琥珀の涙
俺は何か悪いことをしたのだろうか。その問いに答えてくれる者はいない。
そこは、薄暗い牢屋だった。少し遠くで弱いライトが点灯している。背後の壁の高くには小さな窓があって、脱出防止のためか格子がされている。そこから細く差し込む太陽光で俺は暖を取る。床が冷たい。
「ははっ――」
乾いた笑みが溢れる。俺はいつの間に犯罪者になったのか。
脱獄しようかと考えた。俺がここに居るということは多分、ノクターナは交渉に失敗したのだろう。俺の命に関わることだ、迷惑がかかるだとかそんなこのいってはられない。
けれど、それが無理なことはすぐにわかった。
例えば労働のような牢を出られるタイミングを狙おうか、生憎そんなのはなかった。
食事を持ってくる看守を黙らせて逃げようか、俺は武に心得がない。組み伏せられるのがオチだ。
この格子を破って逃ようか、俺に魔法が使えれば可能性はあったかもな。ノクターナのように。
俺は俺で、何もできやしない。無力なのだ。
無論、このままおちおちと死ぬつもりはない。ただまあ――
「無理だろうな」
そんな気はする。
何にも繋がれていない自由な手足は警戒すらされていない証なのだろう。企みがあれば嬉しいことだが企みがなければ。
「俺は――」
俺はここで独り、腐っていくのを待っていた。
「おーい、生きてっか?」
そんな日々のある時のこと。願ってもいない声が聞こえた。グレイだ。
普段通りの精神状態ならこんな不細工な状況は見られたくなかっただろうが、今はただ彼が有り難かった。
「何でお前なんだよ」
そう茶化す俺は笑っていたように思う。
「知らねえよ」
グレイは牢屋の鍵を開けて入ってくる。入ってはこないようだが知らない人も別にいて、脱獄の誘いでないことはわかった。それは同時に最悪の予想を俺にさせる。
「俺が居なくなってからどれくらい経った?」
「二週間と少しだ」
もうそんなにも経っていたのか。
「知ってるか?一人上級使用人が減ったんだ。お前関連じゃないかと思ってな」
「どうでも良い」
「そう言うと思った」
心当たりを思い浮かべて、まあ多分もう会うことのない人間だ。ノクターナが手を回してくれたのだろうか。
「そうだ、一つ言っておかなきゃならないことがある」
一段、グレイの表情が真剣なものになる。
視線で指図するように出入り口を見てグレイは立ち上がった。
「お前は悪かないから安心しろ。行こうぜ」
気の所為だろうか。離れていくグレイの顔が一瞬、哀しげに写った。何か声をかけるべきな気がして、けれど思い付いた言葉はありきたりなものだった。
「ありがとう、グレイ」
「――ああ」
より一層表情が暗くなった。
◇◆◇
無言を気不味いと思う間柄でもないのに、この時ばかりは辛かった。
みてくればかりの縄に手を結ばれ、俺は歩く。「逃げても良いがおすすめはしない」とはグレイの言葉だ。生憎、俺はグレイに追われて逃げ切れると思うほど自惚れてはいない。
時刻は未明くらいだろうか。物音がするのはキッチンの方ばかりで、それ以外は物静かだ。朝が早いのか野次馬精神か、ぽつぽつと見かける人影に後ろ指をさされる。
俺はどうなってしまうのか心配でならなかった。
俺を何の罪で罰するつもりなのだろうか。品行方正とはいかずともそれなりに生きてきたつもりだ。――でっち上げれば終いか。
厳重注意やら停職やらでは済まされないだろうな。殺されるとなれば全力で抗うが、クビ程度なら甘んじて受け入れよう。慣れたことだ、次は何処へ行こうか。居心地は悪くなかっただけに寂しいや。
どうせなら波風立てることなくここを出て行きたい。誰にも知られず忘れ去られて。せめて悲しんて欲しいというのは高望みだ。
「着いたぞ」
