おやすみ
――おかしい。
それは多分、野生の勘だとか第六感だとかの類だったと思う。
夢か現実か判別できない空間で俺は目を覚ました。身体が怠く動かない。頭が上手いこと動いてくれない。瞼の裏にぼんやりと映る情景は何一つ要領を得ず、ただ図形が同じところを延々と回っていた。
現実離れしているが夢ほど上手くできていない。熱によるものかと思ってみればある程度納得できて、妙な気持ち悪さが押し掛けてくる。鼻での呼吸が辛く思えて口呼吸に変える。半開きになった口から入る空気は重苦しくて手で口を覆う。
「僕のせいでこんなことに――」
ぐわんとベッドが揺れる。俺はそれに驚いてか安心してか、そっと瞼を持ち上げた。
「や、やあ」
パジャマ姿でベッドの端に腰掛けるノクターナがそこには居た。口角を上げ笑顔を作って、けれど良くない感情も見え隠れしている。
「ノクターナか、スピーチお疲れ様。ここは?」
ノクターナの顔を見れば重苦しさが自然と引いていって、俺は身体を起こしその場に座る。
その部屋は俺の知らない場所だった。
「ようこそ、僕の部屋へ。僕が君を招待したんだ」
カーテンは閉められ、隙間から差し込む月明かりだけが部屋の照明。だだっ広い部屋、ふかふかのベッド。玩具が箱の中へ乱雑に詰められていて、苦し紛れにぬいぐるみで隠されている。
並びに何の規則性も見られない書架がベッドのすぐ近くにあって、なぞってみれば埃が一つ。
綺麗にされているようで、それを生業とする者が見れば急いで掃除した部屋なのだとわかる。
「説明の前に謝らせて欲しい。ごめん」
職業病なのか部屋をそう評論していれば、ノクターナが頭を下げた。驚いた俺は他に誰もいないことを確認して顔を上げさせる。
こんなところを見られたらどうなるか。立場ある人間は簡単に頭を下げるべきではない。
「何がだ?」
「君、あの日副団長に会ったでしょ?」
時系列がぐちゃぐちゃに捻じれた記憶を遡る。
部屋に戻った後に仕事をしたり、朝食のあとにグレイのいびきで目覚めたり。そんな記憶をなんとか繋ぎ合わせながら――見つけた。
「あの時、僕が頼んでたんだ。君をこの部屋に連れて来るようにってでも――」
「方法は指定してなかった。ってことか」
「うん。彼女、魔法で君を眠らせたんだ。手っ取り早くて、呪いのおかげですぐ起きると思ったんだろうね」
何故という疑問は一旦放置して、経緯は理解した。あの時、副団長の行動に違和感はあったが魔法を認知はできなかった。魔法って一体何なんだ?
「彼女は面倒臭がりでね。僕の説明不足と人選ミスだ、ごめん」
説明不足と人選ミス……か。
「それで、俺をここに連れてきた理由は?そんな方法を使ってまで」
少し嫌味ったらしい言い方になってしまったのを反省する。どう説明したものかと頭を悩ませるノクターナに、俺は心の準備をした。
「僕は王族なんだ」
「知ってる」
「でも君は使用人」
「ああ」
「その間にはどれだけの違いがあると思う?こんな、身分に比較的寛容な田舎の国でも」
ぼつぽつと、独白するようにノクターナの口から言葉が紡がれる。
恐らく、似たようなことを誰かにいわれたのだろう。ノクターナの母君か父君に、俺のような怪しい輩と関わるのはあまり良くないと。或いはそれ以上のことも。
だからこんな暴挙に出た、副団長に命令して。
「全てを説明することはできないけど」
飽くまで俺の妄想だ。確証もなければ、ノクターナが答え合わせをしてくれる訳でもない。俺を呼び付けてどうなるのかという部分も同様に。
協力する、何でも。
なんて脳死でいえてしまうほど、俺は馬鹿にはなれなかった。これは多分、思考誘導されている。
ノクターナの言葉が嘘だとは思わない。どこまで話せるのかという悩みも、言葉を発する度にする哀しげな表情も本音だろう。これは幼少期からの教育の賜物か、将又誰かがそうさせようとしているか。
