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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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元小国の城7


 ノクターナには尋ねたいことが山ほどあった。


 元気してた?僕が知らない間も変わりなかった?僕の土産話を聞いてくれる?楽しいことばっかりじゃなかったけどそれでも良い?ねえ、どうして僕たちを追い出したの?僕が悪い子だったから?ルドルフは、本当に追い出さなきゃだめだったの?

 そして、それでこそ、僕はこの国を離れられるから。


 六月三十日。公開処刑まであと12時間。


 薄暮もそろそろ終わるだろうかという頃で、住民たちの足はやや慌ただしくなる。ノクターナには目もくれず、すれ違い、追い越していく。誰も彼もが暖かい夕餉を待ち望んでいる。


 ノクターナもまた同じく、城を前方に捉えていた。


 かつて抱いていたいずれとも違う感覚だ。責任感に燃えて、心が一足先にいる。けれどしでかす事の大きさを鑑みればどれも取るに足らないものだった。

 もし失敗したら、というのは付き纏って離れてくれない不安のひとつだ。押し潰されそうになっていたのはノクターナだったが、今は微々たるものに思える。考えるのを放棄したとも言えるかもしれない。実際、ノクターナにその後のプランは一切なく、朽ち果てるつもりもない。曖昧な狭間にいる。


 宣言の通り、付近には誰もいない。ルカはもちろんのこと小さな妖精も。少し前までは常に誰かいて、一人になったときにはひっそりと心細さを募らせていた。それがたった一言伝えただけでずっと一人であったように平気になる。薄情なものだ、と自嘲する。


 すっかり寂しくなった広場を過ぎて城の側面から侵入する。変わらず門番は眠そうだったが、今日に限って城には人がいるらしい。カーテンすら閉めず大っぴらに照明を漏らし、酒の入った会話が響いている。宴会を開くとは呑気なものだ。何を祝うことがあるというのか。

 ノクターナは身体を屈めて脇を通った。音を立てないよう注意しながらも急いで移動した。会話を聞いていたくなかったのだ。不意に聞こえてしまった単語も首を横に振って頭から追い出す。何も聞いていない。何も。


 しかし、わざと悪辣に振る舞ったような笑い方は引っ掛かって消えてくれなかった。


 逃げるように向かったのは城の倉庫だった。敷地の裏手付近にある倉庫は、本来ノクターナのようなある程度身分のある者が訪れるようにはできていない。城の一部として最低限の外観をしつつも、長年改築されていない古い倉庫だ。鍵も老朽化が進んでおり、ノクターナが適当に動かすと簡単に開けられた。


 杖の先に小さな光を灯し、倉庫に入る。停滞していた空気が一斉に外へと流れ、煙っぽい埃臭さが鼻をつく。ノクターナは顔を顰めた。


 光度を抑えて作った魔法の光では足元を確認するのが限界だ。これでは探索どころではない。ノクターナが後ろ手で倉庫の扉を閉めると、星明りすら阻まれてしまう。

 倉庫の高いところにひとつだけ設置された窓から光が零れてしまわないようゆっくりと光度を上げる。


 ノクターナは何度か、主に隠れ場所としてここに来たことがあった。予想外の場所としては有効だったが、如何せん物が少なく隠れるのには不向きだったことを覚えている。しかし人の出入りはある程度あってここまで煙っぽくはなかったはずだ。


 それと比べると、頻繁には使われていないながらも多くの物資が保管されているようだ。


 まだ使えるが古くなった備品、捨てようとして忘れられたのだろうゴミ、酒類など。どれも倉庫に置かれてあって不自然のないものばかりだった。


 敷地内にはまだいくつかの倉庫がある。本題を忘れたわけではないが、どうしても確認しなければならないように思えて、ノクターナは追加で二か所の倉庫を回った。


 その倉庫が何に近いかによって保管されている物品や使用頻度に違いはあったが、そこに存在しておかしいものは何もなかった。何もなかったのだ。ただのロープにこじつけることはできるけれど、ノクターナはそこまで狂乱していない。


 何か間違っているのかもしれない。心の奥底で眠っていたしこりが僅かに表面化した。


 そんなもやもやを抱きながら、ノクターナは城の内部に入ることにした。いくら警備がザルだとは言え正面から入るのは勇敢すぎる。幸い照明がついていないかつ窓が開いている部屋があったので有難く使わせてもらうことにした。


