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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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頁を捲れば2


 その日泊まった宿はもはや当然と言うべきか、想像以上に本で溢れた部屋だった。


 窓を除く四方の全てが書棚で覆いつくされており、ベッドの下などのちょっとした収納スペースにさえ本が詰められている。貴重品を収納しておくための小さな金庫すらその役目を放棄しており、荷物は床に直接置く以外手段がなかった。

 もちろん女将さんの勤務態度は最悪で、付属の夕食はお店で買ってきたようなお惣菜オンリー。美味しくないとは決して言わないが、宿の値段を考えれば納得はできるけれど、些か解せないのである。


 女将さんとは軽くコミュニケーションを図ったところ、できた会話はチェックインとチェックアウト、それから二言ばかりの雑談だけであった。


「なんでどこを見ても本だらけなんだ?」


「供給に書庫が追い付いてないから」


「今日のフェスには行くのか?」


「当然」


 以上だ。寂しい街である。


 様子がおかしい住人の、中でも会話が交わせそうな人にフェスの詳細を尋ねようとしたのだが、返ってきた言葉は一様に「詳しく知らない」だった。しかしフェスの参加はほとんど絶対のように頷くのだ。気味が悪いことこの上ない。


 外で食べる気にはなれなかったので朝食を有りもので済ませたあと、二人は昨日の本屋へと向かった。昨日は偶然入っただけだったので正確な場所を把握しておらず、見つけるのにそこそこの時間が要することを覚悟していたのだけれど、想像とは反してその店は容易く現れる。

 やはりこんな時間まで営業している居酒屋を探したのは間違いじゃなかったということか。


 やはり何度見ても場違いな本屋の文字を潜り抜ける。やはり鼻筋を通り抜ける紙の香りは、昨日のそれよりもより芳しいものへと強化されているように感じられる。


「いらっしゃいませ」


 昨日とは別の本を閉じた店主は、ルドルフの顔を見て合点がいったように頷く。


「準備しておきましたよ、二人にぴったりな本」


 手渡された本はどこを見ても真っ白な紙の塊だった。タイトルも著者名もないただの紙の束。


「まだ開かないでください。読むのはフェスが始まってからでお願いします」


 そう言うので、少なくとも彼女の前で読むのは諦める。ルドルフはどうしても本には見えない紙の束を不思議そうに眺めて、それから鞄へ押し込んだ。もしやこれは詐欺で、本当にただの真っ白い紙屑なのではなかろうか?


「だが、それだとこれが一番気に入った本かどうかはわからないだろ?自分で決めたルールなのに、そこは無視していいのか?」


「それに関しましては、心配ありません。私にとって二人が気に入るの火を見るより明らかですから」


 堂々と、嘘偽りはなさそう。


「わかった、買おう。いくらだ?」


 財布を取り出しながらルドルフが尋ねると、店主は一瞬固まって、それから小さく舌を出して首を傾げた。「てへっ、うっかりしてました」とでも言いそうに。


「てへっ、決めるの忘れてました」


 ニアピンである。


「そうです、せっかくですからちょっとしたゲームで値段を決めましょう。後ろを振り返っていただけますか?」


 後ろ、というより前方以外の全てには本がぎっしりと詰まっている。どれも似通ったような背表紙ばかりで、書かれた文字以外の違いを見つけることは難しい。


「この店にはたくさんの本があります。高価なものだとこの街で犬小屋サイズの土地が買えます。安価なものだと子供が遠足のお菓子を買ったあとのおつり分にもなりません。この中から一冊適当に本を選んでください。それと同じ値段ということにします」


 書かれた文字以外の違いを見つけることが難しい。つまりは運で全てが決まるようなゲームで、すこし振れ幅が大きすぎでるように感じる。

 最悪の場合、当分ひもじい生活を強いられることになる。買うなんて言わなければ良かった。


「もちろん、買わないとは言いませんよね?」


「――ノクターナ、選んでくれ」


 退路を事前に塞がれたルドルフはため息まじりに選択をノクターナに委ねる。


 悪いように捉えるなら、もし高価な本を引き当てたとき責任を押し付けるためも考えられるが、決してそういう意図はないことをご留意頂きたい。結局財布は一緒なので受けるダメージは同じだ。どうせならノクターナの魔法的なパワー的な何かに縋らせてもらおう。


「いっちばん高いのを引いても文句言わないでね」


「私は言わないですよぉ」


「そりゃそうだろ――。一番高いのは文句言わせてもらうかも」


 なんて冗談を言いながら、ノクターナが選ぶのを待つ。少しでも安価でありますように。


「うん、決めた。僕はこれにするよ」


 他と比べてもひと際長ったらしいタイトルをした本を取り出す。それに貼られた値札を見た店主は、つまらなそうにため息を零した。


「――お買い上げありがとうございます――」


◇◆◇


 しばらくして。外食一人分くらい軽くなった財布と共に、ルドルフたちはフェスの会場に来ていた。フェスと聞いてかなり大がかりな会場を想像していたのだけれど、その実はかなり簡素で拍子抜けする。主催者が主催者なのでポスターのイメージ通りと言えばそうなのだが。


