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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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前哨5


 時間は少しばかり進んで、小腹に甘いお菓子を蓄えたくなる頃。「二人は旅人なんでしょ?だったら、この街を案内してあげる」とルイスに言われて、ルドルフとノクターナは街を出歩いていた。

 正直なところ、旅人としては歴も浅く世界の何も知らないと思っているルドルフだったけれど、それにしてもこの街は退屈であった。

 とびきり変わった景観があるでもない。これといった名産品もなく、比較的新しいこの地には面白い伝説や文化が根付いているわけでもない。


 それでもこうしてルイスの案内に従っているのは、もちろんこちらの事情もあるがそれ以上に、昔を思い出すからだろう。

 幼少期、何でもない街をリゼッタたちの歩いたのは、それだけで楽しかった。どうだって良いことに笑顔が絶えなくて、どうして失ってしまう事態になったのだろう。未練がましく、そう思う。

 ルドルフとノクターナを先導して、時折はにかみながら振り返るルイスの表情は、どこかそんな幼少期の面影を感じさせられた。


「いっつも、ここで買い物してるんだ」


 そう言って立ち止まったのは、極小さな駄菓子屋だった。二階建ての古い家屋の、一階部分に構えられた駄菓子屋。看板が立てられているのではないけれど、大きく開け放たれた引き戸にはのれんが設置されていて、屈んで覗くと老婆がにっこりと笑いかける。

 昨今には珍しい店構えだ。どこにでもあるようで、ご近所付き合いが濃厚なと言うほどの田舎でないこの街においては尚更。

 用事もなしに駄菓子屋へ入る年齢でもなくなってしまったから、この街の面白いところにカウントしても良いかもしれない。


 ルイスが店内に入ると、それに続いて俺たちも入店する。


 駄菓子屋にありがちな、懐かしい匂いが充満していた。木の匂い、駄菓子の匂い、それとも老婆の匂い?それらが混じり合って、不快でない落ち着く匂いを作っている。

 子供がギリギリすれ違えるくらいの細い通り道だけ用意され、それ以外には駄菓子が所狭しと並べられている。

 老婆は俺たちを一瞥したあと、何も言わずすぐに手元の新聞へと視線を落とした。


「僕、初めて駄菓子屋に来たかも」


 ノクターナは感激したように目を輝かせて、食い入るように駄菓子を吟味する。

 普段は全くそう思わないのだけれど、時折見せる姿はやはり、良い意味でも悪い意味でも王族なのだと。そして少しばかり、甘やかしたくなる。


「ノクターナ、ルイス。好きなだけ選んで良いぞ」


 誰にも見られていないけれど、このときのルドルフは随分と腑抜けた顔していた。


 ルドルフも何か見知った駄菓子はないかと見漁っていると、ちょこちょこと近付いてきたルイスが服の裾を引っ張った。


「ねえねえ、駄菓子屋って他の街にはないの?」


 多分、先程のノクターナの台詞が気になったのだろう。ルイスはノクターナを一度見遣って、小声でそう言う。


「いいや。態々入る機会がなかっただけで……何回かは見掛けたな」


「そうなんだ。良かったあ――」


「良かったって、それは何故?」


 他の街の駄菓子屋なんて、関係ないはずだ。


 尋ねるとルイスは視線を彷徨わせ口籠る。まるで大きな隠し事があるように、ルイスはしばらくそうしていた後、「まあ旅人さんならいっか」と呟いて話してくれた。


「あのね、大きくなったらこの街を出ていこうと思ってるんだ。そしてそのとき、新しい街に駄菓子屋がなかったら、その……悲しいでしょ?」


 それは、随分と可愛い悩みだった。


「そうだな、悲しいな」


 どんな重いことを打ち明けられるのかと身構えれば、拍子抜けだ。ルドルフは平静を装うけれど口の端から笑いが零れてしまって、ルイスは恥ずかしさでそっぽを向いてしまった。

 しかしそうか、街を出る。ルイスくらいの年齢からすればそれは大冒険だろうし、否定されたらと思うと打ち明け難いのも納得できる。

 笑ってしまったけれど、そのまま放置するのは折角打ち明けたのに余りに可哀そうだと思って、ルドルフは一言だけ付け加えることにした。


「でもまあ、旅は良いものだ」


「うん――!」


 振り返ることなく、ルイスは大きく頷いた。


 ルイスは手を背中に回して立っていたのだけれど、身体で見えないようにされていた両手で握られている駄菓子があった。


「ルイス、それは?」


「あっ――」


 隠して、頃合いを見て言うつもりだったルイスは気まずそうに両手をわなわなさせる。

 十秒ほどそれを眺めているとルイスはようやく落ち着いて、深呼吸でもするように大きく息を吐いた。


「あ、あのね、これは中に三つ入ってる駄菓子で、その一個がすっごく酸っぱくてね。ええと、前から食べたいとは思っててね、でも友達いないから……じゃなくて、丁度三人だから、どうかなって!」


