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20.千年目の黒龍、最愛のひとに再会する


件の王太子とその侍従たち、そしてフレイヤ国王陛下にだけは、俺が百年前に隕石を砕いた龍であることを明かしていた。


気は進まなかったが、そのほうが王太子が落ち着くだろうとアリオスにいわれたのだ。ただの庶民を同行させると聞けば余計に荒れて、留学先で揉め事を起こす可能性が高いが、始祖龍が共に行くのだとわかったら、王太子として感情的な振る舞いは慎もうとするだろうと。魔法学園にいるあの子供の安全を考えて、俺はアリオスの提案に同意した。


アリオスにはめられた気はしていたが、彼なりに俺を心配してくれていたことはわかっていた。


俺は覚悟を決めた。一年だ。一年だけ、同級生としてあの子供の近くにいよう。


龍族の留学生は、学園の中でもエリートクラスであるA組に入る習わしなのだと聞いて、俺は慌てて猛勉強を始めた。俺は一般的な魔法はほとんど使えない。龍族の属性が作用する飛行魔法や火炎魔法くらいなら何とかなるが、それ以外は落ちこぼれもいいところだ。まさか学園で”夜”を使うわけにもいかない。せめて座学だけは良い成績を取ろうと、留学までの準備期間に俺はせっせと勉強に励んだ。


ほかの誰に『龍族なのに?』という眼で見られても構わないが、あの子にだけはがっかりされたくなかった。実技が底辺な時点で無理かもしれないとは思いつつも。


とはいえ、留学はしてもルーナ嬢に関わる気はなかった。接触はしないと決めていた。


俺は一年間、あの子の姿を遠目に見るだけだ。話しかけもしない。知り合いにもならない。ただの話したこともない同級生だ。


あの子は彼女じゃない。転生して、まっさらな魂で、俺の知らない人生を生きている。ルーンとは別人だ。一年が経つ頃には、きっと俺は納得できる。あきらめもつくだろう。そして今度こそ覚めることのない永い眠りにつくのだ。





───俺の決意を一瞬で溶かしたのは、彼女の俺を見る眼だった。


朝日を弾く若葉のような瞳が、驚きに見開かれる。大きく上げられた瞼の下で、柔らかく繊細な長い睫毛の下で、この世のどんな輝きよりも美しい光が、俺の姿を捉えてひときわ強く輝く。


彼女の唇が思わずといったように俺の名前を紡ぐ。俺の全身を衝撃が貫いた。それは信じられないほど甘い音だった。脳髄から狂わされるような響きだった。「ゼスト」と、彼女が俺の名前を呼ぶ。


信じられない。そんなことがあるのか? あり得るのか? これは現実なのか? 俺はまた夢を見ているんじゃないのか。現実かどうかを疑う頭とは裏腹に、指先が震えた。身体中が燃えるように熱く、全身を巡る血が歓喜に沸いた。心臓が狂ったように鳴った。彼女だと、俺のすべてが叫んでいた。


まさか、本当に?


本当に、あなたにはルーンの記憶があるんですか?


───俺を覚えているんですか?


叫び出しそうな喉を抑えつけ、ありったけの自制心をかき集めて、務めて軽い口調でいった。


「センセー、俺、あの子の隣がいいです」


途端に、彼女が『気を失ってしまいたい』といわんばかりの顔をする。

その見覚えのある表情に、俺は大声で笑いたくなった。人目がなかったらきっとそうしていただろう。腹を抱えて、身体を二つ折りにして、泣きながら笑っただろう。信じられない。夢じゃないのか。こんなことがあり得るのか。


神よ、いったいどんな奇跡だっていうんです?


───もう一度あなたに会えるなんて。


あぁ、これが夢なら、どうかこのまま死なせてくれ。





授業中、ずっとソワソワした様子でこちらを窺っていたルーナちゃんは、昼休みになった途端に俺を連れて屋上まで引っ張っていった。「生きてる!」と叫ばれて、俺は笑ってしまう。それは俺の台詞だとばかり思っていたけれど、なるほど、千年後の今となっては、彼女にとっても俺は墓の下にいるはずの男だろう。


そんなささやかな納得にさえ、俺は喜びに震えてしまう。だってこれは夢じゃないという証明だ。目の前にいるのは俺の願望が作りあげたルーンではなく、今を生きている彼女だという証だ。


俺は自分の千年の事情は曖昧に誤魔化して、ルーナちゃんの話を聞いた。俺の知らない彼女のことをたくさん知りたかった。


しかし、三歳の頃には転生した自覚があったといわれたときには、さすがに気が遠くなった。俺が我慢して引きこもっていた日々はいったい何だったのか。アリオスに何度か「たまには山から出てください」といわれたこともあったけれど、寝床から出ないのが最善だと考えて引きこもっていたのに。


それが三歳から……、もっと早く会いに来ればよかったです……。


さらには、お金を稼ぐ目的で温泉を掘ったといわれて頭を抱えたくなった。


───あれはそういう意味だったんですか!?


なんで幼児が温泉を掘ったんだろうと長年不思議に思っていましたけど、あれはそういうこと……!?