 会場に選ばれたのは、普段なら待ち合わせ場所に使われていそうな巨大な噴水のある広場だった。それはたくさんの大通りが交わるところにあって、向かう方向さえ合っていればどんな方向音痴でも辿り着くことができる。大規模なイベントをするにはもってこいの場所だと言えよう。

 かく言うルドルフたちも会場は把握していなかったのだが、人の流れと雰囲気で開始時間前には辿り着くことができていた。


 簡素なポスターの割に、そして本以外に関心の薄い住民の割に、早めの時間から人が集まりだしている。一人、一人と謎の引力が発生しているように、並べられたとさえ呼べない出されただけのパイプ椅子へ座っていく。

 それは異様な光景だった。正午に近付くにつれて広場が大量のパイプ椅子で埋め尽くされていく。偶然近くに住んでいた人はそのベランダに椅子を広げて、遠い人だと絶対に司会者が見えないだろう位置に座っている。


 不思議なのはこれだけ人が集まるイベントで、警備員がいるでもないのに暴動がひとつも起こらないことだ。全員が大人しく自分の場所を作って、それ以降は手元の本を読み進める。正直言って気持ち悪い。

 かなり早くの時間に広場に場所を用意していたルドルフたちは、そんな奇怪な光景に違和感を覚えるよりも先に、良い席を取れたことに胸を撫で下ろしていた。


 ゴーン、ゴーン。正午を知らせる鐘が鳴る。普段ならこの音を目覚ましの代わりにしたり、仕事の休憩時間の合図にしたり、空腹感を思い出させてくれるものとして機能していたのだが、この日このときばかりは全員がたったひとつの目的のために鐘の音を待ち侘びていた。そう、フェスの開始の合図である。


 大きめの拡声器を持った司会が噴水の水盤の縁に立って人々を見渡す。


「皆さん、お気に入りの本は持って来ましたか?」


 ルドルフはいる位置からでは司会の顔が見えないけれど、どうやら本屋の店主ではないらしい。彼女は裏方に徹して表に出ないのだろうか。それとも出番が今じゃないだけ?


 開会のあいさつやら何やら、卒業式を思わせる冗長な司会のあと。ようやく本題に入るようで、司会の人と入れ替わりで店主が舞台に上がる。

 拡声器を司会から受け継ぎ、ルドルフは彼女と目が合ったような気がした。


「手元の本を読みながら聞いてくださいねぇ」


 そうだ、忘れるところだった。鞄から本を取り出す。真っ白であったはずの本にはインクの後が走っていて、辛うじてタイトルだけは読み解くことができた。


「小国の城――」


 それは、忘れがたい場所の記憶である。


 ふと冷や水を浴びたように、朦朧としていた意識が覚醒する。気合を入れるために両手で頬を叩くと、ルドルフに作用していた魔法の痕跡はパッと霧消した。

 嫌な予感がして辺りを見回すと、顔を上げていたのはルドルフ一人だけで、他の皆は全員が手元の本に集中しいていた。――いいや、俯くようにして眠らされていた。


「何をしたんだ」


 この中で一番怪しい人物、噴水の縁で拡声器を持っている店主にむけて声を張り上げる。店主は驚いたようにルドルフを見て、拡声器越しの嘲笑がルドルフの耳に届く。


「あれぇ、起きてるんですか。相方さんは、ぐっすりなようですけど。ふふっ」


 隣で俯くノクターナの肩を揺すってみるけれど反応はない。「ちっ――」とルドルフは悪態をつく。早急に奴を叩きのめしたいが、大量の人質を抱えたうえで魔法使いとタイマン張れる自信はルドルフにはない。まずはノクターナを起こすのが先決だ。


「賢明な判断です」


 そんなルドルフの様子を見て、肉声とは違った頭が痛くなるような声が響く。


「せっかくですから、相方さんを起こす方法を教えてあげましょうか?」


「――――」


「相方さんは今、貴方が持っている本の中の世界にいるんです。貴方も中に入ってコンタクトが取れたなら、起こせるかもしれませんねぇ」


「――――」


「本の中の世界に入る方法も教えて欲しいんですか?魔法の力に抗おうとせず受け入れて、それでもだめそうならその本を開いてみてください」


 多分、勝ちを確信して侮っているのだろう。してやられたようで言う通りにするのは癪だが、僅かに残された冷静さではそれ以外の方法を思い付けない。

 深呼吸する。一度意識してしまった以上魔法を受け入れるのは無理だろうから、さっそく本を開く。


 解読不可能な文字で書かれた文章は、しかし鮮明な光景を想像させた。


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