 つまりは、駄菓子でちょっとしたゲームをしたいらしい。


「良いよ、やろう」


 ルドルフがそう言うと、一音節語る度に声が小さくなっていたルイスはぱああっと明るくなって、また別の駄菓子を吟味し始める。

 そうこうしているとノクターナは選び終えていたようで、そんな光景を微笑ましく眺めていた。


「今日のルドルフ、何だかちょっと優しいね」


 いつも優しいだろう、なんて言葉を返そうとしたのだけれど、この場面にてそれが正しくないことは、ルドルフにも理解できていた。

 ルドルフの優しさは普段からのものではなく、そして機嫌が良いからでもない。むしろ、機嫌を言うなら悪いくらいだ。

 それなのにこんな行動を取るのはきっと、いいや確実に。


「ちょっとした贖罪だ」


 追加で駄菓子を持ってきたルイスと合わせてルドルフは、数点の想定外な安い買い物を済ませる。

 そうして三人は駄菓子屋を後に、ルイスの導きのもと次の場所へと案内されるのだ。


◇◆◇


 近くの丘を登った先、見晴らしの良い高台。何にも遮られることのない自由な風が吹き抜けて、短く生え揃った雑草がさらりと揺れる。

 街の全てを見下ろすくらいわけない場所だ。ずっと先には広大な大地すら見渡せる。ここから海も見えたならどれだけ美しい景色だったろうが、そうでなくても十分すぎる。

 真っ青なキャンバスに数滴の白が落ちた、一色よりずっと壮麗な空。絵になるの一言。


「駄菓子屋に寄ったあと、ここに来るのがお気に入りなんだ」


 とはルイスの言葉。


 なるほどどうして、ルイスは子供ながらに風情のある。

 手元にあるのが駄菓子な点は些か不満だが、それすらも雅と考えられてしまうのが、どうにも完璧に近しい。


 ノクターナ、ルドルフ、ルイスの順に並んで腰を下ろす。雑草がクッションの代わりになって土が不快感を与えてくることなく、両手を背後に伸ばして体重を支えると小石が皮膚に食い込んだ。

 パリパリと包装を外す音が隣からして、ルイスはルドルフに駄菓子を差し出す。三つの小さな球が入った駄菓子。これはガムだろうか。


「旅人さん、ひとつどうぞ。誰が酸っぱいの当たるかな?」


 なるほどこれが件の。


 ルドルフが真ん中から取るとノクターナは左端を、ルイスが最後の残りを持つ。

 酸っぱいとはいえ、所詮は駄菓子だ。言う程でもないのだろう。


「いただきます」


 そう取り決めたのではないけれど、ルイスが言ったのと同時に三人はガムを口へ放り込む。


 始めは甘く、噛むと内部からとろりとした液体が溢れて、おそらくひとつはこれが酸っぱいのだろう。

 ルドルフが酸っぱいのを食べたなら、折角だし大げさに反応してやろうかと考えていたのだけれど、生憎その必要はないようだった。溢れた液体は風味こそ違うけれど甘く、期待していただけに拍子抜け。


「酸っぱくない」


「甘いな」


「僕も全然、普通――?」


「あれ、おかしいな。ひとつは酸っぱいの入ってるはずなんだけど……」


 ルイスは一度ぐしゃぐしゃにした包装を開いて、読み直している。勿論読み直したところで書かれた文字が変わっているなんてことはなく、「ほらここ」とルイスが指差した場所には確かにその文言があった。

 だとすると疑い始めるのは誰かの味覚がおかしいのではということ。ルドルフは口の中のガムを捏ね繰り回して、もうなくなってしまった液体の味を思い出そうとするのだけれど、やはりどう考えてもあれを酸っぱいと呼ぶのは無理がある。


「製造したときに問題があったんじゃないか」


「そうなのかな――」


 嘘を吐いているのでなければ、ルイスやノクターナの口からガムを引っ張り出して確かめる訳にもいかない以上、そうしておくのが得策だろう。


「誰かが今頃、ふたつ酸っぱいのを食べてるかもね」


 茶目っ気たっぷりに、ルイスはそう言った。


 徐々に柔らかくなっていくガムを噛んでいると、さては順序を間違えたのではと思い始める。

 ノクターナとルイスの手にはまだいくつかの駄菓子があって、どれから食そうかと悩んでいる。それらはスナックのような軽いものばかりなのだが、食べようとすると口の中に残るガムがネックなのだ。