そこは城のエントランスだった。吹き抜けになっていて誰かが通ればすぐに気付かれる。目立ちたくないという願いは叶わなかったらしい。
グレイが小さくお辞儀して下がる。その背中を名残惜しく見ていれば同じように立っているノクターナに気付いた。
「君、最近見ないと思えば何処に行ってたの、聴いてくれよ。お母様が僕の質問に答えてくれないんだ」
焦ったように、捲し立てるように。その表情に余裕は全くなかった。汗をかいて、誰かを探すように当たりを見回して。取り敢えず落ち着かせようと声をかけるが効果は見られなかった。
「俺は――」
「こほん」
そんな俺たちを黙らせるように咳払いが一つ、響いた。入口を背にして真正面。厳かな雰囲気を纏った六人がこちらに睨みを利かせる。
中央左に居るのは俺でも知っている。ノクターナが今お母様と呼んだ人物であり現女皇。咳払いをした人物でもある。
察するに中央右に居るのは女皇陛下の夫だろうか。その隣には執事セバスチャン、女皇陛下の左にはノクターナ似の少女だ。多分次期女皇。
その方たちを挟むようにして屈強な兵士が2人。考え事はすっかり吹き飛んで、その尋常でない雰囲気を一身に受けていた。
「これより、判決を言い渡す」
待てと、心から叫びたくなった。
何故ノクターナがこちら側なのかと。ノクターナが向こうに立って、俺は独りで。そうであるべきだ、そうでなければあり得ない。意味が、わからない。
彼女は王族なのだ。俺は庶民なのだ。同列に罰っせられることなんて。彼女は、ノクターナは――
そう強く思っても俺は庶民で、前に居るのは王族で、俺は小心者で。言葉にするどころか口を開けることさえ出来なかった。
多分、ノクターナもそのおかしさに気付いたのだろう。表情が歪んでいく。「待って」と口が動く。
無情にも、それが届く前に押さえ付けられた。
「永久に国外追放とす。金輪際一切、我が領地に踏み入るでない」
と。
◇◆◇
兵士に連れられ、俺たちは理由もわからぬまま国を出た。「じゃあな」と俺を知る兵士はそう言って、ゆっくりと門を閉ざした。
ゆっくりと、ゆっくりと。入りたければ入れと言われているような速度で下がる門を、何もできずにただ眺めていた。完全に閉じれば居場所はなくなるとわかって、無理に押し入れば彼らは便宜を図るとわかって、けれど身体は追い付かぬままに俺たちは独りになった。
ガシャンと、やけに大きく響いた音は俺たちにさよならを告げる。
閉まり切った門にノクターナは走り、叩く。意味のない言葉を喚きながら叩く。
何度か門を叩いて、赤くなった手で彼女は俺の胸を叩いた。八つ当たりするように強く、そして弱々しく。
俺の前で初めて、ノクターナは泣いた。いつぞやの俺のように、ぐちゃぐちゃになりながら胸の中で泣いた。俺はゆっくりと腕をノクターナの背に回す。
そんなことしか出来なかった。強く抱き締めてやることも、魔法で嗚咽を隠してやることも出来ず。せめてもの思いで、俺は瞳を瞑る。
ノクターナは強くて、数十秒後、俺を突き放した。
「僕は――」
「北に行こう」
「え――」
「ここからずっと北に、俺の故郷よりも北に。そこに居る知り合いを頼れば、俺は貴女をこの国に帰してあげられる」
身分を偽装して、だから家族には会えないかもしれないけれど。それでも今はこの言葉が必要な気がした。でなければ何処か遠くに行ってしまいそうだったから。今生の別れは嫌だったから。確証のない言葉を無責任に吐く。
長い、長い一瞬の末。次の言葉を重ねようとした俺にノクターナはいう。
「――わかった。僕は君に付いて行くよ」
「必ず無事に連れて行くと約束する。俺は、貴女を」
ぎゅっと、強く掌を握り込む。
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