元小国の城4
ノクターナを職質した警察は何と言っていたか。
他のみんなはわからないけれど、お母様はまだ生きていて、タイムリミットが刻々と近づいている。まだ未来は変えられるかもしれない。あわよくば、前のような生活とまではいかなくとも。
そんな願望と、旅のせいでどうしても磨かれてしまった現実的な見方がせめぎ合っている。可能性はあれども、それに辿り着くための具体的な道筋が想像できない。しかし、だからと言って何もしないのは違うと思うのだ。
後腐れがあってはならない。無関係の人を巻き込んではならない。浅学菲才を自覚しているノクターナだが、それでも一番適当な落としどころを探した。
今日は六月二七日。
『公開処刑まであと四日』
気付けば、しばらくは聞こえていた足音や血眼になってノクターナたちを探す怒号もすっかり遠くなっていた。息を乱しながら走るルカを横目に振り返ると、そこにはもう日常が戻っている。曲がり角の先を警戒しながら確認して、一度休憩しようと申し出た。路地の暗がりはもうそこにはなかった。
深呼吸を一度してみると、ノクターナの身体はこれくらい屁でもないと教えてくれる。丈夫になったものだ。
反面、随分な大立ち回りを演じた少年は普段からこうではないようで、肩で呼吸をして民家の壁に手をついている。尚も現場から離れようと歩く。ノクターナの心臓がずきりと痛んだ。
ノクターナは旅に出れば済む話だが、ルカの生活が少しでも不自由になったのなら、それはノクターナのせいなのだから。後悔ではないけれど、それに似た感情が生まれる。せめて人前か否かは判断すべきだった。
ルカと歩幅を合わせて数分、ルカは徐々に呼吸を落ち着かせていった。ノクターナはそれをぼんやりと見下ろす。
人形のような整った顔をしている。不健康なほどに白く透き通った肌。幼い外見に反して上品な所作を見れば、服装は庶民と大きくは変わらないが、良いところの生まれなのだろうか。
「あーあー、んっんん。――どうかしましたか?」
じっくりと眺めすぎていたようだ。ルカは咳払いをしたあと首を傾げながらノクターナを見上げた。
「いつまで僕の手を握ってるのかと思って」
ルカの小さな手がノクターナの指を三本まとめていた。
「す、すみませんでしたっ」
ルカの顔が一瞬で青ざめていった。指から手を離すとすぐさま飛び退き、地面にめり込まん勢いで頭を下げた。
少し揶揄ってやろうと思っただけなのに、想定と正反対の反応をされては戸惑う。ノクターナが声をかけるよりもさきに、ルカは矢継ぎ早に言葉を続けた。
「さっきも姫様を勝手に姫様と呼んで、姫様には何か作戦があったはずなのにそれの邪魔をして」
「気にしなくて良いよ」
住民のほとんどがノクターナのことをたったの一年で実際に会ってもわからないくらいに忘れているのに、こんな子供の記憶にだけあるのは不思議な気分だ。
みんなに覚えられていないと知ったときには、姫様という立場が思っていたよりちっぽけであったと知らさたのと同義で、哀しいのと同じくらい安堵した。薄れていたレッテルが完全に剥がれたような気がした。
「――僕はもう姫様じゃないから」
一年前よりも前、ルドルフと一緒に国を出たそのときから。
ネガティブでも何でもなく変えられない事実として言ったのだが、ルカはその通りに受け取らなかったようだ。俯いて口を閉ざした。
軽々しく言ったはずが、空気を重くする結果になってしまった。ノクターナは空を仰いだ。
「あの、良ければボクが台無しにした作戦について教えて頂けませんか?何かの参考になるかもしれません」
「そういえば君、さっきも作戦って言ってたよね。一体何のこと?」
「何言ってるんですか、とぼけないでくださいよ」
始めは、ルカがノクターナの失態を責め立てようとしているのだと思った。偶然鉢合わせただけで尻拭いをさせられたと文句を述べているのだと思った。であれば懇切丁寧に謝るつもりであった。
しかしノクターナをそうさせなかったのは、ルカの瞳に言外の意が一切含まれていなかったからだ。ルカは、今ばかりは世間知らずの子どもであった。
「やつらを表舞台から引きずり落として姫様の国を取り戻すための作戦です。ボクたちでも考えてるんですが、中々建設的な案が出なくて――」
ルカは恥ずかしそうに髪を触りながら言った。
ルカの言った拠点という言葉、そして希望になってもらうという言葉の意味を明確に理解した。どれくらいの規模でどれくらいの熱量で取り組んでいるのかは不明だが、ルカはノクターナをクーデターに引き入れようと画策しているのだ。
危ない船に足を掛けていると今更ながらに理解する。
