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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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ロスト・ワンの戦い1


 城郭都市ライアーレイは、森を抜けた場所から少し寄り道した場所に位置する。左右を高い絶壁に挟まれ、後方の道は首都へと続く防衛の要所たる都市である。


 ライアーレイへ寄るのは予定になかったことだが、そうなったのは不幸が重なったせいだと言えよう。


 ひとつは見知らぬ森で目覚めたこと。妙な街に入ってしまったのが悪いのか妙な魔法を使われたのが悪いのか、責任の所在を探るのは無意味なので不幸としておく。

 ひとつは森を抜けるのに殊の外時間がかかったこと。一番時間を食われたのはあの本の世界だ。計算が合っているなら半月ほども軟禁されていたことになる。

 ひとつは食料の問題だ。腐っていたり何者かに盗まれていたり。移動速度を担保するために現地調達と保存食を合わせていたものの、このまま真っすぐ目的地へ向かったなら、節食に節食を重ねひもじい思いをしながらの旅路となるだろう。二人は是非もなく寄り道を決定した。


「何と言うか、適切な言葉が見つからないよ――」


 ライアーレイを一目した感想は、圧巻の一言だろう。


 外敵を想定した砦のような壁に囲まれ、堀が侵入を困難にし、跳ね橋によって平常時の利便性も確保されている。危険な魔物が蔓延っていた時代から比べれば昨今は平和になった故、形だけを残す都市は多くあれど、尚も昔と同じように運用されている都市は珍しい。

 

 さて、いやはや、しかしながら。ライアーレイを目前にしてひとつ想定外の問題が生じただ。


「ノクターナ、どうにか空を飛ぶ方法はないか?」


 例えば、あの悠々自適な烏のように。


 例えば、草むらに隠れ子供たちの魔の手から逃れようとする飛蝗のように。


「魔法はそこまで万能じゃないよ」


 何度も聞いた台詞で一蹴された。


 なぜ急に空を飛びたくなったのか?それは門がルドルフの、ノクターナの、その他大勢の旅人たちの行方を阻んでいたからである。

 跳ね橋は無情にも上げられ門に近付くことすら叶わない。見張りの一人もいない砦のような壁は、彼ら彼女らの言い分に耳を貸すことなくきっぱりと拒絶しているようだった。


 ある者は膝から崩れ落ち、ある者は仲間内で建設的な相談をし、ある者は堀を飛び越えようとして落っこちた愚か者を引上げている。

 ノクターナは困ったように眉を下げてルドルフを見遣った。


 寄り道を決定した時点で、それが成らなかった場合、事態はより悪化している。つまり、ひもじい思いをするなんて程度では済まなくなっている。


 ルドルフには今、ふたつの選択が与えられていた。


 ひとつはノクターナに雑草の煮込みの味を教えること、もうひとつは久々に手癖を悪くすることである。

 前者は極力避けたい。今ある全ての食料をノクターナに渡せば足りるだろうが、それを容認してくれるだろうか?

 後者は技術的不安が大きい。呑気に暮らしている街の人々とは違い、旅人はその辺りに敏感だ。冷静さを欠かず取り乱していない旅人の物品は魅力的だが、あの中には護衛を雇っている場合も多い。


 はあ、どうしたものか。ルドルフは顎に手を当てながら考える。


「ねえルドルフ、もしかして良くないこと考えてる?犯罪なんてしようものなら、僕は一生軽蔑するからね」


「いいや、そんなつもりはない」


「捕まるときは一緒、だからね」


 やはり前者の提案は受け入れてくれず、むしろ雑草のアクを掬おうと言い出しそうだ、なんて。


 そんなとき、同じく途方に暮れた旅人の蛮行を目にした。

 あれは魔法使いだろうか。一人の女性が仲間からの指示を受け、門に向けて杖を構える。それから少し、門がガタンと揺れた。突然の音に、ここにいる全員の視線が門と女性の魔法使いに向けらる。

 見張りがいないのを良いことに、風の魔法で門に文字通り風穴を開けようとしたのだろう。結果は惨敗。魔法は容易く弾かれ、彼女は辺り全員から冷ややかな視線に耐えきれず、仲間より一足先に逃げるようにこの場を去っていった。


 ふむ、確かノクターナは氷柱を作って戦っていたはずだ。あれの大きいバージョンを作って、鐘木のように、煩悩を消し去るみたいに――。


「ノクターナ――」


「僕はそこまで野蛮じゃないよ」


◇◆◇


 しばらくして、夜。


 ライアーレイほどの大都市なら普通、当然のようにこの時間も眩しいくらいの明るさが壁の上から漏れ出ているはずなのだが、夜空には六等星まで輝いていた。


「ノクターナ、起きろ――」


 木を背凭れにして眠るノクターナの肩を揺すって起こす。


 計画においてはこんな時間まで待つ必要はなかったのだが、暇を弄ぶうちに不用心にも眠ってしまったのだ。幸い抱き締めていたおかげで荷物は盗まれていなかった。


 さすがに、夜まで待てば門が開くかもしれない、と猿でもしないような楽観的ご都合主義を抱いて待っている狂人はルドルフたち以外に誰もいない。辺りは閑散として静寂。堀に誰かが置いて行かれているようなこともない。


 はあ、何をどう間違えればこの距離を飛び越えられるなどと思うのだろう?


