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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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元小国の城11


『頁をひとつ捲ったとき、目前に世界が広がる。頁をもひとつ捲ったとき、それはもうあんたのもの』


 七月三日。


 曇天。


 ずっしりと重たい空気はルドルフの足に纏わって、まるで引き留めるように影が薄く伸びている。じわりとした暑さが湿気と混ざり合い、肌に感じるそれが汗なのかわからない。今日の街は静かだった。


 鳥かごは宿に置いたままで傘すら持たないルドルフは少し異質に映る。雑に整えただけの寝ぐせは自暴自棄になったようで、しかし眠気を感じさせない瞳はそびえたつ城を注視している。


 城の前にある広場は情報を集める中で何度も訪れた場所だ。並木の位置さえ正確に言えるかもしれない。城が見上げられる場所に設置されたベンチに座る。小鳥が餌を求めて歩いて来て、得られないと悟って飛び去っていく。


 ルドルフの期待に反して然したる変化はないようだった。


 そう言えば、聞いたのは日付だけで時間までは知らされていない。遠くにある時計に目を凝らすのは何度目になるだろう。まだそのときが来ていないだけと思いたいのだ。体感時間ほど時計は動いていない。


 そうしていると刺さるような視線を感じて、それが門番によるものだと気付く。普段は怠惰でいるのに今ばかり働かれるのは面倒臭い。ルドルフは視線に気付いていないフリをしながらおもむろに一冊の本を取り出して開く。

 それは買った覚えのない本だった。このような状況でなければ興味を惹かれるけれど、読むつもりは毛頭ない。ただのカモフラージュ。意識はそのままに視線だけを落とす。不自然にならない速度で頁を捲る。


 ひとつ、もひとつ。


 不意に、時間が加速する。誰もそのことを認知しない。現代は魔法使いでさえその魔法を感知できる者は少ない。


 そろそろ門番の意識もルドルフから離れた頃だろうか。手元から視線を外すと、まるで政に不満を垂れる暴徒のように、この街の人口を超えんとする数が、広場に集まり城を取り囲んでいた。

 ルドルフの座るベンチだけがそれからポツンと取り残されていて、嫌なほどの日常は突然として非日常の外へと放り出される。


 彼らは声を張り上げる。言説はただひとつだけ。「ころせ、ころせ」と。バラバラの輪唱は纏まって空間を震わせる。鳥肌が立ってこの場から逃げ出したくなる音圧。世界が個人を否定しているようだ。


 閉じられた本をベンチに置くと、ルドルフは誘われるように、群衆の中へと混ざる。最前列を目指す。何が起きているのかを確認しなければ。使命感に駆られる。


 人をかき分けるのは道筋が準備されていたように容易だった。群衆は言葉を繰り返すばかりでルドルフを気にも掛けない。


 ルドルフはほとんど倒れ込むように、門の格子へとしがみ付いた。門番さえも声は出していないにしろ群衆に参加していた。群衆は一様に城を見上げている。ルドルフは恐る恐る顔を上げた。


 ああ、確かそこはノクターナが演説をしていた場所だったか。廊下から見上げていたのを思い出す。あれは街を出る数日前だった。

 音が消える。演説内容は覚えていない。少し緊張したような身振りとそれを感じさせない声色はもうルドルフの耳には届かない。空白に抜け落ちている。


 どうしてこんな風なことを思い出して、想うのだろう。答え合わせは簡単。そこにノクターナがいたからだ。それと、ギロチン。分厚い雲を通過した光が刃に反射してやけに輝く。


 ルドルフがノクターナを見付けた瞬間、その瞬間を待っていたのかもしれない。顔にモザイクのかかった誰かは悪辣に笑って、小さく頷いた。


 声を出す暇も手を伸ばす一瞬も目を逸らす猶予も与えられなかった。刃は重力に従っていとも容易く首を刎ねる。真っ黒い髪が宙を舞って、死を見せつけるような血しぶきが溢れる。転がって落下した首は形状を保ったままルドルフの前まで転がって止まる。ルドルフの感情を映し出したようなそれと目が合った。


 拾い上げようとしたのではない。ただ信じられなくて嘘だと言って欲しくて手を伸ばしただけなのに、それすらも格子に阻まれて叶わない。

 群衆は膝から崩れ落ちるルドルフを見て見ぬふり。高くを見上げ両手を空に伸ばしている。


 ルドルフの中で、音を立て崩れるものがあった。引き留めていた糸が降ってきた刃によって分かたれた。


 ルドルフはホルスターに手を掛ける。群衆、敵、自分、銃口を誰に向けるべくしたのかはわからない。ただ自衛手段として、常に携帯している拳銃を握ろうとした。しかしそこにグリップはなかった。疑問を抱くのと同時にこつんと揺れるものがあった。


