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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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前哨9


 夜。


 分厚く広がった雲の帳に阻まれた月や星の微弱な光は、地表まで届くことなく潰える。代わりに街を照らすのは、ぼんやりと揺らめく街灯だ。暗闇に閉ざされてしまった世界に、点々と空間を作っていた。

 街灯の光が隊列のように並ぶその姿は、心強いようでどこか不穏だ。気付けば急に動き出して、全てを蹂躙してしまいそうな。


 太陽を追い続ける羽虫が、偽物に惑わされ群がっている。人の耳では拾えないくらい小さい羽音は、普段よりも元気がないように感じられ、振り払う必要なく散っていく。雨の気配だ。

 それもちゃちなものではなく、豪雨の気配。頭上高くの雲が水蒸気を集めている。漏れ出した一部が空気をどんよりと重くさせる。遠くの山は既に水玉の暴力を受けていた。


 雨は、人を憂鬱にさせる。


 頭の中に時計を思い浮かべてみる。カッ、カッ――、と子気味良い音を奏でる大きな古時計だ。それはさながらメトロノームのよう。一秒に一回、振り子が揺れる度リズムを刻む。精度には自信のある脳内古時計曰く、現在は零時を少し前。欠伸をすれば涙がこぼれて、文字に溺れるには目が痒く、明日を想うならそろそろ瞳を瞑るべき。


 雨の気配、それと、夜。ベッドで横になるには十分すぎる理由を前に、しかし佇む人影がふたつあった。ひとつは堂々と光の元に立つ女。ひとつはこそこそと夜闇に潜む男。


 女は、何を思ったのか突如傘を差す。飾り気の一切ない透明な傘。豪雨には向かない粗末な造りの、どこにでもある普遍的な、それこそ道端に捨ててあっても不思議に思わない傘。雨に備えるために先程買ったばかりだが、持ち帰るつもりはない。

 開かれた傘が空に宣戦布告をすると、それを待っていたようなタイミングで、天は雨粒を落とした。イントロはなく、いきなりのクライマックスだ。

 バタバタと煩く傘が唸る。家屋の屋根に落ちた分はもっと煩くて、道で跳ねた水滴が足を濡らす。想像以上の衝撃に肩を竦めるけれど、自然は勘定してくれない。子供が初めて楽器に触れたときのように、楽譜なしに己の情熱の赴くまま音を奏でる。不協和音、中には綺麗な音符も混じっていて、しかし洗練されゆくこともない。


 されど、人影は佇んでいた。


 コツ、コツ――と、そんな世界に足音が鳴った。ふたつの人影、そのどちらのものでもない新しい足音。雨音に紛れていれど、意図的に響かされた音は、否応なく空気を震わせる。コツ、コツ――。女の人影は誘導されるように、音の出どころを探って辺りを見回す。正確な位置がわからない。目を凝らしてみても、気配は確かに近付いているのに、小指のひとつすら拝むこと叶わない。

 理由は、足音が街灯の作った小さな空間に入ってようやく理解できた。真っ黒いローブに身を包んでいたのだ。

 闇夜に溶けるローブの、フードを深くまでかぶり表情はおろか輪郭さえ掴ませない。傘などいらないと言わんばかりに雨に打たれる姿は、素性を隠す不審者のようでいて、それにあるべき警戒したような挙動が一切見られない。むしろ自身に溢れているような、そこに立っているだけで圧を感じる。

 その実はただのレインコートなのだが、そういう滑稽さのあるものではなく、むしろ高貴な召し物か何かに感じるのは、夜の魔物のせいだけではないはず。


「こんばんは――」


 ローブに身を包んでいるのは三人だった。


 身長に大差がない者が二人。男女のようだが、立ち居振る舞いからくる感覚以外にそれを肯定する根拠はなく、一言発したのは一番右だろうか。何もかもをひたかくすように声色を変えられたそれは、重厚に発声された女性の声にも軽やかに発声された男性の声にも聞こえる。

 とびきり異質なのは男女の間にいる、休日遊園地に来た親子のように、両手をぎゅっと握りしめられた子供の姿だ。丁度女の息子くらいの背丈だろうか。言い付けられているのだろう子供はおとなしく、一段と俯き気味なこともあって、何の情報も推し量ること叶わない。子供がどんな心情で雨に打たれているのか。


 だが女は、子供を哀れで可哀そうだと思った。嫌な光景だと思った。

 もしかしたら杞憂で、否定してくれるかと、それは祈りに近しく、女は尋ねる。


「こんばんは。こんな時に外にいては、風邪を引くでしょう。特に用事がないのなら、お家に帰られてはいかがかしら?」


「ご冗談を。僕たちは――、せっかく遥々待ち合わせ場所まで足を運んだのに」


 うん、はあ、まあ、知っていたことだ。

 何度でも、嫌な光景だと女は思う。当て付けのようで、相手にはその意図がないのであろうところが、より疎ましい。そして臭いものには蓋をするに限る。幸い、蓋を手繰り寄せる方法には心当たりがあった。武に頼る者は単刀直入を好む傾向にあるのだ。


「商談にしましょう」


「僕も回り道しない人は嫌いじゃないよ。でもね、こういうときにはお茶を交わさないと」


 比喩に明るくなくとも、言葉の意味するところは伝わる。つまり、やはり当て付けのようだと。


◇◆◇


 これは数年前から続く物語だ。


 そう遠くない、ここよりも栄えた街にて。バツイチ子持ち、その日暮らしの地獄みたいな生活を送っていたミシルスは一変、天国のような新婚を遂げることとなった。きっかけは何だったか、今となっては微塵も覚えていない。彼の顔も、普通よりは恰好良かったこと以外うろ覚え。薄情だと罵られそうなものだけれど、当時は確かに幸せで、しかし彼を愛していたかと言えばそうではないと思う。

