21.これぞつがいパワー
窓の外を眺めて、ため息を吐く。
王太子が龍化にこだわっていることは知っていた。アリオスが俺を始祖龍だと紹介して以来、王太子が俺に話しかけてくる内容はすべて、要約すると「龍化したい」だったからだ。龍化する方法を教えてほしいとか、訓練を付けてほしいだとか、コツを教えてほしいだとか、とにかく口を開けば龍化龍化龍化だった。何度も俺にそんな力はありませんと説明したけれど、聞く耳を持ってはもらえなかった。
もう関わりたくない、というのが俺の偽らざる本音だった。
王太子のクラスメイト達への態度は酷かったが、まあ龍族で王家ならあんなものだろう。かつては世界で最も傲慢な種族と呼ばれていた龍族だ。人族のことは『可哀想な短命種』くらいにしか思っていない。アリオスのように他国で商売しているのは非常に珍しいのだ。
───態度が悪いくらいならまあ、実害がないなら放っておきますね。俺はルーナちゃんと一緒に過ごすことに忙しいんです。
そんな風に考えていたら、これだ。
俺の見込みが甘かったせいで、───いや、俺がいたせいで彼女を危険に晒した。
俺はいつもそうだ。千年前もそうだった。俺が抱えている事情は面倒で、厄介で、危険で、傍にいたら彼女を巻き込んでしまう。わかっているのに、俺は……。
俯き、重い息を吐き出す。そのときだ。コンコンと窓になにかが当たる音がして、俺は顔を上げた。そこには光があった。光が───は?
ルーナちゃんが、窓の外に浮いている。
※
ゼストがユリウス殿下を連れて教室を出て行った後、わたしは公爵家のご令息をはじめとしたお偉い面々に囲まれていた。A組の中でもとりわけ実家の力が強い方々である。
宰相閣下の三番目のご令嬢が眼鏡をキラッと輝かせて「まず事の次第を先生方にご報告するべきでしょう」というので、わたしは彼ら彼女らに囲まれてドナドナと職員室へ向かい、担任の先生に報告した。青ざめた担任の先生が学園長室に駆け込んで、わたしは学園長相手に再度説明する羽目になった。これでようやく解放されると思ったのもつかの間、今度は選ばれた生徒にしか入れないと噂の特別室に連れて行かれて、そこでも質問攻めにあった。
公爵家のご令息はわたしの正面に座って、ぎらっと眼を光らせた。
「ユリウス殿下が王太子だというのは本当なのか?」
「本人が否定していなかったから、そうなんじゃないですかね……?」
「どうしてもっと早くいってくれなかった……! ただの王族と次期国王ではこちらの対応もまったく違ってくるんだぞ! 君だって貴族の端くれならそのくらいわかるだろう?」
「ユリウス殿下に興味がなくて……。聞けばゼストは教えてくれたと思うんですけど、聞いたことがなくてですね」
「君はそれでも貴族か!?」
「すみません……。でも、領地の温泉を守っていこうという意志はあります!」
「誰がいま温泉の話をした!?」
叫んだ途端に倒れ込みそうになったご令息を、周りが慌てて支える。この人、興奮すると倒れちゃうタイプなのだろうか。そう思ってみると確かに繊細な顔立ちをしている。線が細くて貴族的とでもいうのか。
ご令息はどうにか気持ちを落ち着かせた様子で、改めてわたしに向き直った。
「龍族の大多数が今となっては龍化できないという話は本当なのか?」
やっぱりそこは聞いてくるよねと思いつつ、わたしは空とぼけて見せた。
「さあ、どうなんでしょう? わたしもなにも知らなくて、ゼストも詳しいことは知らないんじゃないですかね。ほら彼、龍族といっても庶民ですからね」
「そうだな、ゼスト君は龍族の庶民だと聞いていた。だが、それにしては殿下の態度が不可解だったと思わないか?」
わかる、あれは意外だったね。ゼストが苛められているんじゃないかと心配だったけど、あの様子なら杞憂だったのかな? ユリウス殿下は”夜”に戸惑う様子もなかったし、ある程度はゼストのことも知っていたのかもしれない。
……というかもしかして、殿下にとって邪魔者はわたしのほうだったのでは? 強い黒龍様の傍にいるのがあんな弱い人族の女なんて! みたいな感じだったのでは?