 代わりに掴んだのは、同じく携帯するようになった一本の杖だった。


――――


 世界はこんなにも色褪せていただろうか。白と黒、それから赤。その三色だけ。鮮やかなのは記憶の向こう側にしか存在せず、ルドルフの手から失われてしまった。もう届かない。

 世界はこんなにも寂しかっただろうか。湖底の泥のように重く、不自然なほどに凪いでいた。耳鳴りすら聞こえない静寂。そんな場所に閉ざされる。


 思い出すのは、旅を始めたばかりの頃。旅を止めようとした頃。ノクターナと出会い、落ちた一粒の涙。走馬灯のようにルドルフの意思を介さず流れる忘れがたき日々。そして何も成すことのなかった日々。


 ああ、運命は決まっていたんだ、って。なのに最後だけハッピーになるはずがないんだ、って。ルドルフは諦めてしまった。諦めるのにそう時間はかからなかった。


――――


 『それは空が落ちたかのような様相を呈していました』


 ルドルフが杖を握った途端、大粒の雨が降った。雨は全てを洗い流さんが如く降った。ルドルフの周囲だけを濡らす雨は泣きじゃくり泣き喚き、それを涙の代弁とした。


 暴風を孕んだ。渦巻く風によって横殴りとなった雨は更に広範囲を目指す。小石や枝葉を巻き込み鋭い得物となってルドルフを取り囲んだ。それを心身のプロテクトとした。


 季節外れの吹雪があった。地面に触れた瞬間に溶けていく雪はそれ以上の勢いを以って積もる。白く白く、外部から内部を隠していく。それを隠れ蓑とした。


 破裂音があった。花火のようだがそれの派手さは有しておらず、紛れて人を傷付けるためだけに破裂する。それを拒絶の現れとした。


 花束が舞った。見様見真似の魔法は風に千切られ白いキャンバスを彩っていく。二度と枯れることのないようにドライフラワーを、既に枯れてしまったドライフラワーを。これをたった一人に贈ろうとした。それらをこれまで出会った全ての人々への手向けとした。


◇◆◇


 ルドルフは夢を見ていた。


「ルドルフ――?」


 それは唯一ルドルフを夢から覚めさせられることのできる人物だった。


 彼女は頭から被った雪を払い、水に濡れ体温を奪われながら平静を装い、所々から流れる血を隠し、できる限り集めた花束を抱えて言った。


「どうして、ここにいる、の――?」


 それは哀しいも嬉しいもあらゆる疑問をも全て含んだ言葉だった。涙腺が決壊してしまいそうだった。今にも駆け寄りたいのを両手に拳を作って堪えている。


 魔法の中心にいたルドルフは服が土で汚れた以外変わりない姿をしていた。身体に力が入らずふらつきながら、格子を頼りにして立ち上がる。ノクターナを見遣る。

 こういうとき、素直になりきれない自分にルドルフは嫌気が差す。


「あまりに遅いから、迎えに来た」


 そしてそれは多分、正解だった。


「――まだ一週間も経ってないよ」


 ノクターナは目元の雨粒を拭いながら笑った。


「そして男は探し人と再会できましたとさ。めでたしめでたし。どう?あたいが用意したとびっきりのサプライズの感想は」


 それは急に現れてそんなことを宣った。驚くのと同時にやっぱりかとも思う。


「妖精さん?」


「そう、あたいは書庫の妖精さん。天才で思慮深いから、あんたたちのために手助けをしてあげた。感謝して」


「ありがとう妖精さん」


 ノクターナは高慢な物言いに間髪入れず返答する。かと思えば一変してあたふたと慌て始めた。


「いろいろ聞きたいことはあるけどそれよりも、早くここを離れないとだよ。ルドルフは何をしでかしたと思ってるのっ」


「――あんた周り見てねーでしょ」


 呆れたようなため息に、ルドルフも首を動かした。


 雪は既に融け大きな水たまりになっている。安らいだ風に揺らされる枝葉は嵐が過ぎ去ったことを示している。ぼんやりと暖かい太陽が差している。


 群衆はいないにしても事の張本人を捕らえるべく勢力はいるはずなのだが、彼らはルドルフから一定の距離を離れた場所で倒れていた。ルドルフの魔法のせいではと危惧したけれど外傷は一切なく、ただ眠っているだけのようだった。二人は胸を撫で下ろす。


 書庫の妖精がふんぞり返っていたから、多分彼女がやったのだろう。


「ノクターナ」


「うん、どうしたの?」


 ひとつ、深呼吸をする。目を合わせる。


 ルドルフには言わなければならないことがある。おそらく断られないのだろうと思って、それでも勇気がいるような小心者だけれど。


 大義名分はない。もう必要ない。ただの我儘だった。


「旅に出よう。目的地のない旅に。前の約束は果たせなかったけれど、俺はまた一緒に旅に出たい。貴女が終わりを望むまで」


「――わかった。こちらからもお願いします。一緒に旅をしよう。君が僕を拒むまで」


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