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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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元小国の城5


「――奥に行きましょう」


 ルカは鳥かごを棚から取り出すと、より物でひしめいている方へと進んだ。高くまで積まれたそれらは落下しそうでしない絶妙なバランスを保っている。


 入口付近からは見えなかったかれど、そこにはひっそりとした扉があった。ルカは家でもあると言っていたし、その先はプライベートな空間なのだろう。

 ルカはポケットから鍵を取り出して開錠すると、振り返ってノクターナを見上げた。出会ったときよりも緊張した表情をしている。


 鳥かごの扱いはそれを運んでいた集団とは違い、全くの別物であるように、片手でぶら下げて持っていた。


「本当は見せてはいけないんだと思いますが、姫様だけは特別です」


「光栄だよ」


「ですがその前にひとつだけ聞いておきたいことがあります。――姫様はボクらの希望になってくれるんですよね?」


 ルカが口にしたのは質問というより確認であった。それも有無を言わせない類のものではなく、否定されないとわかって取る確認99%を100%に持っていくため。


 真剣なまなざしがノクターナには重かった。圧し掛かった責任から逃れるように、ノクターナは目を逸らした。


「すみません、姫様を信用していないわけではないんです。ただボクらの話を聞いて欲しくって。ついてきてください」


 はいともいいえとも言わず、ノクターナはルカに続いた。


 パタリと扉が閉まった瞬間、あるいはノクターナが入った瞬間、空気が一変したような気がした。冷たく、重い。引き返せない場所まできてしまったことをひしひしと感じる。


 扉の先には十数人の男女が同じテーブルを囲んでいた。中心には近辺の地図、一人一人には水の入ったコップとメモを取るために紙とペンが配られている。


 彼らは白いままの紙にペンを置くと、場違いに現れたノクターナを睨んだ。


 敵意しか感じない視線にノクターナは身体を強張らせ、ルカに気付いたおかげで視線は和らぎ、次に品定めするものへと移り変わる。


 彼らのうちの一人がわざと音を立てて立ち上がると、ずかずかと近付いてくる。


「おかえりルカ、遅かったね。それは?」


 全員の注目がノクターナに向いている最中、牽制でもするように、高身長の女は鳥かごを話題に選んだ。


「前々から待っていたものがようやく届いたんだと思いまして。誰か中は見ましたか?」


 ルカはこんな状況にも関わらず怖気付くことなく声を掛けた。彼らはノクターナから視線を外さないまま、各々が自由に首を横に振る。


「いいえ。リーダーがいない間にすることではないから」


「それくらいボクは気にしませんが、あとで見てみましょう」


 ルカはそう言うと、人が集まっているのとは別の小さなテーブルに鳥かごを置いた。


「――君が彼らを束ねてるんだ」


「それも今日までですけれどね、姫様」


「どういう意味?」


 ルカは隠し事をするように小声で呟いた。


 しかしすぐそこにいた女には当然聞こえて、どうやらそれが気に入らなかったらしい。「姫様?」と繰り返した声には不満がにじみ出いた。

 女を媒介にする形でその言葉は伝わり、部屋中にどよめきが伝播する。


 彼らの中にはそれを肯定的に捉える者もいるにはいたが、多くはそうでなかった。真偽を訝しんで、女とはまた毛色の違った不満を示している。

 当然だ。少しでも政に関心を寄せていたのなら一人だけ行方をくらませていたとわかるだろう。


 ノクターナは本来なら謂れのない批判を一身に受けた。それが責務であるというように。


「姫様を悪く言わないでください。姫様にだって事情があるんです」


「適当言わないで、ルカ。ルカはその事情がわかってるって言うの?」


「わかりません。一介の庶民が姫様の事情を知る必要ありますか?」


 完全に思考を放棄した者の言葉。暴論だ。しかしそんなものに勢いを削がれてしまうのは、彼らが同じ志のもとに集まったことを表していた。王族至上主義。本の中であればノクターナも知っていたが、相見えることがあるとは。

 古く危うい思想であることは認めつつも、歴史上蜜月の仲であった。ノクターナは無関係であると思えなかった。


 女は逡巡の後、ノクターナに聞かせるよう舌打ちをして席に戻っていった。


「姫様、ここに立ってもらえますか?」


 ルカに促され即席の舞台に上がった。たった数センチメートル視点が高くなっただけだが、その少しの違いは両者の立場の差をたった今作ってしまった。

 訝しむ者、ペンで紙を叩く者、行儀悪く足をテーブルの上に載せる者。ほとんどが自分を大きく見せようとしての行いであるが、彼らの潜在意識に己は格下だと刷り込まれる。瞳に真剣さが宿る。


 それが隣に立つルカの影響なのか自分のせいなのか、ノクターナには区別できなかった。


「今朝、女王様の公開処刑の日時が公表されました。七月一日、四日後の早朝だそうです」


 彼らの間にどよめきが走った。それには僅かな希望と残された短すぎる時間に対する困惑が孕まれていた。


「待って、女王様のって、他の皆は?皆生きてるんだよね――?」


「――わかりません。公表されていないのです」


「そっ、か――」


 どんな感情を抱くのが正解なのだろう?どちらにも傾いた感情は釣り合って何も表面化しなかった。


「ボクは、女王様を救出すべきだと考えています。それを足掛かりとするのです」


 ルカが言うと彼らは別々のタイミングで頷いた。共通目的が作られた瞬間だった。


 ノクターナは感情では頷きたくて仕方がなかったけれど、それをして良いものかとのささやきが言動の邪魔をした。

 ルカたちを信用して良いのか、彼らの間にノクターナが入って良いのか。もし成功したとしても、彼らは戦争を求めるだろう。

 ルドルフにはどう説明すべきなのか、巻き込んで良いものなのか。わからない。


 感情を排してしまえば、血も涙もない存在になって目を背けるのが正解に思えてくる。ノクターナには一人で決められる内容でなかったけれど、誰も相談できる相手がこの街にいないことに気付いた。


「姫様、ボクらの希望になってくれますか?」


 勧誘。同志として、或いは大義名分として。


「――僕はもう姫様じゃないよ」


「国が地図から一時だけ消えたかどうかなんて関係ありません。生まれ持ったものは変えられないように、姫様はこれまでもこれからも姫様なんです」


 考える時間を作るための言葉は、その役割を果たせずに即答された。ルカが感情を込めて言った言葉は、しかしノクターナの心には届かなかった。


 彼らの視線の全てがノクターナに注がれる。そこに敵意はもう感じられず、ただ次の言葉を期待していた。


「――少しだけ考えさせて」


 そうして作られた時間に意味なんてないのかもしれない。どうせ正解を見つけられはしない。


「ボクらは姫様を信頼しています」


 その言葉にも意味なんてない。


 宿に戻って一度休憩しよう。ノクターナは即席の舞台から降りた。引き留める声は聞こえなかった。


 ふと黒い布をかぶった鳥かごのことを思い出して机の上を見れば、不自然にめくれ上がった布の奥に、小さな人間の足があった。


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