エピローグ
しばらく南下した地点にある、静かな港町。近海で獲れる魚は質が良く、しかし漁業の担い手が減少し低迷。経済の多くは夏季の観光客に依存している。らしい。
これはルドルフがこの街について認知していた情報だか、どうにも古かったようだ。
季節は秋も終盤といったところ。つい先日までは夏を名残惜しく思っていたはずなのに時間の流れというものは早くて、寒さが台頭し始めている。紅葉も肩身狭く追いやられている。
家屋の形を見るに、この周辺は雪がほとんど降らないようだ。嬉しくもあり寂しくもある。
そんな頃だからゆるりと過ごすのも一興だろう。実際は、街の規模を疑うような活気があった。
夏の繁忙期で鍛えられているから街としての体を成しているけれど、人々の顔色には疲れが滲んでいる。街を広くする開発が進められ中心部では建物が高く伸びているけれどつけ焼き刃。間に合っていない。まるで急激な人口爆発があったような様相だ。
何かしらのイベントがあるというお触れはなく、彼らはここに定住しているようだ。
「これは、宿を取るのが大変そうだね――」
ノクターナは明後日の方を向きながら呟く。概ね同意である。追いやられるようにしてルドルフたちは中心街を離れた。
ルドルフが本来求めていた静けさは街の中腹にあった。最近まではこの辺りが街の端だったのだろう。内と外を切り分けるように開発で増えた部分は建物の構造が違っている。道に使われる石材の色が変えられている。最新と呼べば聞こえは良いけれど、別の意図も含まれているように感じて仕方がなかった。
敬遠し合うように、遠くの話し声が左右から聞こえる。
「悪趣味だね」
ノクターナはそう吐き捨てると、飛び越えるようにして境の向こうに立った。二人の間に一本のラインが通る。
それは交わるはずのなかったものだ。道の色は絵具ではない。筆をかき回したところで中間色にはならない。むしろ原色のままの方が美しいのかもしれない。
ルドルフが越えるのを躊躇していると、ノクターナは恥ずかしそうに笑って手を差し伸べた。
「この先は見に行かなくて良いの?」
ぼんやりと境界線が滲んだような気がした。
「いや、考え事をしてただけだ」
ノクターナの手を取る。
こんな線は消えてしまえば良い。ルドルフは足で砂を掛けた。
◇◆◇
それからもう少し歩いて、二人が今晩の宿を得たのはお昼を過ぎてからだった。
以前ならそこまで苦労しなかったはずだ。何の変化か知らないが、ノクターナは少し我儘になった。宿を取るときには決まって二部屋所望するようになったのだ。避けられているのではないと知ったのはつい先日のこと。お財布事情然りルドルフを悩ませる。
ベッドの上に荷物と、小さな机にめっきり喋らなくなった鳥かごを飾るとルドルフは部屋を後にする。まだ休憩するには早い。
ノクターナはもう支度を終えただろうか。隣の部屋をノックしようと手を伸ばすと、タイミング良く扉を引かれて拳は宙を叩いた。
「やっぱり、何か気配がすると思ったんだ」
「怖いこと言わないでくれ」
「冗談だよ冗談」
しかし、ベッドの上で開かれた荷物を見るに否定もできないのかもしれない。
二人は階段を下る。一階には共有スペースがあった。普段なら食事時を除いてそこが賑わうことは少ないのだが、その時は数人が一か所を眺めながら集まって話していた。その内容が気になってルドルフは遠目に眺める。
「探し人欄、だって」
名前を書きなぐっておくだけでもしかしたら見つかるかもしれない、というもの。行方不明者なんてそう出るものでもないし一人二人書かれているだけがほとんどなのだが、そこには紙びっしりに名前が並んでいた。
ルドルフは近くにあるペンを握ると、端に小さく書き足した。
いつか会える日を願って。
ルドルフがこの宿を選んだのは、もちろんある程度安価で空室があったからだが、それだけではない。宿の近くに海があるからだ。二人は砂浜に降りて波打ち際に立つ。
季節外れの海は、まるで世界に二人だけのようだと錯覚させてくれる。さざ波が心地良い。瞼を閉じれば流れて溶けてしまいそうになる。ずっとこうしていたい。
ルドルフはおもむろに一歩下がる。海とノクターナを同時に視界に収めたかった。
不意に安心感が湧き上がる。心が暖かくなる。ルドルフは息と一緒に零す。
「良かった――」
そんな言葉になって。それは心からの叫びだった。
「なに、急にどうしたの」
ノクターナは振り返って不思議なものを見るような目をする。
「――ただ、ここでノクターナを待つ日々を考えたら、今がこれ以上なく思えて」
旅は一期一会。たったひとつの選択の違いが未来を大きく変えてしまう。だからこそ旅は楽しくて、だからこそ旅は不安が付き纏う。
いや、こんなときくらい、未来のことなんて考えたくない。明日のことは明日のルドルフに任せよう。
「ノクターナ」
「うん」
「これからもよろしく」
「こんな僕で良ければ」
綺麗な三日月が空に昇っていた。
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