19.サクセス温泉にまつわる龍事情
俺は後ずさり、逃げ出そうとしたが、それより早く青年がいった。
「買い叩かれていますよ」
「えっ?」
「この魔力石、あなたがお創りになられたのでしょう? この小ささでこの魔力量。信じられないものを創られますね。先日、これについて裏のマーケットが大騒ぎになりましてね。私の所まで話が来たので、ひとまず売り手を押さえて話を聞いたのですが、帳簿を確認して眼を疑いました。あんなはした金でこれを売ったとは」
「いくらで売ろうと俺の勝手でしょうが……。君には関係のない話です。放っておいてもらいたい」
「そうはいきません。こんなものを気軽に流出されては各方面に悪影響が出ます。見たところ、ずいぶん大量に創ってこられたのではありませんか?」
俺はとっさに持っていた布袋を後ろ手に隠した。
内心で冷や汗をかいていると、青年がいった。
「あなたの望む金額をお支払いします。私にすべて引き取らせていただけませんか?」
「……各方面に悪影響が出るとまでいわれて、それこそ気軽に渡せるはずがないでしょう」
「しかし、金が要るのではありませんか?」
「ほかの方法で稼ぎますから、ご心配なく」
「我らが始祖よ、どうかそう警戒しないで聞いていただけませんか。私の見た所、御身は現世に不慣れなご様子。私はあなたの手助けがしたいのです。魔力石をお譲りいただいても、決して悪用はしないと誓います。そうだ、治癒魔法の研究所に回しましょう。あの手の施設は資金繰りに悩むことが多いですからね。この魔力石一つでしばらく動力源の心配はせずにすむでしょう」
「……君は、それだけの財産と、人脈を持っていると?」
「無論です。───もしかして、私はまだ名乗っていませんでしたか?」
「君の素性は知りませんね」
俺が素っ気なくいうと、青年は大仰なほど恭しく礼をしてみせた。
「これは申し訳ない。心よりお詫び申し上げます、我らを救いし神よ。私の名はアリオス・フレイヤ。現国王の弟にあたります」
※
王家とは関わりたくない。というか、龍族自体と関わりたくない。
それは俺の心からの思いだったのだが、現代において自分が物知らずであることは認めざるを得ず、アリオスがいい案内人であることも事実だった。
今も軍部の所属だったら絶対に申し出を受けなかっただろうが、アリオスはなぜか実業家に転身していた。本人曰く『子供の頃に世界が一変するような衝撃を受けて、祖国に閉じこもっているのが嫌になった』とのことで、今は大陸全土を回る商売人になっていた。俺に足りていない龍族国の常識だけでなく、各種族の現状なども教えてくれた。アリオスは龍族だということは隠したまま、大陸の各地に支店を持っているのだという。人族国での商売の仕方にも詳しかった。
俺がやたらと人族国での経営について聞きたがったせいだろう。
魔力石の取引をしてから一ヶ月後、アリオスは耐えかねたという様子で尋ねてきた。
「あなたは我らを救い給うた神です。あなたがいなければ百年前に我々は滅んでいた。私はその恩を忘れません。あなたが話したくないことを探るつもりはありません。それを改めて申し上げた上で、一つだけ質問をお許しください。───人族国に、なにがあるんですか?」
「……王家には喋らないと約束できますか?」
「誓って。あなたの存在も、あの魔力石にあなたが関わっていることも、兄にも誰にも明かしていません。これからお聞きすることも沈黙を守ります」
俺は悩みながらも、人族国のとある場所に温泉が湧き出ていて、そこを領地に持っている家ごと援助したいのだという話をした。
アリオスから商売の話を聞けば聞くほど、俺があの家に寄付をしてどうにかなるものではない気がしていたからだ。
温泉施設というのは、得体の知れない他人から寄付金を貰ったからといって作るものではないし、維持できるものでもない。金を稼げばいいと気軽に考えていたけれど、金だけあっても駄目だということに俺はようやく気がついていた。
俺の話を聞いたアリオスは、じっと考え込んだのちにいった。
「お話を聞いた限りでは、資金だけあっても難しいでしょうね。過疎地の領主ということは、事業経営にも不慣れでしょうから」
「そうですよね……。なにかいい方法はありますか?」
「私が行きましょう」
「はい?」
「経営アドバイザーとして、私が現地に直接伺いますよ。どうぞお任せください。数年の内には、人族国でも有数の観光地に変えてみせますよ」
※
アリオスは有言実行の男だった。
『以前ルーナ嬢を助けた獣人族の使いの者』という触れ込みでファリア男爵夫妻の懐に入ると、補佐官の地位を得て早々に領地改革に乗り出した。
そんな簡単に他人を信用して大丈夫かと、俺は仕組んだ側でありながら男爵夫妻が心配になったが、アリオスにいわせるなら「私はこれでも王族として教育を受けてきた身ですよ。人心掌握はできて当たり前でしょう」とのことだった。
大陸全土に店を持っているというだけあって、アリオスの経営手腕は確かだった。
あの子が掘り当てた源泉以外にもいくつも温泉を掘削して、立派な温泉施設を作りあげた。道路整備も行い、宿泊場所も用意して、その上で人族国の社交界で『美容・健康に効果がある』との噂を流したらしい。寂れていたあの一帯は瞬く間に観光客であふれ、活気のある街となった。その分、揉め事もあったらしいが、アリオスはその手のことには慣れているらしく、テキパキと捌いたようだった。
