元小国の城3
それは二日前に遡る。ノクターナは気分転換がてら一人で街を出歩いていた。
身体は意図せずとも城に背を向けて、道端に捨てられたゴミを素通りする。快く挨拶を交わしている人々に出会って、どうにもそれが煩いと距離を取る。
人が少ない場所を目指して歩いた。しかし路地の暗がりに一人は足が竦んだ。
散歩を初めて十分もしない内に。ノクターナはそんな自分が嫌になって踵を返そうかと悩む。今帰ってはルドルフがどう思うかといらぬ配慮をして、ノクターナは右左折を繰り返した。
考え事をしながら歩いていると、気分転換の意味は薄れど時間の進みは早くなる。気付けば宿から毛甲離れた場所にいて、妙な現場を見掛けた。
黒い布を被った鳥かごを、何か汚い物を摘まむように、しかし大切そうに運んでいたのだ。三人が鳥かごを身体で隠すように歩き、二人が辺りを警戒して見回す。「落とすな」「揺らすな」と互いにフリのように言い合いながら。
要人の大切な鳥を運んでいる繊細な集団、で片付けられる程度の異質さではなかった。誰の目にも怪しい。貴重な鳥を盗んで拠点に持ち帰ろうとしている、とした方が納得できる。それにしても異質だけれど。
ノクターナはそんな集団を影から見詰めていた。悪事の証拠でも発見したのなら誰かに密告するのだろうか。ノクターナにもわからない。ただただ見詰めていた。
ノクターナは尾行を得意とするわけではない。本人は気を付けていたつもりでも物音だとか視線だとかで一分もしない内に気付かれた。辺りを警戒していた一人と目が合う。
「あの人は――」
一人がそう言うと、全員が一斉にノクターナを見た。
敵意だけでなく、様々な色の視線が混ざっている。凍てつくような風が全身を走って、視線の意味を汲み取る時間もなしに、ノクターナは脱兎のごとくその場を逃げ出した。
大丈夫、追われてはいない。しばらく離れた場所で息を整える。
「――帰ろう」
何も見ていないのだ。ノクターナは俯いて宿への道を辿る。
気分転換のつもりが、余計に考え事を増やす結果になってしまった。あの鳥かごと集団は何だったのだろう。あの人はノクターナを見て何と言おうとしたのだろう。考えれば考えるほど思考の渦に嵌まっていく。そういう意味では、ノクターナを決めなければならない議題から遠ざけてくれたと言えるのかもしれないけれど。
「こんにちは。今時間ある?ちょっと良いかな?」
今日は厄日なのだろう。視界の外からそんな声がした。
始めは願望も込めて別の人に話しかけたことにしたけれど、足音はノクターナに追従していた。
「――また今度にして」
「そういう訳にはいかない。一瞬だけだから顔を上げて」
その声はしつこく付き纏ってきた。ノクターナは堪忍して立ち止まる。
「こんにちは。こんなに良い天気なのに俯いてたら勿体ないよ。ちょっと話聞かせて」
声の主は一組の警察だった。職務質問というやつだ。ちなみに空は曇っていた。
彼らは知らない制服を身に纏ってノクターナの進行方向に立ちはだかった。ほとんど本能的にノクターナは身体を強張らせる。目を細めて視線を鋭くし、一歩後退りながら杖を収納してある場所に右手をかざす。
「そんなに警戒しないで。取って食ったりはしないから」
警察はそれを反抗の意思と判断しなかった。声を和らげて両手を肩の高さで左右に揺らす。
嫌悪感を膨らませつつも毒気を抜かれたノクターナは、誤魔化すように右手を腰へあてがって向き直る。一定の距離は保ったまま、普段通りの顔を作る。
「――急いでるから手短にね」
「うん。そんなに時間を貰うつもりはないから」
警察は両手を下げて好青年というべき微笑みを浮かべた。
「この辺りで怪しいものを見なかった?」
怪しいもの、と言われて即座に思い浮かぶのは集団で厳重に運ばれていた鳥かごのこと。あとはノクターナ自身のことだろうか。両方とも人にバレては都合が悪いものだ。
警察が探しているのがどちらにせよ、ノクターナに態々教えてあげる義理はない。ポーカーフェイスを心掛けながら首を左右に振った。
「見てないけど、何かあったの?」
幸い、警察はノクターナを知らないようだった。
「――知らないなら大丈夫。ただの決まり文句みたいなものだから」
警察は目配せを交わしてからそう言った。
はぐらかされたと知りつつも、気分が乗らなかったノクターナは流すことにした。あまり長時間関わっていたい相手ではない。
「見たところ旅人みたいだけど、ここには観光で?」
「そんな感じ」
「どう?この街は楽しんでくれてる?」
警察の言葉選びはここを己の場所だと認識しているようで、実際そうに違いはないのかもしれないけれど、ノクターナは顔を顰めた。
「僕はもっと小さい街の方が好き」
言うべきではないとわかっていたけれど、曇天にかつての姿を思い描いた。
