ロスト・ワンの戦い4
「そっちが魔法使いなのか。意外や意外」
魔法使い同士、そして女同士、そのどちらでもないルドルフと自称貴族には聞かせられない話があるらしい。
「男どもは出て行け。あんまりに長居させて、誰かみたいに惚れられては堪ったものじゃない」
さぞ面白いことのようにハートレイは笑って、ハートレイにはまだまだ聞きたいことがあったのだけれど、自称貴族に無理矢理連れ出された。
ギギギッ――と扉を軋ませて、不要な男どもは外に出る。名残惜しそうにノクターナを見遣ると、既に内緒話を始めていて少し哀しい気持ちになる。
随分と長いこと話し込んでいたらしく、太陽は丁度天辺あたりにあった。
「彼女への質問なら代わりにわたくしが答えましょう。興味がないのでしたら暇つぶしの雑談でもお付き合い致します。旅人の生活というのも面白そうですから」
重い金属の扉に寄りかかる。ルドルフもその隣で同じように空を見上げた。
「あれはどういうつもりだ?」
あれ、というのは彼が持ってきた袋のこと。
冷静な風を装っているけれどその実は混沌とした感情のせいで心臓が高鳴っていて、後に言葉足らずを悔いるけれど正常に伝わってくれたらしい。
「貴方がどこまで勘付いているかはわかりませんが、前回わたくしと探偵さんが貴方がたを巻き込んで利用しました。それに対するハートレイ様からのお詫びとお礼、口止め料を合わせたものです。個人的に、ハートレイ様より指示された額に自腹で色を付けておきました」
自称貴族は得意げに笑うけれど旅について何もわかっていない。
「知らないのだろうが、重荷は大敵なんだ」
「そう言わず貰っておいてください」
ルドルフは自称貴族を量りかねている。どこまでが本音でどこからが打算なのか。
それでも受け取っておこうと思うくらいに賄賂の額は大きく、瞳から曇りを感じられなかった。
「他に知りたいことはありませんか?」
「特には。今聞かなくてもノクターナが本人に尋ねておいてくれるだろ」
色を付けた理由を聞けば、そうでなくとも話の流れで再び取引に持っていかれることを危惧した。と言うのは建前で、自称貴族は旅の話を聞きたいと言っていたし、自分語りがしたい気分だったのかもしれない。
「信用されているんですね」
「まあ、当然な」
内緒話ではないけれど、本人に伝わらないと思うと小恥ずかしいことでもさらっと言えてしまう。
そのどちらも、自称貴族にとっても同じだったらしい。
「でしたら、わたくしの話を聞いていただけませんか?それとちょっとしたお願いを」
やはり話はそう動く。強かな男だ。
「聞くだけなら」
暖かい日光に絆されたルドルフが頷くと、自称貴族はゆったりとした口調で話し始めた。
――――
昔々のこと。ある貧民街に一人の少年がいた。
彼に名前はなく、親もなく、お金もない。
代わりと言っては何だが、彼には夢があった。何者かになりたい。こんな場所で一生を終えたくない。しかしそれは貧民街において大き過ぎる夢だ。
彼の暮らしぶりは他の誰とも変わらない。より手癖が悪いやつとより腕っぷしが強いやつが勝者の世界だ。盗み盗まれ、奪い奪われ、殴り蹴られの生活。彼の地位は平凡であった。
彼にとって彼らにとって、一番のねらい目であり褒美は迷い込んだ世間知らずな金持ち娘である。金持ちを狙えれば当分食うに困らないし、娘であれば不用心で力も弱い。
彼は身包みを剥がれて泣いている女か大切なアクセサリーを無くして泣いている女しか見たことがなかったけれど、その日は運良く彼が第一発見者だった。
盗んだのは財布と長いシルバーの髪の毛、宝石のようなものがついたペンダントだ。手入れの行き届いた髪は切り易くて助かる。逃げるとき顔を見られたけれど何の問題もない。
これで当分は楽をして暮らせるだろう。誰かに盗られない限りは。
翌朝。自らのテリトリーで目を覚ますと、彼の寝顔を覗き込む一組の男女がいた。
一人はシルバーの髪をナイフで雑に切り揃えた幼い少女。一人はこれといった特徴のない顔をした、しかし貧民街には似合わない上等な服を着た少年。
「誰だお前ら――っ!」
まずは戦利品が目的なのだろうと思って、彼は枕元へ大切に置いてあったそれらを手に飛び上がる。
シルバーの髪と財布。それらは昨晩と同じ位置にあったけれど、ペンダントだけは何故か幼い少女の首にある。
「はじめまして。わたくしのことは探偵さんとお呼び下さい。むしろそう呼ばれたいのです」
「私の名はハートレイだ。一応そこの馬鹿の上司に値する」
幼い方が上司だというのは理解にしばらくの時間を要したが、少女の顔をまじまじと見たおかげで思い出した。昨日襲った金持ち娘だ。
たった一人の護衛を連れて取り返しに来たのだ。そう思った彼は少年と殴り合いをした。周りから見ればただの喧嘩、彼からすればれっきとした殺し合いの殴り合いを。
彼の同じ年代に限定した対人戦の成績はいくらか黒星が多いくらいであったが、それにしても少年は弱かった。途中経過は圧倒的、護衛とは思えない。少年の顔や腹には痛々しい痣ができていて、一方彼は殴る手がひりひりと痛むくらい。
途中経過は、と言ったのは最終的に彼は敗北を喫したから。
「もう良い、やめろ」
