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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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ロスト・ワンの戦い5


 外で話してた時間は、内容を思えば短いもので、しかし彼女たちにとってそうではなかったらしい。


 ノクターナとハートレイ、属性の違う二人の何が合致したのか、ベッドに座って仲良く談笑していた。気が知れた仲の阿吽の呼吸のような雰囲気。しかし彼女たちの瞳に――ハートレイの瞳にその色が混じっているのは納得できるけれど――達観や冷笑の色が感じられるのは不思議だ。


「庶民。誰が入室を許可した?」


 扉を開けた途端にそう言われて、内緒話を聞くどころか不思議な雰囲気も一瞬で消え去ってしまったのだけれど。


 入口から二人までの長い数秒の間、ルドルフはどうやって話を切り出そうかと悩んでいた。


 曰く、ライアーレイが戦争に巻き込まれるまでそう時間は残されていないらしい。だからこうして話し合いに費やすのは勿体ない。

 同時に、時間がないというのは嬉しいことでもある。城に帰る時期がそこまで遅くならないのだから。


 「目的も達成したことだしそろそろお暇しよう、ルドルフ。不法侵入のお詫びはできなさそうだけど、長居しても迷惑だから、ね?」


 ノクターナはベッドから立ち上がって、ルドルフを見ながら言う。


 ノクターナの望みは城に帰ること。ルドルフの望みにはその後まで無事であることが含まれるけれど、概ね同じだ。だから行動方針にさほど影響は出ない。


「その件についてなんだが、この国の別の都市を観光しないか?折角寄ったのに一泊二日は、何というか味気ない」


「――旅を始めたばかりみたいなこと言うんだね、珍しい」


 ノクターナの瞼が驚いたように開かれて、しかし感触は悪くないようだ。ノクターナの唇には微笑みが表れている。

 取り敢えず第一関門は突破。


「それはおすすめしない。ライアーレイが落ちたあと、戦火がどこに広がるのか私にはわからない。お前たちの安全を保障することもできない」


 予想外にも口を挟んできたのはハートレイだった。二人はあの短い間でどれだけ仲を深めたのか。


 ハートレイの望みは、放棄されるのは仕方がないにしろ無血開城はさせないこと。たった一人で、もしくは数人でライアーレイに残りここで死ぬつもりなのだ。

 後者に諦めの感情があるのならハートレイを生かすことは不可能ではない。自称貴族、彼の望みも叶えられる。


「それは大丈夫。僕たち、自分の身くらい守れるから」


 この国で観光することにノクターナは前向きなようで有難い限りである。


「それじゃあ、決まりだ。ノクターナはハートレイを連れて先に行っておいてくれ。あとで合流する」


「――ルドルフ?何を企んでるの?」


 ノクターナが怪訝そうな顔をして尋ねてくるけれど、大丈夫。一番リターンが大きい選択のはず。


 ルドルフは自称貴族の方を向いてから言う。


「炎系の魔法は使えるよな?」


「ええ、まあ、わたくしの十八番ではありますが」


「だったら火薬は?多ければ多いほど良い」


「――ございます」


 ルドルフは自分に言って聞かせるように、同じ言葉を反芻する。


 大丈夫、上手くいけば誰も死なない。少なくとも、こちら側は。

 大丈夫、火薬を地面に撒いて遠距離から爆発させるだけだ。何も難しくない。誰かの未来を奪うのも命を奪うのも初めてじゃない。何も、変わりはしないのだ。

 大丈夫、大丈夫。


 短い問答だけで他の三人にもルドルフの企みの概要が伝わったらしい。ノクターナの瞳にはふたつの意味で拒絶が強く表れ、しかし倫理観を解くことはできないとわかっていた。


「私のためにそこまでする必要はない――っ」


「ハートレイ様、そういう訳には――」


「君たちは黙ってて。――ねえルドルフ、どうやって無事に戦場から脱するつもり?」


「そのときは、わたくしが生贄にでもなりましょう」


 ノクターナは自称貴族を睨む。


 「ここに居るみんな、わかってるでしょ。百パーセントなんてないんだよ。それを無事にとは、言わないんだよ」


 ノクターナ、お願いだ、そんな悲しい声を出さないでくれ。俯いて、目頭に涙を溜めないでくれ。


「――ノクターナ。城に帰るための手段はもう手に入れた。必要な物品はもう集まった。地図だってある。気付いていないはずないだろ?俺がいなくたって、城に帰れるんだ」


 それは予てより恐れてきたことだった。


