ロスト・ワンの戦い2
翌朝。
態々宿を探すような気力も体力もなかった二人は、なけなしの食料で遅めの夕飯としたあと、適当な家屋にお邪魔して眠らせてもらった。残念ながら家にはベッドや布団がなく、腰や背中を痛ませながらの床となったことを綴っておく。
まずは昨晩のことを整理しておこう。
寝床を探していたルドルフたちだったが、何も床で寝ることを甘んじて受け入れたのではない。玄関に鍵を付けていない不用心な家をかれこれ五軒回って、諦めたのだ。どの家にもベッドがなかったから。もっと正確に言うなら小さな家具のひとつすら残されていなかったから。
人が消えて時間が止まったこの都市。はじめはとてつもなく貧乏で力持ちな泥棒が全てを盗んで行ったのだと思った。ほとんどあり得ないことだけれど、ほとんどあり得ないからこそ、そうであることを望んだ。
しかし違った。新居のように広々とした家を二軒三軒と見ていれば馬鹿でも気付く。全ての家がこの調子なのだ。次に訪れた家も不用心でない家も、まるで住んでいた痕跡を消してしまったかのようにすっからかん。静けさばかりの都市に野良猫が鳴いていた。
「ん――、ルドルフ、早いんだね――」
「まあ、こんな場所じゃあな。もう少し寝てて良いぞ」
「ううん、大丈夫。――寝転がってる方が疲れるよ」
ノクターナはゆっくりと身体を起こした。
顔色を見るに万全だとは言えないけれど、最低限回復はできたようだ。少なくとも昨晩の眠る直前よりは幾分マシに見える。
長時間眠れるような環境ではなかったけれど、太陽が昇っているところを見るに眠気は相当なものだったらしい。このままの流れで体調を崩しでもしたら旅人としては最悪だ。どこかで何もしない日を作りたいところ。
カンカン――。
今日をその日にしようかと考えていると、突如家の呼び鈴が鳴った。
「――誰だ?」
「この家の知り合いかな?」
これほど大規模な夜逃げに気付いていないのだとしたらその人は病院に行くべきだ。
「俺が見てくる」
「うん、お願い、ありがとう」
ただノクターナにはゆっくりしておいて欲しかっただけなのだけれど、そう言って送られてしまえば、新婚みたいだなんて、それはきっと不敬に値する。
カンカン、カンカン――。来訪者の苛立ちを表すように呼び鈴が再三鳴らされる。すごく面倒臭い奴な気がする。
まるで友達を自宅に招くように扉を開けると、そこには見知った顔の見知らぬ男が立っていた。
「勝手に他人の家にいながら随分な対応ですね」
中肉中背、平均的な顔だち。身体的な特徴は驚くほど似ているのに、纏っている雰囲気がどうにも違うのだ。何と言えば良いのか、その違いを明確に表現するのは難しいが、目の前にいる男の方がどことなく上品な仕草に思える。
「ええと、自称探偵――?」
「違います彼ではありませんわたくしと彼を一緒にしないでください」
予想通り面倒臭いやつだった。ひとまずこの男のことは、ここには居ない彼へのリスペクトも込めて自称貴族と呼ぶことにしよう。
自称貴族は目つきを細めてルドルフを睨んだが、すぐにそれを和らげて微笑んだ。
「差し入れです。上げて頂けますか?」
「ああ――?」
ひょいっと、片手で持っていた荷物を見せつけるように差し出す。
意図が分からなくて煮え切らない返事をすると、それを同意だと捉えた自称貴族が靴を脱いだ。ルドルフは深く考えず道を空ける。
あまりに自然すぎて流してしまったが、彼は自称探偵のそっくりさんで知り合いらしいだけの赤の他人ではなかろうか。知らない間に入れ替わっていたりしたのなら自信はないが多分初対面。
何故ナチュラルに家に上げているのだろう、そもそもここはルドルフの家じゃないし、っというか差し入れって何だよまるでここで一晩過ごしていたのがバレているみたいではないか。
「ノクターナごめん、不審者が来た」
「不審者って僕たち以外に誰が、――ええと、ひと月ぶり?」