パンパン、と少女は二度手を叩いてからそう言う。
レフェリーがそう言ったからといってやめるほど彼は聞き分けの良い子ではない。今度は目障りな少女を殴ろうとして、瞬間空気がピリリと強張るのを感じた。
それは本能的なものだった。魔法使いにだけわかる、魔法が発動する寸前の空気感。彼は負けを認め振り上げた腕を下す。
「良いな。丁度この馬鹿に似ていて戦えるやつが欲しかったところだ」
何がそんなに可笑しいのか少女がケタケタと笑うと、張り詰めた空気が解放される。
「庶民、お前には魔法を教えてやる。名は何と言う?」
「ハートレイ様、お言葉ですが、ここに住まう者々に名前はございません」
腫れた顔、不細工な声を気にも留めず少年は指摘する。
「そうか。ならば私が考えてやる。夢を語れ」
貧民街で暮らす奴らに夢などあるはずがない。少年が再びそう指摘する前に彼は口を開いた。
「俺は何者かになりたい。こんなところで死にたくない」
少年は腫れぼったい目を見開いて、少女は再びケタケタと笑う。
「良い、ならば貴族を名乗れ。私の国に身分制などないから、お前は唯一無二の存在になれる」
それから彼は『私の国』が誇張表現であったと知って、『唯一無二』とは程遠い職と立場を与えられることになった。
しかし少なくとも夢の片方は叶えて貰ったのだ。だから彼は少女を敬愛しているし敬服している。
数日後。彼は何気ない会話の中で少女に誓ったのでした。
――――
「わたくしたちのどちらかが一生を終えるまで、わたくしはハートレイ様に忠誠を捧げます」
その誓いがハートレイに受け入れられたかどうかは、自称貴族の口から語られることはなかった。
「どちらかが一生を終えるまで、か」
昔話のあと、続くお願いについてはハートレイの言葉を合わせると簡単に想像がつく。想像できてしまう。
ああ、嫌だな。話を聞いてしまった。知ってしまったら無視できなくなってしまう。最低限の結末を迎えるまでは。
「なあ。――ハートレイのために死ねるか?」
「当然です」
自称貴族は即答する。
ルドルフには無理だ。ノクターナのためになら死ねても、ハートレイや自称貴族のために死んでやることはできない。だからもうひとつ。ルドルフは最低な質問を重ねる。
「――だったら、俺のために死ねるか?」
「――それが必要なことでしたら」
即答はしない。むしろそれが正しい。
聞きたいことを聞いたあと、ルドルフは自称貴族のお願いを待つ。想像通りをなぞるだけの形式上のお願いを。
「わたくしはハートレイ様に大恩があります。そんな彼女が一人で戦争の矢面に立って、無血開城は癪に障るなんてしょうもない理由で死を選ぼうとしています」
「――――」
「だからお願いします。どうにかして彼女を生かしてください。わたくしには、俺にはできなかった」
説得を試みて、断られて。手を換え品を換え、断られて。諦めようとしていたところにルドルフたちが現れてしまった。
ルドルフは本来感じる必要のない申し訳なさを胸に頷いた。
「方法ならある」
◇◆◇
ギギギッ――。
重い金属の扉が二度軋むと、簡素な部屋に寂しさが増した。
「それで、僕だけに何の用?」
「そう急くな。庶民は話が長い」
話すべき内容を吟味するように、聞き耳を立てられていないか警戒するように。ハートレイは深呼吸を何度かしたあと、隣に座るようノクターナに促す。
ぽんぽん軽く叩かれた場所に座ると柔らかいベッドが予想以上に沈む。
ハートレイの準備ができるのを待っていると代わりに沈黙を破るように、布団の中で小さい何かが蠢いた。もぞもぞとベッドの中を彷徨って、ノクターナとハートレイの間にできた微妙な隙間からそれは顔を出した。
「うさぎ――?」
大きな耳を真上にピンと伸ばした真っ白く瞳の赤いウサギ。人間のように眠そうに前足で目を擦っているとハートレイに胸の前で抱きかかえられる。
「私の相棒のうさちゃんだ。かわいいだろう?」
いくらか柔らかくなった声色で安直なネーミングを披露する。ウサギもそれに呼応するように首を傾けてかわいさをアピールする。
ノクターナが頷いて同意すればハートレイもウサギも同じように微笑んだ。
「――まずはお前ら二人の関係性について教えて欲しい。少し、量りかねている」
女の子らしく恋バナからと思ったハートレイだったけれど、ノクターナにとってそれを一言で表すのは難しい。
友達と呼ぶには長い時間を一緒に過ごしすぎているし濃密な旅の瞬間をそんな陳腐な言葉で済ませたくはない。しかし恋人かと言われるとそうでもない。
友達以上恋人未満なんてやっぱり陳腐な言葉が相応しいように感じると同時に、それでは余りに甘すぎて適当ではないとも感じる。
しばらく悩んだあと、ノクターナはハートレイの言葉を借りることにした。
「僕たちは相棒みたいなもの。君とそのウサギのように」
うん、言葉にしてみると存外良い響きで納得できる。
ノクターナとルドルフは相棒。たとえ二人が誰かと結ばれようと、たとえ離れ離れになろうと、一生忘れられない苦楽を共にした相棒。
ノクターナは満足のいく答えに喜ぶ反面、ハートレイは一瞬悲しそうな瞳をした。望んでいた答えを得られなかったからだろうか?