「まあ、正直無理だろうとか言っている人もいるんですけどね」
何とかここを離れようと考えていただけに、その言葉は意外であった。
「ですが、姫様がいるのなら話は別です。みんなの熱量も上がります」
「その僕に対する絶対的な信頼は何なの――」
「当然です姫様なんですから」
どうにも話が合わない。
ノクターナは呆れ混じりのため息を零した。
「――作戦なんてないよ。あれは僕がヘマをしただけ」
「そんなに自分を下げないでください」
「謙遜とかじゃなくてボクはただ――」
「それ以上は止めてくださいそんなはずないじゃないですかボクなんかと違って姫様は優秀なんですから作戦があるに決まっているし邪魔さえ入らなければ成功するんです」
ルカは矢継ぎ早に言葉を重ねた。節々には、一年以上表舞台から姿を消していたのに今更ぽっと出てきた姫様に対する狂気に近しい妄信が含まれていた。それがノクターナには恐ろしかった。
ルカにとってノクターナは姫様という記号でしかなかった。絶対的で天才的で超越的な存在。旅の道中にも城にいたときにだって受けたことのないその視線は、ノクターナに諦念できる代物でなかった。
ノクターナはそっと歩く速度を落とした。ルカは意図に気付かなかったようだ。ターンアウトするように振り返ると満面の笑みを浮かべた。
「あっ、わかりましたボクが台無しにしたことを引け目に思わないよう気遣ってくれたんですね。流石姫様お優しい」
ルカは独りでに納得すると何度も頷いていた。ノクターナは訂正してやることを諦めて明後日の方向を眺めた。
時間は極僅かだ。時間までにルドルフと決着を付け、方策を企て、ルカの扱いについても決めなければならない。与えられた長くも短い沈黙にノクターナは思考の海に耽った。
焦燥の中心には場違いなほど冷たい感情があった。それが言うには、救出などノクターナのエゴに過ぎないらしい。行動を起こすという部分では一致しつつも、正当にリスク評価を下している。救出の可否よりも無駄な損害を出さないべきだ。
それが過半数を超えることはないけれど、一定以上の影響力があることも理解していた。故に思うのだ。
ああ、嫌な人間に育ってしまったなと。ノクターナは短いスパンに詰め込まれたあらゆる出来事へ責任転嫁した。
「着きました。ボクの家兼拠点です」
そんな声に、ノクターナは現実へと引き戻される。
「ええと、ここは?」
「普段は魔法に関する品を売ってるんです」
それは前時代的な風貌をした魔道具店だった。さながらハロウィーンのような妖しい装飾品の数々、来るものを拒む我の強そうな雰囲気。明らかに浮いている。忍ぶつもりが一切感じ取れなかった。
ルカが扉を押して入ると、ノクターナもそれに続いた。
無造作に物で溢れた店だ。ライトは灯されているが、数個の小さいライトが天井から吊るされているだけでうす暗く、全貌を見渡すことはできない。外観の通り客が少ないのか部屋は妙に埃っぽく、机を指でなぞると簡単に汚れる。
窓が分厚いカーテンで遮られているせいか、室内は季節を忘れさせる気温をしていた。悪寒にも近い鳥肌が立った。しかしそれも一瞬のことで、気のせいなのだろうと頭の中から排した。
こんなときでさえなければ、ルドルフを呼んでじっくりと時間を潰したいが、それだけに残念だ。宿に戻ってもこの店のことを話さないのだろう。ノクターナがもう少し嘘が得意ならば良かったが、ルカと出会った経緯を聞かれてボロが出ては大変だ。
「姫様もこういう場所がお好きなんですね。――少しだけ、親近感が湧きました」
興味が赴くままに店内を眺めていると、遠慮がちに、はにかんで呟いた。
ルカは続けて何かを言おうとして、やめた。ルカの中で姫様という存在は、たとえそうでなくなったとしても、相当に大きいものだった。
そんなこととは露知らず、ノクターナは視線を店内に戻していた。
本、杖、小瓶、何だか検討もつかないものまで。店主の独断と偏見で選ばれた品物たちは、もう少し敷居が低い外観をしていたのなら、魔法使いたちなら興味を示さないはずがないだろう。
ノクターナは値札のない品々を睨みながら財布の中身を思い浮かべる。買って帰るわけにはいかないから考えるだけになるけれど、だとしても時間が溶けていく思いだ。
そんな店内に、メジャーではないけれど記憶に新しいものがあった。
「あれも売り物?」
ノクターナはそれを指差しながら問うた。こういう類の店にはコレクション目的で飾られているものも少なくないからだ。
「あれが気になるんですか?」
「うん」
ノクターナは即答する。
だって、まるでカモフラージュでもするように、黒い布で覆われた鳥かごが飾られてあったのだから。