俺は内心で激しく後悔したり驚いたりと、動揺しながらも、表面上は平静を装って話を聞いていた。


だが、千年間ふて寝していた理由について「龍族がまた何か仕掛けてきた?」と心配そうに尋ねられたときは、どうしても無理だった。


俺が千年も抱え込むものなんて一つしかない。あなただけだ。あなたがどこにもいないことだけが、悲しくて、苦しくて、さみしくて。千年経っても消えない、耐えがたい痛みだったのに。


そう腹を立てて、そこで俺はようやく気づいた。

彼女が記憶を持ったまま生まれ変わったのは、俺のせいじゃないのか? と。


俺がいつまでも嘆き続けていたから、冥府にまでこの声が届いて、あなたの魂は引きずられてしまったんじゃないか。普通ならあり得ないことだけれど、俺は千年も生きている黒龍だ。俺の持つ“夜”もまた、冥府に近い。


どうしよう、きっと俺のせいだ。


俺はあなたにもう一度会えて狂おしいほどに嬉しいけれど、あなたにとってはどうだろうか。

自分が殺されたことも覚えているのだろう。千年前の過酷な日々も覚えているのだろう。痛みや苦しみを忘れられずに生まれ変わるなんて、とても不幸なことだと───。


「第二の人生は神様からのプレゼント! 前世が暗黒だった分、今世はキラキラな暮らしを楽しんでねって意味だと思うんだ」


「……ルーナちゃんは相変わらず解釈が前向きですねえ……。驚きすら感じます」


あなたがそういうのなら。


目の前のルーナちゃんは生気に満ちていた。

太陽よりも眩く美しい若葉色の瞳は輝いていた。

彼女は昔もよく『キラキラした人生を送りたい』と憧れる口調でいっていたけれど、俺が知る最もキラキラしている存在は彼女だった。彼女が笑うだけで、彼女の瞳がこちらを見るだけで、彼女が「一緒に行こう」といってくれるだけで、世界はこの上なく輝いていた。彼女を前にしてこみ上げてくるのは、深い愛しさだけだった。


俺は微笑んだ。


あなたがそういうのなら、それが真実でいい。





そうやって、ルーナちゃんと俺の『目指せ! キラキラな学園生活!』が始まった。


……正直にいおう。


俺はめちゃくちゃ浮かれていた。毎日彼女の顔が見られて、毎日一緒に時間を過ごせて、俺は幸せという言葉を噛みしめていた。まさにこの世の春だった。ルーナちゃんが隣にいてくれることが、胸が詰まって泣き出しそうになるほど嬉しかった。


ルーナちゃんはいつ見てもキラキラしていた。お勧めのカフェを教えてくれるときの笑顔は太陽よりも眩しかった。死ぬなら今この瞬間がいいと俺は軽く百回以上は思った。


ルーナちゃんがちょっと得意そうな顔をするのもあまりにも可愛かった。俺は内心で悶えていた。可愛い。どうしよう。ルーナちゃんが可愛すぎる。


たまにむすっとした顔をしているのも愛おしくてならなかった。でも、俺のことなんかで怒らなくていいと思った。龍族のくせにと誰に見下されようと、俺はそよ風程にも感じていなかった。そのくせ、ルーナちゃんが俺のために怒ってくれることには密かに嬉しさも感じてしまっていた。怒っているルーナちゃんは綺麗で、俺は見惚れずにはいられなかった。


ルーナちゃんはこんなに可愛くて綺麗なのだから、周りの男子生徒たちからそれはもう沢山交際を申し込まれているのでは……!? とびくびくしながら本人に尋ねたこともあった。ルーナちゃんは「嫌味だって、ゼストが相手じゃなかったら思うところだからね!? ゼストだから素で言ってるのわかるけど! わかるけどゼストの目は曇っています!」と真っ赤な顔をして怒っていた。


なるほど、さては高嶺の花だからみんな遠巻きに見つめるしかできないんですね? と俺はひとり納得した。


気持ちはよくわかる。ルーナちゃんはキラキラしていて、ルーンだった頃から変わらずに、近づきがたいほどの荘厳な光を見せることあった。だけど俺は、真っ白な雪に踏み込んで行くように、構わずに近づいて傍にいた。だって俺はあなたの傍にいたいのだ。千年も待った。これ以上は離れていたくない。


俺が唯一怖れていたことは、これが夢で、いつか目覚めて彼女のいない現実に戻されるのではないかということだった。けれどそれさえも、あの明るい声で「ゼスト」と呼ばれるとたちまち霧散した。俺の知らない彼女を見つけるたびに、愛おしさと安堵が胸にこみ上げた。好きです。愛しています。気持ちが溢れ出しそうで、俺は何度も心の中でそう呟いていた。


学園生活も楽しかった。俺は千年を超える年寄りの龍だというのに、普通に学生としての日常を満喫してしまっていた。


いや、言い訳をさせてもらえるなら、俺は千年の内の九百年くらいは寝ていたので……。学校に通うのも初めてだったし、集団生活を送るのも初めて……まあ十三で封印されるまでは一応一族とともに暮らしていたけれど、疎まれるか蔑まれるかのどちらかだったので……。


その点、魔法学園では『庶民のほうの龍族』と認識されて、気軽に声をかけられることも多かった。シン君やアニーちゃんという友達もできて、四人で遊びに出かけるのは、二人きりのときとはまたちがう楽しさがあった。


俺は楽しかった。幸せだった。浮かれ切っていた。


───だから、王太子への警戒を怠って、ルーナちゃんを危険に晒した。









残り三話で完結予定です。

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