 いらないと一言告げられてしまえば、全てが終わりを迎える。隣に立つ日々は二度と来なくなる。

 ノクターナはそんな薄情なやつじゃない。知っているし信じているし疑うつもりもない。けれど考えてしまうのだ。ノクターナにとって、ルドルフは既に不要な存在であると。


 もしそのときが今訪れたのなら、それでも良いと思ってしまう。何の変哲もない日常の営みの中で突如告げられるよりはずっと、ずっと。


「ねえルドルフ、忘れてないよね?」


「――――」


「僕を無事に城まで連れて行ってくれるんじゃなかったの?」


 お願いだ、そんな表情でその言葉を言わないでくれ。二度も伝えて何度も誓って揺らいだことのない言葉を言わないでくれ。ぎゅっと、痛くて苦しくて罪悪感で押し潰されそうになる。心臓が動きを止めてしまいそうになる。


「ごめん――」


 ルドルフは謝る。ノクターナは何も言わない。


「ごめん。俺は最低だ」


 ルドルフは謝る。ルドルフは頭を下げる。誰も、息を呑むばかりで声を発っさない。いや、発してはいるけれど、ルドルフの耳には届かない。


「ごめん。俺は――」


 俺は無力だ。俺は何もできない。


 ルドルフは頭を下げたまま、自称貴族に向かってそう言った。


◇◆◇


 ライアーレイを離れて、一か月もしない頃。ルドルフは独り宿のベランダにて朝焼けを見上げていた。


 二人の間で、御法度というほどではないにしろ、あの日を口にすることはなくなっていた。おかげで沈黙は普段よりも多い旅路だった。

 心の中を整理する時間が与えられているようで、ルドルフにとってそれは嬉しいことだった。


 別れ際。ルドルフ、ノクターナ、ハートレイの三人でこんな会話をしたのを覚えている。


――――


「お前たちは、これからもずっと旅を続けるのだろう」


 ルドルフはそうであることを望んでいる。


「当分はね。でもずっとじゃない。僕たちの旅には終着点があるんだ」


「そうか――」


 ハートレイは寂しそうにルドルフを見遣って、ルドルフは苦笑いを浮かべた。


「まあ、どちらにせよだ。私はここで死ぬだろう。ライアーレイはライアーレイでなくなって、最悪の場合私の国はこの世界から消え去る」


 慰めも何も、言えるはずがなかった。


「そしてこの戦いは敵国の叙事詩として語られるだろう。ライアーレイの戦いなんて陳腐な名前か、私の家名からハートレイ戦いなんて呼ばれるかもしれない。私はそれが堪らなく嫌だ。誉れ多きこの名前に負け戦なんて泥を塗りたくない」


「――――」


「だからお願いがある。もし旅を続けて名前が変わってしまったこの都市を訪れることがあったら――」


「申し訳ないけど、そのお願いは聞けないよ。僕たちは城に帰るんだ」


 そして、小さな国の小さな城でずっと幸せに暮らす。ノクターナはそんな決意や希望に溢れさせて言う。


「まあ聞け。別に絶対に叶えろと言っているのではない。どうせ私にはお前らが願いを聞き届けてくれたかなど知ることはできないのだ」


「――聞くだけなら」


「そうか。――もし後にこの都市を訪れることがあったなら、歴史なんて塗り替えてしまうくらい声高々に別称を叫んで欲しい。そうだな――」


 ハートレイは一拍考えるように黙り、しかしとっくに決めてあったことのように言った。


「ロスト・ワンの戦いなんてどうだ?恰好良いだろう?」


――――


 たった一人で敵軍に立ち向かうから、ロスト・ワン。そんなことを自慢げに語ったハートレイは、どこから見てもこれから死にゆく者の顔には思えなかった。


「ルドルフ、もう起きたの――?」


 起こしてしまったろうか。眠い目を擦りながら寝間着のままノクターナがベランダに出てくる。


「ああ。遠出する前日の子供、みたいな」


 冗談めかして言うとノクターナが笑ってくれる。

 そう、城がもうすぐ目前にまで迫ってきているのだ。明日明後日には、という距離ではないけれど、これまでの日々を想えば限りなく一瞬で辿り着ける距離にある。


 二人は椅子に座って、一緒に太陽が昇ってくるのを見た。


「だったら、今日は早めに出る?」


「どうだな、そうしよう」


 早めに出たところで計画は前倒しにしないし、早く辿り着く訳ではない。


 そんなこと承知の上で提案したのは、ノクターナだって同じ気持ちなのだろう。ゆっくり寝ているなんてできっこない。


「それじゃあ行こっか」


「ああ」


 その日、そのとき。轟音が大地を劈いた。


次回より、最終章に入ります。どうか最後までお付き合い頂けると幸いです。


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