 足音に細心の注意を払って、時折聞こえる話し声からは離れながら地下へと続く階段を目指す。ノクターナが、城の敷地内にいるのならそこだろうと当たりを付けた唯一の場所だ。もしそこにいないのなら、明日の朝に観衆の面前から救出を演じるしかなくなる。

 つまりそれはノクターナが一人で実行できる範囲を超えることを意味する。ルカたちに介入されて自由に選択できなくなるのは避けたい。


 どうかそこにいますように。ノクターナは願うことしかできなかった。


 明るい廊下を通って、危うげなく地下に着く。地下は薄暗く、一列に並んだライトがぼんやりと辺りを照らしていた。


 カチカチ、とライトが不気味に点滅する。若干空気が冷たくなったように感じる。ここは罪人を収容する主要施設ではないから当然かもしれないけれど、人の気配は一切しなかった。

 いや、そんなはずはない。いるはずなのだ。ノクターナは気持ちが逸るのと緊張を同時に感じながら先を目指した。


 自分の足音が反響する。一歩、また一歩と進む度ノクターナを取り巻く空気は冷たくなっていく。一歩、一歩と進む度ノクターナは事実を認めなければなくなっていく。

 いない、ここもいない。城の地下にある牢は今や使われていないことを証明するようにベッドなどの備品すら置かれていなかった。


 ここで引き返しておけば良かったかもしれない。そう思うのは都合が良すぎるし、何より既に手遅れだった。


「こんばんは。こんな時間に一人か?」


 もうすぐ最奥に手が届いてしまう。そんな頃、ノクターナに話しかける声がひとつあった。


 ノクターナは急いで声の主を探す。牢の中には誰もいなかったはずだ。


「生憎、ここに探し人はいないぜ。ああ、ここにも探し人はいないぜ」


 全てわかっているような口ぶりだった。実際、わかっていたのだろう。


 わざと靴を鳴らしたような足音が、この地下と地上を繋ぐ唯一の通路から聞こえる。ノクターナは隠れようとそれらしいい場所を探すがすぐに諦めた。狭く寂しい地下にお誂え向きのものはないし、もう誤魔化せないだろう。

 ノクターナは杖の先に大きめの光を作った。ゆっくりと歩く声の主の姿が浮かび上がる。


 それは背の高い男だった。鎧の仮面で頭だけを守っている。声を聞いたことはありそうだけれど思い出すのには至らない。


「誰――?」


「俺のことは今は大事じゃない。だろ?」


 男は挑発するように首を傾げながら言う。


「うん。そうだね」


 彼が何者なのかは関係ない。彼が何者でも構わない。


 ノクターナは疲れたようなため息を零すと、地下の冷たい壁に背中を預けて天井を見上げた。さて、どうしようか。彼一人から逃げるだけならきっと容易いだろうけれど、果たして彼は一人なのだろうか。


「お願いだからその危ない杖を振り回すのだけはやめてくれ。俺だって怪我はしたくない」


「それを僕に頼むより君は自分の身を守った方が確実だと思うよ」


「それこそ、そうだな。返す言葉もない」


 なんて言いながらも、男の声色は軽快そのものだった。着実に近付いてくる。まるでノクターナが魔法を使わないと決め込んでいるように。


「怪我したくないならその辺りで止まって。僕は何もせず家に帰るから」


「これが俺の新しい仕事なもんで、そういうわけにはいかない」


「新しい仕事、ね」


「兎も角、ここに探し人はいない。罠にかけられたんだよ。わかったら諦めてそこの牢でゆっくりしててくれ」


 罠。ノクターナは思い至らなかった自分を恥じた。冷静だったつもりが全く周りがみえていなかったのだ。そして思い至っていたとしても、手法は違えど同じ行動を取っただろうことは容易に想像がついた。


 どこからが罠だったのだろうか。まあ、考えても無駄だろうか。


「じゃあ、逆にどこにいるか知ってる?」


「知らん。少なくとも、俺はこの城で見たことがない」


 ぶっきらぼうに、興味がなさそうに。はぐらかしているのかもしれない。しかしノクターナの腑に落ちる部分もあって、男の言葉を疑う気にはなれなかった。


 ノクターナはすぐ近くにある牢の鉄格子を掴んだ。冷たい感触が掌を伝って全身に行き渡る。


「痛いことはしないでね」


「上が言うにはこの国は、そういうのと無縁らしい」


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