「ルドルフ、まずはこれからすることのおさらいをしよう」


 おさらいとは、仰々しい言葉選びをする。


 ノクターナは杖を取り出してルドルフの目を見詰める。ルドルフの返答を待っているらしい。

 これからやることが楽しみらしいノクターナに、ルドルフはノってあげることにした。気分はさながら学校の生徒と先生である。


「堀を越えて、壁を越えて、食料をゲットする」


「それじゃちょっと足りないね」


「つまりは、不法侵入だ」


「正解。ご褒美として僕からおかしをあげる」


 ノクターナは鞄から杖を握ったまま器用に取った飴玉をひょいっと投げる。ルドルフはそれを危なげなく受け取って口に含んで舐めた。


「甘いな」


「そりゃあ、飴だからね」


 口の中で飴玉をころころと転がしていると「お腹の音が煩くて眠りにくかったんだ」と肘で横っ腹を突かれた。それはお互い様だろう。


 さて、計画とは言ったものの、しかし大層なものではない。目撃者がいないような時間まで待って壁をよじ登るだけである。


「例えば、手足に夥しい数の毛が生えた蜘蛛のように?」


「嫌な想像させないでよ――」


 もしそうなら嫌だな。違いそうで良かった。


 ノクターナは氷で長い梯子を作ると堀を越えるための足場にし、もうひとつ梯子を作ると壁に立て掛けて足掛かりにした。

 うん、何と言うか、現実とは随分とつまらないものである。


 誰かが通りかかる前に念のため、と急かされてルドルフは梯子を上った。長さの少し足りない梯子から腕の力に頼り懸垂のように。壁の上に膝立ちして後から登ってくるノクターナを引き上げる。


 壁の上には人が行き来できるくらいのスペースと落下防止の低い壁があった。有事にはここから外敵を対処するのだ。しかし平和さを象徴しているのか武器らしきものは一切なく、心許なさと寂しさを感じた。

 少しだけ星に近くなった場所から都市の方を眺める。それは想定していたことだったが、想像以上に異様な光景だった。


「ねえルドルフ、もしかしてこれって――」


「ああ。多分そうだ」


 ここ、城郭都市ライアーレイは無人である。


 大通りは街灯が照らしているが、それ以外の場所に営みの灯りが見えない。終ぞ人間とダンゴムシ以外の動物が見えなかった森と同じように、この都市からは生命の息吹を感じられない。まるで人が消滅し、その瞬間に時間が止められたような。


 ルドルフは荒唐無稽な考えを首を横に振ると同時に払う。


「どっちにしろ、やることは変わらない」


 ここで食料を調達しなければ明日はないのだ。


 ルドルフは畏れと好奇心に震える心を押さえ付けた。


 反対側に移動して真下を眺めるがやはり真っ暗だ。同じ高さを登ってきたのだから何となく想像はできるけれど、ここから飛び降りるのは相当な勇気が要る。


 もうひとつ梯子を作らないのか?と視線で訴えかけたのだけれど、今度も変わらず一蹴された。


「大丈夫、骨折まではしないから」


 ノクターナがそうお道化て言えるのは自分の魔法に自信を持っているからだ。対するルドルフは魔法をそこまで信用していなくて、あるのはノクターナへの比類なき信頼だけ。

 ――いや、それで充分くらいすぎるかも。


「花束を贈る魔法」


 いつぞやのときに誰かの命を救った、本来の用途とは全く違う魔法は、再び別の用途で活躍する。ノクターナは「これでもう飛び降りても大丈夫だよ」なんて笑いかけてきて、ルドルフはそれに苦みをプラスして返す。


「そういえば、氷の梯子、あれって放置しておいて良いのか?」


「ただのちょっと丈夫な氷だからね。朝が来る頃には溶けて、心配しているようなことにはならないよ」


 不法侵入ができるのはルドルフとノクターナだけ。


 別に心配していなかった質問は覚悟を決めるのに必要な時間だった。深呼吸のあとノクターナの手を取って、二人は一緒に飛び降りた。


 数十秒、あるいはコンマ一秒にも満たない時間宙を踊る。浮遊感と高揚感が恐怖を打ち消し上回る。


「ぐえっ」


 華麗に着地とはいかなかったが、お尻から落下した二人を花束はきっちりと受け止めてくれた。芳しい花と柔らかい葉が突き刺さる。


 疲れが溜まっていたこともあって、時間があるならここでゆっくりしていたいと思う。ベッドにするには葉が邪魔すぎるけれど、観賞用にするにはあまりに勿体ない魔法。

 案外悪くない。


 特にノクターナはその様子が顕著だった。大きめの魔法を三連続で使わせて、魔法には詳しくないルドルフでも、その労力を想像することくらいできる。


「お、重い――」


 できることなら、労ってやりたいと思う。ここで休むのも一興だろうか。


 だが先述したように花束は心地良いがベッドには向かない。せっかく都市にいるのだからもっと落ち着ける場所で休憩すべきだ。


「お手をどうぞ」


 なんて、夜だからこそ許される恥ずかしい台詞を吐いて、尻餅のまま後ろへ倒れ込んだノクターナを引っ張ってエスコートする。


「ありがとう」


 それから、二人は寝付ける場所を探して歩き始めた。


 ――――。


 ちなみに。


 花束は渡した相手を喜ばせると同時に、それ以外の怒哀楽を意図せず覆い隠してしまう作用があるとノクターナは考えている。だからノクターナは相応しい場面以外で花束を贈るのは好ましくないと思っているのだが、つまり何が言いたいのかといえば、今回もその作用が悪さしたという話だ。


 相応しくない場面で花束を贈られた彼女は、「うぐっ」とか「重い」とかの言葉を零しただけで声を荒らげなかったことと、花束を灰燼に帰さんとする烈火の炎として憤怒を顕現させなかったことを、まるで武勇伝のように一晩中相棒に語り明かしたそうな。


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