 夜を共に過ごすこともなく、所謂玉の輿。親の力か彼の実力かは定かでないにしろ、彼にはお金があったのだ。それでいてミシルスを好いてくれているのならそれで充分。人には言えない企みがあることは何となく察していたけれど、それは微塵も大切ではない。何時の時期も、ミシルスにとって一番大切なのは息子であるルイスだった。


 それが仇になったと知ったのは、結婚から一年が経過したある日。彼はミシルスが知る誰よりも世渡りが上手く、つまりはコミュニケーションに長けていた。比較的隣人関係が軽薄になりやすい都会でありながら、すれ違ったときには軽く世間話を交わすくらいには認知されていた。専業主婦をしていてもお金に困ることはなく、彼は程好く家を不在にする。名前を彼の苗字で呼ばれることにも慣れて、名実共に夫婦であった。

 それが変わり果てたのはそんな頃のこと。何の前触れもなく、彼は姿を消した。私物は全部持ち出して、彼の部屋はすっかり蛻の殻。彼が存在したことを証明するのは私たちの記憶と、通帳に刻まれた巨額の数字だけ。近所の人にそれとなく尋ねても行き先を聞いた者は零。ミシルスよりもずっと信頼を得ていた彼だったから、愛想を尽かされたのだろうと真剣に取り合ってくれない。

 彼の仕事に疑問を抱かなかったのは最大の失態であり、同時に問うたとて決して口を割らなかったのだろう。ミシルスが武器商人という仕事に片足を突っ込んだのはこのときであった。


 彼の顧客は彼自身というより、彼の苗字に引かれて来るらしい。商人が男から女に代わったとて気にする者はいなかった。グレーゾーン程度に考えていた仕事は、バツイチ時代限りなく黒に近い仕事も請け負っていたミシルスにとって忌避はなかった。しかし久々の仕事、慣れていない相手への接客。とんとん拍子にいくはずもなく、恐ろしくなったミシルスは逃避することにした。幸い、増えなくなった口座の数字は湯水のようにあった。逃げる先に選んだのは故郷の街、実家からは勘当されていたから、少し離れた場所に家を買った。

 想定外だったことは、思っていたより、一度上がった生活水準を下げるのは難しいということ。その日暮らしと専業主婦以外経験したことがなかったミシルスが就けた仕事は知れており、増えるよりもずっと早い速度でお金が減っていった。先がないことを悟ったのは、引っ越しから二年が経過してからだった。


 なけなしの、とは言っても十分すぎる金額を使って、幼い頃の夢だった宿屋を経営し始めたのはこの頃だ。ない袖は振れず、否応なく比較的素朴な生活を送ることになった。それでも宿が軌道に乗る前だったこともあり、支出が収入よりも多かった。路頭に迷うのは時間の問題であった。


 昨今、武具が飛ぶように売れているらしい。宿泊客から偶然その話を聞いたのは、いつの頃だったか。

 その人の人相は覚えていない。よくよく考えると、一般人がそんな話を知っているはずもなく、ミシルスがミシルスであることを知っている人物、つまりは彼の顧客だったのだろう。グレーゾーンから這い出して真っ当な生活を目指していたミシルスだが、一度足を踏み入れた沼から完全に抜け出すのはむずかしい。

 ふと、あの頃の通帳の数字がフラッシュバックする。どこまでいっても生活水準を下げ切れないミシルスにとって、それはとても甘美な調べである。


 軽く指を動かせば、お金稼ぎの道具はミシルスの宿に届いた。顧客もすぐに見つけられた。一番大変な入手経路と顧客情報は、脱兎のように逃げ果したとて手放せなかったのだ。こうしてミシルスは家計を維持することに成功した。

 先程も言ったように、ミシルスにとって一番大切なのは息子であるルイスである。裏稼業がこの国においてグレーゾーンなんて生易しいものでなかったとしても、それは大した問題ではない。間接的に人を殺すことによる罪悪感だとか忌避感だとか、そういった立派で殊勝で、普遍であまねく感覚がミシルスには備わっていない。


 だからこうして今、ここに佇んでいるのだ。


「僕も回り道しない人は嫌いじゃないよ。でもね、こういうときにはお茶を交わさないと」


 そうは言うが、誰も長々と他愛のない会話をするつもりはなかった。

 何せ、空気を媒介せず直接鼓膜を揺らしているような雨音は、安っぽい傘でその全てを防げるはずもなく、靴下はぐっしょりと濡れて嫌悪感に苛まれていたから。


 真っ黒いローブの内一人が子供から手を離して、一歩前に出る。そして辛うじて言葉として認識できるくらいの声量で、ミシルスを試すように言った。


「――――」


 何度目かになるが、ミシルスにとって一番大切なのは息子のルイスである。生活環境がどれだけ変わろうとも、何を稼業にしようとも、極論ルイスが元気にそこに居るのならミシルスは生きていられた。それは依存としか評せないくらいに。


「そう――良いわ、従いましょう。けれどひとつ質問。何故、何のために、あなたがそうするのか聞かせて貰えるかしら?」


「最近気付いたんだが、俺は結構自己中らしくって。あとお人よし」


 聴き間違えようがないその言葉は、笑ってしまうくらい都合が良くて、ああ、何と――。


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