内心でそんなことを考えながらも、わたしは肯定も否定もせずに首を傾げてみせる。無知な女の子アピールである。しかしご令息は気に留めるそぶりもなく続けた。
「もしかしてゼスト君は龍化できるのか? 今の時代では貴重な能力を持っているのか。だとしたら、他にも何かしら奥の手を持っていても不思議はないな。殿下の攻撃魔法を防いだのはゼスト君だろう?」
「どうなんでしょうね? 本当になにもわからなくて、困っちゃいますよね」
「ルーナ・ファリア嬢」
ご令息は姿勢を正し、厳しい眼差しをして、わたしをフルネームで呼ぶ。
「君はファリア男爵家の娘だ。いくら地方貴族の者であっても、その男爵位が尊き御方から授けられたものであることは理解しているだろう? 君には恋や愛といった私情に囚われず、貴族の一員として王家へ尽くす義務がある」
「……。仰る通りの田舎者ですから、都会の言葉はわかりませんわね。どうか率直に仰ってくださいませ?」
にっこりと微笑んでみせる。
そちらの魂胆はわかっているけれどね? 言えるものなら言ってみろ、という気分だった。
しかし予想は外れる。ご令息はわずかな逡巡こそ見せたものの、一呼吸の後に、わたしを見据えてきっぱりといったからだ。
「ゼスト君から龍族国の情報を引き出せ。王家のために動くんだ。君が家族や領民たちを守りたいと思うのなら、それが君の成すべきことだ。できないというならどうなるか……、いわれなくともわかるな?」
わあ、どストレート。
筆頭公爵家のご令息なのに、そこまで口に出していいんだ? わたしに言質を取られる危険性を理解していないの? と思ったけれど、室内にいる面々を確認して嫌な方向に納得する。
今ここにいるのは、エリートクラスのA組の中でも特にお偉方のお子様方だ。団結力も強いのだろう。田舎の男爵家の娘がなにをいっても黙らせられると考えるくらいには。
でもそれって脅しだよね。そういうの前世から大嫌いなんだよね。
わたしがそう表情には出さないまま考えていると、ご令息はなにか誤解したらしい。表情を和らげて、なだめるようにいってきた。
「これが君にとって重責であることは理解している。だが、名誉あるお役目だ」
うわ……、前世の教会幹部と同じことをいっている。どうして権力を振りかざす連中はみんな名誉という言葉が好きなんだろうね? 名誉で腹が膨れるんですか!? って怒鳴ったことまで思い出すわ。
わたしの引きっぷりにも気づかず、ご令息は言葉を重ねた。
「筆頭公爵家の次期当主として約束する。君が見事に成し遂げた暁には、ファリア男爵家の伯爵への陞爵を陛下へ奏上すると」
はぁと、どうでもいいわと思いながら相槌を打ったわたしとは裏腹に、特別室にいるほかの生徒たちが騒然とした。
「そこまでの褒美を約束なさってよろしいのですか!?」
「あの秘密主義の大国の情報ならばそれだけの価値があるだろう!」
「確かに、これで龍族の弱みを握ることができたなら……」
「しかし野蛮な田舎貴族ですよ。伯爵への陞爵まではなさらずともよろしいのでは」
おい、誰だ野蛮な田舎貴族っていったの! 聞こえてるからね!?
それに伯爵への陞爵なんていらないわ。お偉い皆さまがどうかは知りませんけどね、王都から遠く離れた地方の温泉地で爵位にそれほどの価値があるとでも? 王家のご威光が国内全域で等しく崇められているとでも? それがわずか十数年前までは貧乏男爵家と細々暮らす領民たちだったとしても?
そんなわけがない。
我が領地で一番崇められているのは敏腕経営アドバイザーのアリオス様と、アリオス様の主人だという獣人族の方だ。あの方々なくしては領地の活性化はなし得なかった。お二人の銅像なら建ててもいいくらいだ。でも、爵位が上がることに興味はない。お父様もお母様もそういうだろう。
ご令息の話は十分聞いた。もういいだろう。
わたしは大袈裟にため息をついてみせた。
「次期公爵様は女心がわかっておられませんのね。わたし、陞爵になんて興味はありませんわ」
「君になくとも、君のご両親の意見はちがうだろう」
「あら、わたしの両親と親しい間柄だったんですの? 聞かずとも意見がわかるほどに?」
「君も大人になればわかる。それが貴族というものだ」
「思い込みで行動するのは事故の元ですわよ。ここでの会話が龍族国へ筒抜けかもしれないとは思いませんの?」
さらりと付け加えた言葉に、公爵家のご令息は初め、何をいわれたのかわからないという顔をする。
そして次の瞬間には大きく顔をこわばらせて、動揺を露わに室内を見回した。何らかの魔法が使われていると思ったのだろう。人族では感知できない、龍族特有の魔法が。
「閉鎖的な龍族国が唯一友好関係を保っているのが人族国───その看板を今日で降ろしたいというなら止めませんけれども」
「きっ、君は龍族国へ情報を流しているのか!? 我が国を裏切ったのか!」
「いいえ、まだ何も? ですけど、筆頭公爵家の方から脅しをかけられ、愛する人を裏切れと命じられたら、ほかに助けを求めるしかないでしょうね」
まあ、しないけどね。龍族と関わるのはごめんだし、ゼストもわたしもキラキラな暮らしをのんびり楽しくしたいだけだ。面倒な事になるならさっさと二人でこの国を出てもいい。少なくとも、龍族国の力を借りてやり返すなんてことはあり得ない。
だけどそれを馬鹿正直にいっても、こういう手合いは信じないというのは、前世の経験上よく知っている。『下手に手出ししたらやり返される危険性がある』と思わせないと駄目なのだ。
公爵家のご令息は青ざめた顔で、こぶしを震えさせながらいった。
「脅してなどいないっ! ただ、貴族としての務めを果たすように勧めただけだ!」
「ですから女心がわかっていないと申し上げたのですわ」
わたしは唇を釣り上げて、できる限り上品におぞましく笑ってみせた。
「龍の”つがい”となった女が、愛以外の何かを優先すると考えているなんて、あまりにも幼いことですわ。───次期公爵様、今の言葉一つで二国間の友好の歴史は終わるかもしれない。その覚悟がおありなのですか?」
公爵家のご令息が言葉に詰まって、助けを求めるように周囲を見回す。
けれど誰からも助け舟は入らない。誰もが目をそらす。当たり前だ。惨事を引き起こした人間として国中から非難される未来なんて、誰だって避けたいに決まっている。
公爵家のご令息は今の時点で動くべきじゃなかったのだ。動くのならばまずはわたしの情報を得ることを考えるべきだった。相手がどんな人間かも知らずに喧嘩を吹っ掛けた時点で負けている。まあ、思わぬ事態を前に、功を焦ったのだろう。
わたしはにっこりと笑った。
「さあ、次期公爵様。筆頭公爵家の次期当主としてお答えくださいませ?」