「ねえ、君はさ」
ノクターナが頬を赤らめる、口籠る。それは――
「王族になるつもりはない?」
それは、貴族の常套手段だ。
「誰に教わったんだ」
「――え?」
それは、そう簡単に使わせて良い手段ではない。
布団の端を軽く抱き締めて、ぺたん座りのまま近付いてくるノクターナに待ったをかける。
俺はノクターナにその手段を使わせた人物が知りたかった。人物が許せなかった。
頓痴気な顔で固まるノクターナに尋ねる。意味はわかっているのかと。頷くノクターナに何度も。この時の俺はおかしくて、冷静さに欠けていた。
「じゃあ――」
瞳を潤ませて、いう。
「僕はどうしたら良い?」
と。
俺のエゴでしかなかったのだと気付かされる。
俺にはどうしてやることもできない。建設的な案は出てこない。
いや、あるにはあるのだ。俺がノクターナと関わらなければ良い。そうすればこんなことに頭を悩ませる必要はなくなる。
ノクターナもわかっているはずだ。わかった上で選んでいるのだ。俺がそれをいうことは、ノクターナを傷付けてしまうから。その選択肢を選ばせてしまうことになるから。俺は口を噤んだ。
すーはー、すーはー。ノクターナは重くなった空気を吐き出すように深呼吸を数回。俺も落ち着くべく何度も深呼吸をした。
数分ほどそのままだっただろうか。感情はようやく落ち着きを見せて、心臓も普段より少し早くて煩いくらい。俺は何かないかと少ない情報の中藻掻いていると、ノクターナは急に顔を上げて、未だ引かない赤面のまま笑う。
「夜更かししよう」
俺も笑って頷いた。今は全く眠くないのだ。
それはとても楽しい時間だった。これから会うのが少なくなるやもと思えば、或いは会えないやもと思えばより。二人は普段通りの他愛のない話を、気が済むまで。
いつもと違うのは時間を気にしなくて良いこと、手元に食べ物がないこと。そして瞼が重くなってくること。
「スピーチお疲れ様。あんまり聞けてないけど」
「噛まなくて良かったよ」
時間は無情にも簡単に過ぎていった。
「君はこの国の人じゃないよね。どこから来たの?」
「ずっと北。死ぬまでに一度くらいは帰りたいな」
初めは饒舌だった口も、夜が更けるにつれ変動が遅くなっていく。
「僕の髪が黒いのは遠い先祖譲りなんだって。珍しいよね」
「綺麗で俺は好きだよ」
座っているのが辛くなって、けれど眠る訳にもいかず俺は瞳を擦る。
「使ったものは早めに元に戻さないとすぐどこかへ失くすぞ」
「これでも僕はちゃんと片したつもりなの」
ノクターナはもう布団に入って眠る準備をしてしまった。俺が目覚めた時とは反対だ。
「これからどうしようか」
「ひみつ」
そろそろ意識を抱えるのも大変で、部屋を出ないと不味いと思っていた頃。コンコンコンと三度、扉がノックされた。
こんな深夜に、怪しいすぎる。
「――出なくて良いのか?」
「うん、大丈夫」
ノクターナは気怠げ身体を起こして、枕元に置いていた短い杖を手に持つ。何をするつもりなのかとぼんやり眺めていれば、ノクターナは杖を俺に向けた。
「もしも、もしもだよ。僕が誰かに殺されるってなったら、君はどうする?」
「丁重に守らせて頂きますよ、お姫様」
「君より僕の方が強いよ」
質問の意図が読めなくて茶化してみれば、そうやり返される。実際そうなんだろうなと笑えば、ノクターナは噛み締めるように目を瞑る。
コンコンコン。急かすようにもう三度、ドアがノックされる。
「俺が出ようか?」
「いや、大丈夫。その必要はないよ」
不審者の可能性を考えたのだが拒否される。俺しか弱いのでどっちにしろか。
「いっておきたいことがあってね」
「うん?」
ノクターナは俺に向けた杖を小さく動かす。
「おやすみ」
眠らされると察する俺を他所に、元々眠気が限界だった俺は一秒たりとも抗えず意識を手放した。
昨日投稿するの忘れました。