 吐き出そうにも味がなくなるのままだ先のことで、駄菓子だからと侮っていたが案外持続は良いらしい。口に残したままスナックなど食べようものならガムは無残に溶けてしまうし、そもそも捨てる場所もないしで、ノクターナは僅かな不満を抱く。


「そういえば、旅人さん。旅人ってことは、今まで色んな街に行ってきたんだよね?」


 ふとなくなっていた会話を惜しむように、ルイスは駄菓子をポッケに押し込みながら尋ねた。


「ああ」


「もちろん。僕たちは旅人だからね」


 城を離れて、そろそろ一年が経過する頃。極力過去は振り返らないようにしてきたルドルフだったが、良いタイミングかもしれない。


「いっちばん楽しかったことって、何?」


 ルイスは世間話としてもそうだがそれ以上に、得も言われぬ不安感を払拭するためにその答えを求めていた。

 ルイスにとって、時期の前後はあれどこの街を出ることは確定事項だった。世界がもっと知りたいから、母親に迷惑をかけたくないから。この街は窮屈すぎるから、ゴーアたちから離れたいから。理由は数えきれないほどあって、どれかひとつだけでも決意できるくらい、ルイスは外の世界に憧れを持っている。

 しかし、全く不安がないほど楽観主義でもなかった。どちらかと言えばルイスは悲観主義者である。常に良くない方向、最悪を考えてしまって、それを前提に行動できるのなら優れているけれど、億劫になるタイプの人間。だから、先輩に安心させて欲しかった。外の世界は、楽しさで溢れているのだと。


 ルドルフにとって、旅は副次的なものでしかない。生きるため、あるいは生きてもらうための手段。問われて思い浮かんだ答えはひとつだけあるけれど、それは多分、ルイスの聞きたかった答えじゃない。


 ノクターナにとって、旅とは何なのだろう。城に帰ること以外、何を考えて道を歩いているのだろう。その答えをルドルフはまだ有していない。


 ルドルフとノクターナ、それぞれ異なった考えがあるけれど、必然のように辿り着いた感覚は、同時に言語化された。


「旅の一番の醍醐味は、旅をすることだ」


 口裏を合わせたように、ノクターナは口調すらも合わせて。


「――旅人って、詩とか好きそうな人多いよね」


 困り顔のルイスに、案外当てはまるのかもしれないと、ルドルフは納得しつつも小恥ずかしく思えた。


 しばらく。

 ほとんどはガムのせいなのだけれど、雑談していると口の中から味が消えたことに気付くのが遅くて、駄菓子が尽きるまで時間をみるみる消費していった。座っているのにも疲れて、天然の雑草絨毯に背中を預けると、太陽が傾いていくのがわかるくらいだ。

 時間の浪費すら気分を良くする材料になっているのだけれど、色彩が暖色に寄ってくると焦燥感が生まれてくる。夕方は短い、深呼吸する間に夜が訪れる。


 自称探偵と交わした約束の時間まで、あと少し。


「旅人さんは、何時頃この街を出ていっちゃうの?明日?それとも明後日?」


「明日の朝には出るつもり」


 順調に事が運んだなら。


「じゃあさ、あと一か所だけ、最後にどこか行こうよ」


 それは、まだ帰りたくないという意思表示だった。


「門限とか大丈夫なの?もうすぐ夕飯とかも……お母さんも心配するだろうし」


「まだ時間はあるもん。……それに一回くらい、きっと許してくれる」


 どこが良いかな、とルイスは頭を悩ませる。

 食事処、遊び場、玩具屋さん。さほど大きくないこの街には、子供の足では行ける範囲も限られているだろうに、うんと悩むくらいたくさんのお気に入りがあるようだった。


 ルイスがたくさんの選択肢の中からひとつを選ぶより少し前。もしくは被ってしまったかもしれない。ルドルフはルイスが決定するのを遮るようにして、言った。


「それなら、寄りたい場所がある」


 ルイスは驚いて、そして嬉しく思う。頑張って出した結論は重要じゃない。大切なのはこの友達と呼べるのかわからない関係を、少しでも長く続けることだったから。

 ルドルフやノクターナの側から提案してくれるのが一番。だって、そう思っているのは自分だけじゃないと感じられる。


「うん!」


 ルイスは夕焼けに頬を赤らめながら、首が千切れるくらい大きく頷いた。


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