爆発させるタイミングを失ってしまったノスタルジー。今やそれは薄まるのを待つばかりである。
「それは残念、一年遅かったね」
「一年?」
「うん。てっきり知ってて言ったのかと」
そうか。ノクターナが離れてそう経たない内の出来事だったのか。
もうどうしようもないことを今更知って、ノクターナは視線を落した。
「――もう行っても良い?」
未だ道の邪魔をしている警察に文句を言うと、警察は無言で左右に退けた。
はあ。気分転換のつもりがむしろ悪化させられた。宿に戻ったら寝よう。それから、早くここを離れるようルドルフと話し合うべきかもしれない。
ノクターナが歩き出すと、そのタイミングを狙っていたように、独り言のように呟いた。
「そうそう、上司から宣伝しろってきつく言われてるんだった。七月一日、暴君の公開処刑があるから良かったら見に来てね」
それは有名アーティストの告知のように言い放たれた。
暴君とは誰のことを差しているのか、初めは理解できなかった。足が止まって全神経を言葉の処理に費やし、理解した。
戦争は負けた方が悪だ。とっくに処刑されていると思っていた。最低だけれど、心のどこかでそうであると決め付けていた。であれば、自分にはどうしようもなかったと思えたから。
生きているかもしれない。それを無邪気に喜ぶことはできない。まず浮かんだのは、人命を娯楽として消費しようとしていることに対する怒りだった。
ノクターナはゆっくりと振り返る。警察の顔は醜悪に歪んで見えた。
「――っ」
ノクターナが振り返ったのを、興味を示したのだと勘違いした警察は、次なる言葉を吐き出そうとした。ノクターナは気付けば杖を警察に向けて、口の中に氷塊を作っていた。
慌てて氷塊を取り出そうとして、しかし歯が邪魔で溶けるのを待つほかない。指を突っ込んで何度かトライしている内に顎が外れたようで唾液を汚く垂れ流していた。
隣でわたわたしているもう一人の警察にも一応氷塊を咥えさせた。
喋るのを諦めた警察は魔法で対抗しようと杖を取り出して、ノクターナはそれを杖で弾いて落とす。
杖がなくとも魔法は使えるけれど、その精度はいくらか落ちる。さほど苦労せず、ノクターナは警察の手足に錠を掛け地面に転がしていた。
「ちょっと何してるんですか――っ!」
声が辺りの空気を震わせた。ノクターナの耳には届かなかった。
尚も抵抗を続ける警察の魔法を打ち落としながら、ノクターナは考えていた。意地の悪い魔法使いと戦うなら、大体の場合命か意識を奪うことになる。
あるいは、ここで捕まって素性がバレたら一緒に処刑されるのだろうか、なんて馬鹿なことも。
「姫様――っ!」
久しくそう呼ばれていなかった。ぐらぐらと身体を揺すられて、ノクターナはようやくその人物を認知した。
「誰、何で僕のことを」
「そんなの何でも良いでしょう、警察が集まってくる前に早く逃げますよ。死にたいんですか」
見た目は幼い男の子だったが、その剣幕に押されてノクターナは走った。
辺りには人が集まっていた。姫様という言葉に反応を示している者も少なくなかった。ノクターナは自分のしでかした事の重大さを自覚した。
男の子に手を引かれて、ノクターナは路地を駆ける。市民が追いかけて来ることもなく徐々に静寂が増していった。
「ね、ねえ君。君は何者?僕たちはどこへ向かってるの」
「ルカです。ボクらの拠点へ行って、一旦そこでやつらのほとぼりが冷めるのを待ちましょう」
ルカは恐ろしいほどに冷静だった。影響されるように、欠いていた冷静さの一部を取り戻す。
ルカがノクターナを牽引して走っていた。いつしか二人は並んで前を向いていた。
まるでかくれんぼに失敗したときのようだ。しばらくは忘れていた記憶が蘇ってくる。最後まで逃げ切れたことは一度もなかったけれど、そんなのどうでも良いくらいに可笑しく思えて、自然と笑みがこぼれた。
「あっはは――」
「ど、どうしたんですか急に笑って」
「何だか面白く思えて」
「もしかして頭いかれてるんですか!?」
そんな反応も面白かった。
何もかもが懐かしい。今ばかりは失ったものを取り戻したように感じる。
「あの、自分で言っておきながらすごく勝手なことを聞くんですけど。――貴女は本当に姫様なんですか?」
ルカの声は小さく、ひどくおびえたような声色だった。
笑顔を収めて答える。
「もしそうだって言ったら?」
「ボクたちの希望になってもらいます」
断固として言った。それは事実の確認とともに、ノクターナに与えられた選択肢でもあった。
一息ついて、口を開く。逡巡は発声を遅らせるが、代わりにはっきりとした意志を込めることができた。
「僕の名前はノクターナ・アステリアだよ」
今はなき国の名を性とする、その名前に。




