は慎んでちょうだい」
しかし、男子生徒はしぶとかった。
「いいから夜会に来たまえ。妹を一目見れば、君もすぐに気が変わるさ。ファリア嬢なんて十人並もいいところ、夜会では壁の花になるしかない冴えない容姿だろう。真珠姫と呼ばれる妹とは比べ物にならないね」
───よーし、あの男子生徒の頭上に創世魔法で海を作って落としちゃってもいいかな!?
わたしが前世のごとく口悪く『この野郎』と思ったときだ。
ゼストが不思議な笑い方をした。怒りでもなく、冷ややかでもない。あえていうならこれは『冗談でしょう? まさか本気でいっていないですよね?』とでもいうような。
「美的感覚は人族それぞれでちがうと聞きますから、そういうこともあるんでしょうけど、それにしたって……」
ゼストが今度は明らかな苦笑を浮かべる。
わたしは途端に嫌な予感がした。まずい。わたしはプレートを持ったまま駆け出す。だけどゼストが口を開く方が早い。
「あなたにはわからないんでしょうか? ルーナちゃんは世界で一番綺麗なんですよ? 壁の花になるなんてありえませんね。容姿からしてあんなに綺麗なのに、心も信じられないくらい綺麗で魅力的なんです。少しでもルーナちゃんと一緒に過ごしたら誰だって恋に落ちてぐっ」
最後までいわせなかったわたしを誰か褒めてほしい。
わたしは片手でランチプレートを握ったまま、もう片方の手で物理的にゼストの口を塞いでいった。
「もっ、もう、ゼストってば、そういうリップサービスは二人きりのときだけでいいってばー!!!」
棒読みながらも焦りの混じった叫びは、ゼストではなく周りに聞かせるためのものだ。
ゼストは反論があるといわんばかりにわたしを見るけど、そんなものは無視である。やめて。世界で一番綺麗とかはやめて。わたしだって自分のことを『着飾ったらそれなりに可愛くない?』とか思っているし、お洒落した日には『今日のわたしは最高!』という気分になるけれど、さすがに『誰だって恋に落ちる』は厳しい。
わたしがゼストの口を塞いだまま「も~ゼストってばすぐノロケちゃうんだから~」と棒読みを続けると、周りの生徒たちもようやく腑に落ちた顔をした。
『あらあら恋で盲目になっているんですわね』とか『つがいへの盲目さって怖すぎませんか』といわんばかりの顔をされる。くっ、これはこれで悔しいな。
元凶の男子生徒はなおもゼストに話しかけようとしていたけれど、公爵家のご令息がさすがに動いた。ご令息のご友人たちがさっと男子生徒の両脇を固めたところで、ご令息が男子生徒の耳に何事か囁く。男子生徒はたちまち青ざめたけれど、解放されることはなく、そのままカフェテリアの外へ連行されていった。
周囲の野次馬も散っていったところで、わたしとアニーはようやく席に着いた。
丸いテーブルにランチプレートを置いて、安堵の息を吐き出す。
シン君から「お疲れ様」と労わられ、ゼストから「リップサービスじゃないです」と反論された。
「ありがとう、シン君。ゼストはちょっと反省して」
「どうして口を塞がれたのかわかりません。俺はただ事実を述べただけなのに」
シン君とアニーがちょっと引いた顔になった。それはそうである。ノロケならまだただのバカップルで済むけれど、客観的にこれが事実だといわれたらドン引きである。
わたしは行儀悪く、隣に座る黒髪の美形にフォークを向けていった。
「ゼスト、その宝石みたいな瞳でわたしのことをよ~く見て? わたしが世界一の美少女に見える?」
「もちろんです。ルーナちゃんは誰よりも綺麗です」
ゼストが満面の笑みで答えた。
わたしはウウッと両手で顔を覆った。
「ゼストの眼が盛大に曇ってしまったわ……!」
「ルーナちゃんは無自覚で困りますねえ」
「事実無根のヤレヤレ顔をするんじゃないの!」
わたしは恥ずかしさといたたまれなさと、それと内心ではいっぱいいっぱいな気持ちになって頬を紅潮させる。
だけどゼストは、砂糖より蜂蜜よりも甘ったるい瞳をしていった。
「ルーナちゃんはこの世の何よりも綺麗です。大好きです」
わたしがしばらくテーブルに突っ伏すしかなかったのは、どう考えてもゼストのせいである。
番外編が読みたいとのコメントを頂いたのと、自分でも後日談があったほうが収まりがいい気がしたので書いてみました。