「どちらかと言えば不審者は貴方がたですはじめまして彼と一緒にしないでください」
見知った間柄のように無遠慮に押し入った自称貴族は矢継ぎ早にそう答えると、ダイニングキッチンへ向かいながら意思表明のための大きなため息を吐いた。
「――喜ぶべきなのでしょうが、口車に乗ったことを後悔しています」
「口車って誰のこと?」
「秘密です。それよりも朝食は取られましたか?」
雑な話題転換だが、初めからそっちが本題であったらしい。自称探偵は返答を聞くよりも先にキッチン前へ立つと袖を捲って腕を露出させる。
「これからだが、まさか――」
「わたくしが手料理を振る舞って差し上げます」
「正直、信用できないな」
「変なものは入れませんよ。これは彼――、ええと、探偵さんからのお礼兼お詫びですから」
ルドルフの言葉などどうでも良いと言った様子の自称貴族は、有無を言わせずに料理を開始した。
しばらくすると、どうにも朝食には向かない音と香りが部屋中に充満し始める。
包丁が軽快にまな板を叩く音、重厚な音。パチパチという熱された油が跳ねる音、揚げ物?朝から?
「これで貸し借りはなしです、どうぞ遠慮なく。本来ここに居るべきは探偵さんでしたが、写真に撮れば同じようなものですので」
テーブルにみっつのカツ丼が置かれる。
「尋問にはこれが最適だと聞いたことがあります」
自称貴族はいたずらっぽく笑う。
尋問という言葉に身構えたのだけれど、あれは空腹時だから効果があるもので、こんな時間帯とは相性が悪かった。おそらくはまともに尋問しようというつもりもなかったのだろう。
二、三言話したあたりで察っされたよう気がしないでもないのは誤解であってほしい。
◇◆◇
「ただいま」
自分の家でもないのにその言葉を使うのは変な感じがしたけれど、ルドルフは一足しかない玄関に向かって挨拶をする。
曰く、この都市には既にほとんどの住人が暮らしていないらしい。
それは壁の上から見下ろしたときから、推測の段階であればライアーレイに到着したときからわかっていたことではあったが、実際にそう断言されると嫌な予感が膨れ上がる。
曰く、この都市には既にほとんどの物資が残されていないらしい。
昨晩に軽く散策して見た家の様子は、偶然そのエリアだけが寂しいのではなく、都市全体として物資がないのだ。もちろん食料も、と自称貴族は付け加えた。
曰く、自称貴族であれば必要な物資を条件付きで用意してくれるらしい。
丁重にお断りしておいた。何を要求されるかわかったものじゃない、足元を見られるに決まっている。今ではその選択を後悔している。
腹ごしらえを済ませた二人は、日が出ている内に都市の散策を再開した。差し迫る要件もないのでのんびりと、探すエリアは拡大して。
朝食を共にしただけの見知らぬ人間――自称貴族はルドルフのこともノクターナのことも良く知っているようだったけれど――の言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。ただ、信じたくなかっただけかもしれないけれど。
気が済むまで、無力感が気力や矜持を上回るまで、その間に得た収穫は以下のとおりである。
野良犬、誰かの愛猫、名もなき草、ヒビを選んで咲いた不屈の精神を誇る花、意図的に荒らされた家庭菜園の跡。
故に、ルドルフは後悔をした。
「た、ただいま――」
ノクターナが遠慮がちにそう言うと、玄関すぐの扉から自称貴族が出迎えに現れた。
どうやら書き物をしていたらしい。右手にはペンが握られてあって、所々にインクが付着している。
二人がここに戻ってくることがわかっていたように、その顔には満面の笑みが、捉え方によっては意地の悪い笑みを浮かべる。
「目的の品は手に入れられましたか?」
まあ得られてはいないでしょうけど。そんな台詞を言外に含ませていた。