俺は詳しくは聞かなかった。アリオスとは定期的に連絡を取り合い、進捗報告を受けていたが、それはあくまで領地全体の様子などの大まかなことに留めてもらった。詳細は何も聞きたくなかった。あの子については特に、聞いてはいけないと思っていた。
だって、もしもあの子供が何かに困っていると聞いたら、俺は即座に飛んで行ってしまう。我慢できずに、自制も何もかも振り切って、助けに行こうとしてしまう。でもそれは『今のルーナ嬢』が大切だからじゃない。あの子供が『ルーンの生まれ変わり』だからだ。最低だ。あの子供にとって、こんなにはた迷惑な話があるか? ルーンだったことなんて、あの子供は何も覚えていないのに。
俺は近づいてはいけない。関わってはいけない。……だけど会いたい。彼女の気配がする。俺のすべて。俺の愛するひと。……駄目だ。駄目なんだ。あの子供は彼女じゃない。会ってどうするんだ。彼女じゃないのに、同一視することはあの子供を不幸にしてしまうだけだ。
やがて、あの子の家が温泉成金男爵と呼ばれていると聞いて、俺は思わず笑ってしまった。安堵とともに。
これでもう大丈夫だ。俺がこれ以上あの子供に関わることはない。
俺はそう自分に言い聞かせた。アリオスから領地の話を伝え聞くたびに、会いたいと暴れ出す気持ちを必死に抑え込みながら。
※
温泉事業が軌道に乗ってしばらくしてから、アリオスはファリア男爵とその部下の人々に経営を任せて、龍族国へ戻ってきた。
男爵自身も含めて領地の皆から引き留められたらしいが「困ったことがあればいつでも駆けつけますよ。でも、今の皆さんなら、私がいなくとも大丈夫だと信じています」と感動的に言い含めて一線を退いてきたらしい。
実際、龍族のアリオスがいつまでも経営のトップでやっていくわけにはいかないのだ。ここまで事業を育ててくれてありがとうございますと、俺は彼に深々と頭を下げた。アリオスは「我らの神に礼をいっていただくほどのことではありませんよ」と笑っていた。
神呼びはいい加減やめてほしいです、というと、その日から「ゼスト様」呼びに変わった。様はいらないですといったが、聞いてもらえなかった。
そんなある日のことだ。アリオスに呼び出されて、寝床から王都のカフェまでやって来た俺に、彼は突然爆弾を落としてきた。
「ルーナ嬢が通っている魔法学園に、私の甥が留学することになったらしいんですが」
「そうですか」
「人族への差別意識が非常に強いらしくて、トラブルを起こさないか心配なんですよね」
「なんでそんな子を留学させるんです!?」
「それが、弟相手に揉め事を起こしたらしくて。しばらく頭を冷やせということで人族国へ行かされるようなんですよ。その甥っ子、王太子なんですけど、龍化できないことへのコンプレックスが酷くて、龍化できる異母弟を目の敵にしているという噂です」
「噂です、じゃないでしょう!? 人族国を何だと思っているんですか。流刑地じゃないんですよ。ちゃんと自国で面倒を見てください。だいたい、その状態で親元から離したら、余計に荒れるんじゃないんですか?」
「そういわれましてもね。私も王家とは距離を置いて久しいので、兄が私の言葉に耳を貸すとは思えませんよ」
「そんな……、何とかならないんですか?」
アリオスは薄く笑っていった。
「留学生を一人増やすことならできるかもしれません」
「君の縁者を送り込むと?」
「いえ、あなたです」
「は?」
「あなたが留学生として人族国へ行かれたらいい。大丈夫、ゼスト様は十分若々しくていらっしゃいます。十七歳でも通用しますよ」
「……俺は行きませんよ」
「王太子は龍化こそできませんが、能力は非常に高いんですよ。放っておくのは危険です。しかも、困ったことに気位も高いときている。従者たちでは諫められないでしょう」
「……君は、俺にその子供の面倒を見てほしいんですか?」
「いいえ?」
俺はまじまじとアリオスを見返した。そういう話じゃなかったのかこれは。俺がアリオスにファリア男爵家を助けてもらった分、今度は甥っ子を助けてくれということじゃないのか?
俺の疑問は声に出さずとも伝わっていたのだろう。アリオスは軽く手を振っていった。
「あの程度のことであなたに恩を売ったなんて思っていませんよ。そもそも、私が生きているのも、王家が今も大きな顔をしていられるのも、百年前にあなたが我らを救ってくださったからです」
「俺は俺の寝床を守っただけです。それこそ恩に着せることじゃありません」
「……私はね、あの日からずっとあなたに憧れてきました。こうして向かい合って話ができる関係になれた今も、あなたを尊敬しています。だからこそ思うんですよ。いい加減ぐずぐず思い悩むのはやめたらいかがですか、とね」
「───何の話ですか」
「さあ? ゼスト様が語りたくないことは尋ねませんよ。しかし、王太子が留学することは事実です。ルーナ嬢が通っている、あの魔法学園にね。それでどうされますか? このまま放っておくというのなら、私はそれでも構いませんが」
そうして俺は、表向きは龍族の一般人として、エバンス魔法学園へ留学することになったのだ。