10.ゼスト先生の勉強会
温度や湿度の操作系魔法が活躍し始める季節には、男子寮にあるゼストの部屋を訪れて、皆で中間試験へ向けての勉強もした。
そう、皆だ。夏の訪れを感じる頃には、わたしたちには友達ができていたのだ。亜麻色の髪のアニーと、銀髪のシン君だ。薬草学の授業で行われる校外学習で、同じ班になったのがきっかけで話すようになった。今ではお昼もこの四人で食べている。
ちなみにわたしは前世も今世も金髪だ。まあ今じゃ『ルーン』は白髪のお爺ちゃんなわけですけど。
「ですからね、生成における魔法言語というのは、このラソのストーンをスクレとスターズによって結びつけたもので、この問題における詠唱に必要な構成要素とは」
「待ってゼストもう一回、もう一回説明をお願いします」
「どこから?」
「最初から!」
ゼストが哀れなものを見る眼でわたしを見下ろした。
「少し休憩しましょうか、ルーナちゃん」
「ううーっ、詠唱学とは相性が最悪……!」
わたしはすべてのやる気を失って、ばたんとテーブルにへばりついた。
「あなたは昔から勘で唱えていますからねえ。アニーちゃんとシン君も休憩しますか? 飲み物を持ってきますよ。ルーナちゃんは菫茶でいいですか? アニーちゃんとシン君は何にします?」
わたしが『お願い』の意味の片手をあげると、アニーが「わたしも菫茶をお願いしていい?」と返事をし、シン君は椅子から立ち上がった。
「俺も手伝おう。アニー嬢とルーナ嬢は問題集を進めておくといい」
シン君が立ち上がって、ゼストと一緒にキッチンへ入っていく。
寮の部屋がキッチン付きの広々とした個室なのは、ゼストが龍族の留学生だからこその好待遇だ。噂に聞いたところによると、龍の王子様であるユリウス殿下の部屋はここ以上に凄いらしい。母国から来たお付きの人もいて、殿下の衣食住をかいがいしくお世話しているのだとか。
地方の男爵家のわたしは四人部屋で、伯爵家のアニーとシン君は二人部屋だ。わたしは一年生のときは六人部屋だった。三年生になると二人部屋になれる可能性もあるらしい。家の力が強い生徒から優先的に個室や二人部屋が割り振られていくので、わたしのような田舎の弱小貴族は、そのときにならないとどうなるのかは不明である。
寮は実家の影響力で決まるけれど、学園は実力でクラス分けが決まる。わたしは猛勉強して入学試験に合格したし、一年生のときも必死でテキストを頭に叩き込んでいた。1年D組から二年A組へ進級できたのはそのおかげだ。
カフェ巡りだってしたけれど、勉強だって熱心にやっていたのだ。わたしは実技は問題なかったけれど、座学が大の苦手だったから。
だけど今、その勉学への熱意が身体から消え去りつつあるのを感じていた。なぜかといえば。
「愛しの幼馴染くんが隣にいたら、集中できないわよねえ?」
「黙ってアニー」
わたしはにやにやと笑う友人の口を、睨みつけて封じた。なんてことをいうのだ。
「ゼスト、キッチンにいるんだけど!?」
「大丈夫大丈夫、お湯を沸かしているときは、加熱石の音がうるさくてこちらの話なんて聞こえないから。それに、残念だけどルーナ」
アニーは気の毒そうな顔でわたしの肩をぽんと叩いていった。
「学園中に広まっている噂だから、ゼストくんの耳にも入っていると思っておいたほうがいいわ。彼、龍族だけど気さくな性格だから、人脈が広いでしょう?」
わたしは返す言葉もなく撃沈した。
噂……それはA組という輝けるエリートが集まるクラスで、一人だけ異物のように混じっていた田舎貴族の娘───わたしのことだ───は、実は龍族の『つがい』だったらしい、という話だ。
魔法に関する英才教育など受けていないはずの田舎者が、実技で突出した成績を残せているのは、つがいに選ばれていたからだったのだ。ただし彼女を選んだ龍族は、龍としての格が低い庶民で、力もなかったため、花嫁を龍族国へ連れて行くことができなかった。それで彼女は、自力で龍族国へ入国しようと、この魔法学園に入ったのだ……という妄想ストーリーである。
つがいに選ばれるとつがいパワーか何かが湧き出るようになるんかい!? とツッコみたい。
しかし、突拍子もない噂話だと思う半面、事情を知らない人から見たらそうなるのかと納得もした。
そして、図星を突かれた部分もあって床の上をゴロゴロ転がりたくもなった。
わたしが勉強を必死で頑張っていた理由については、噂通りだ。当たっている。わたしはどうにかして龍族国へ入国するチャンスを得たかったのだ。今の時代、あの国にはめったなことでは入れない。龍族からの留学生を受け入れているこの学園に入学することで、何とかコネを作れないかと考えていた。
だけどそれは、ゼストに会いたかったからじゃない。会えるなんて思っていなかった。一千年後のこの世界では、彼はとうに亡くなっているだろうとわかっていて、それでもせめて、お墓参りだけでもできたら……と思っていたのだ。
わたしはゼストのことが忘れられなかった。
前世は生きるには最悪の環境だった。逃げ出したくても逃げる場所すらなくて、毎日毎日重たい足を引きずるようにしながら前へ進んで戦っていた。今のこの平和な時代のほうがずっと最高だ。生まれ変わりって素晴らしい。今度こそキラキラな人生を送ってやる。
そんな風に思いながらも、ゼストがいないことだけは寂しくて、悲しくて。
気がつけばつい眼で彼を探してしまっていて。いつも隣にいてくれた、あの優しい夜の瞳にもう一度逢いたくて。
前世の龍族は傲慢な上にゼストへの態度が最低だったので、お墓が作られているかどうかはわからなかった。だけど今世では“始まりの龍”と呼ばれているくらいだし、龍族国の中には記念碑か何か建っているかもしれない。わたしが死んだ後の彼の足取りを知ることができるかもしれない。そう思ったら、自然と心は決まっていた。猛勉強も苦にならなかった。
「ルーナって、学園の志望動機も、将来の夢も、龍族国へ行くことだったんだものね。一途な恋って素敵だわ」
アニーがほうと感嘆のため息をついていう。
わたしはテーブルに突っ伏したままじたばたと悶えた。