ハートレイは一度呆れたようなため息を吐いたあと、満足のいく答えを得るために邁進することにした。
「ルドルフ、だっけ?彼は多分優しい」
多分、と枕詞をつけている割にハートレイの口調は確信めいていた。
「うん、優しいよ」
ノクターナは是非もなく同意する。もし完璧超人だなんて言いったなら否定もしただろうけれど。
「居場所を失った原因になったような奴を許せてしまうくらいには」
それから。
ノクターナとハートレイの会話は冒険譚に流れていった。ノクターナは記憶を遡りながらこれまでの旅路の、できるだけハッピーエンドを迎えた話を語った。時系列はごちゃごちゃ、時には誇張を織り交ぜてできるだけ面白い話になるように。
ノクターナとしては楽しいことの方が多い旅路だけれど、こうして物語にしようとすると悲しい話ばかりになるのは体感に反している。
偶然路上で出会った大道芸人が面白くて投げ銭をしすぎて数日間ひもじい思いをしたこととか、星座について書かれたパンフレットのコラムを片手にベランダから星空を見上げているといつの間にか寝落ちしていて翌日の乗合馬車に乗り損ねたこととか。そのときは最高の思い出でも言って聞かせるにはあまりにしょうもない。
そんな話の中で、ハートレイが一番興味を持っていたのは城での生活だった。
普段なら身の上話をする機会があってもこのことはひた隠しにするのだけれど、今日は場の雰囲気とかハートレイの人柄とかが相俟って話してしまったのだ。
「私も同じような感じだった。嫌になって逃げ出して、結局は捕まったけど」
それを聞いたときは衝撃だったな。お姫様はみんなお城に籠もりっきりだと思っていたから。
粗方話し終えたくらいだろうか。完全に聞き専に回ってしまったハートレイのために次の話題はないかと探していると、ハートレイは再び噛み締めるように同じことを言った。
「やっぱり、あの男は優しい」
「うん、知ってる」
言葉の続きを待つと、ハートレイはやけにおかしなことを言った。
「もしもの話だ。もしも私があの男をお前から奪おうとしたら、お前はどうする?」
望んだ回答を聞くためにそんな質問を。
けれど多分、確実に、ハートレイはそれを尋ねるべきじゃなかったのだ。そしてノクターナも同様に質問に答えるべきじゃなかった。
そんなのわかった上で、撤回するつもりもなくノクターナは答える。
「でも、絶対にそうはならないよ。――だって君、生き残るつもりないでしょ」
だからこそ、ノクターナは隠すことを止めたのだ。
「――ああ。私に生き残るつもりはない。だから安心しろ、あの男はお前のものだ」
「うん」
もしここに二人以外の誰かが、ルドルフでもない誰かがいたのなら、ノクターナを薄情なやつだと罵っただろう。
だがこの広い部屋には二人と一匹だけだ。罵られるはずもなく、むしろハートレイはそれを歓迎している。
「お前は、その国に帰りたいのだろう?その国が好きなのだろう?」
「うん」
「だったらわかるだろう?この都市に対する私の気持ちが」
ハートレイだって死にたい訳ではない。生きたいに決まっている。
ただ、それでも無血開城は許さない。それがたったひとつだけ定めた、ライアーレイの放棄を決めた国に対する反旗でありハートレイの思いの全てである。
「だがあの男は優しい。馬鹿も庶民も、優しすぎる」
冒険譚を聞くためでも恋バナをするためでもなく、おそらくはこの一言をノクターナに伝えるために人払いをしたのだ。それを理解した上でノクターナは聞き届ける。
「だからお願いだ、ノクターナ。あの男と、ルドルフと共に城へ帰って、私の分まで幸せに暮らせ」
「うん。言われなくとも、僕たちは城に帰るよ」
それがこの旅の目的であり、それが交わした約束の全てなのだから。




