前哨4
一方その頃、宿屋にて。自称探偵は今日も同じ宿同じ部屋を取って休憩に勤しんでいた。
男が現在居座っているのは宿屋の一階、お気に入りの席。ここ一週間は自称探偵が居座ってほとんど所有物のようになっているのだが、本来街宿は一週間も滞在するものではなく客も入れ代わり立ち代わり。そのことを鬱陶しく思っているのは宿の女将さんだけだった。
「わたくしのことは探偵さんとお呼びください。そう呼ばれたいのです」
ちなみにだが、自称探偵は街中を出歩いて注目を浴びるほどではないにしろ、人生で逆ナンされた回数には自信があるくらいの美顔である。その上常に微笑んで優しそうな雰囲気を纏っているのだから、観光名所を訪ねるに丁度良いのだろう。
今日も変わらず雑談ついでに道を尋ねにきた宿の客にそう言って、苦笑いを引き出していた。
最初は和気あいあいとしていても自己紹介を交わした途端に引かれて会話が途切れてしまうことがほとんどであった。自己紹介文を正すつもりなくそれを憂いていた自称探偵だったのだけれど、今日の客はいくらか違っていた。
「探偵さんはどうして探偵さんて呼ばれたいんです?そう言ってことは、探偵を仕事にしているわけではないのでしょう?」
女性は珍しく、単純な興味を持ってそう尋ねた。
ほんの少しでも他と変わった部分を見つけては、あの人は他とは違う、だなんて思う目のそこら中に節穴が空いている自称探偵であったが、自称探偵の使い物にならないセンサーは再び働いた。
この女性はどこか違う。今度こそは、と。
「失礼ですが、貴方の名前をお聴かせ頂けませんか」
「先程名乗ったばかりなのですが……」
女性は困惑したように微笑む。
仕方ないだろう、聞き流していたのだから。他の人と違うのなら違うと、自己紹介の前に言って貰えなければ身構えて聞くこともできない。
女性は「まあ良いわ」と失礼な自称探偵に優しく返して、やはりこの人は違うとセンサーが再びけたたましく鳴った。
「私の名前はキャロージア。お貴族様みたいな名前でしょう?でもただの平民なの」
キャロージアはそれを持ちネタのように披露するのだけれど、正直微塵も面白くなかった。
この一言のためにお貴族様らしい言葉遣いも身に着けた少々変わった女性がこのキャロージアなのだ。
思っていた反応が得られずキャロージアは目を点にするのだけれど、そう言えば今まで言って見せた中でウケたことなど一度もなかったことを思い出した。
「――わたくしのことは」
「それはもう聞きましたよ探偵さん」
なんと、キャロージアは身構えて聞かなくとも名前を覚えていられるすごい方だったらしい。
折角変な方向に行ってしまった空気を正すため自称探偵も持ちネタを披露したかったのだが、それを止められて悲しい。同時に、この人は違うとセンサーが再度反応した。
「それで、探偵さんはどうして探偵さんと呼ばれたいのです?」
幸い空気を変な方向に曲げた張本人が正しくしてくれて、自称探偵はうーんと唸ってみる。
探偵と呼ばれたい理由。それは確かにあって、キャロージアの予想も半分当たっているような形だった。
自称探偵には本業がある。本業はいくつかの部署に別れていてその中でも探偵に近しいものを所望したのだけれど、配属されたのは全く別の部署。探偵なんて目立てば目立つほど良いと考えている自称探偵にとって、その部署は真逆の存在と言っても良い。
本業の監視から離れた時くらい探偵を名乗りたい。そんなところだ。
だが理由をそのまま伝えられない理由もあって、自称探偵はそれっぽい回答をこれまで読んだ探偵小説の中から探した。
「キャロージアさんの言うとおり、わたくしには別に本業があります。それでも探偵を名乗っているのは、亡くなった妻の意思を継ぎたいからなのです。妻は探偵をしていて、生前口癖のように言っていた言葉があります。有名になりたい、たとえ名前だけだったとしても、と」
「――それなら、亡くなった妻の名前を名乗るべきじゃない?」
「――――」
しくった。選ぶ小説を間違えた。
傷心なわたくしのことを癒して下さいとでも言って距離を縮めるともりが、これでは隠し事をしたいだけのように映ってしまう。
キャロージアは「誰にでも隠したいことのひとつやふたつありますよね」と言って詮索を止めてしまった。残念ながら、キャロージアは他の人と違わないかもしれない。
キャロージアは自称探偵の正面に座って、呆然と何処かを眺めている。もう、何かを話しかけるつもりはないらしい。
自称探偵もキャロージアから視線を外して再び思考の海に潜ろうとするのだけれど、はて何について考えていたのだったか。
わたくしが探偵を名乗るようになった所以?うーん。違う気がする。
思い出せないでいると、ガチャリと無造作に宿の扉が開かれた。陽気とともに入ってくるのはここ最近毎日のように見ている女将さんの顔だ。
「――いらっしゃい。今日も居るのね」
「この宿は、居心地が良いですから」
女将さんは苦虫を嚙み潰したような顔を言葉の裏に隠して言う。本来こういった街宿に固定客が出来るのは珍しく、それ故に喜ばれるはずなのだが、怪しい。
そうだった。この宿の女将さんが怪しいから、一週間前から潜入しているのだ。そして今朝、とある魔法使いにも協力を要請したことを思い出す。
彼らに頼り切りでなく、わたくしも動かなければ。問題を解決するためにも、彼らを巻き込むためにも。
「女将さん、左手の調子はどうですか?」
「え、女将さん左手を怪我してるんですか?ちょっと待っててください、丁度効き目の良い塗り薬を持っているので――」
「いいえ、心配には及ばないわ。この通り」
女将さんは見せつけるように、左手をグーパーさせてた。
素人目にそれは至って普通。実際キャロージアは「なんだ、脅かさないでくださいよ探偵さん」なんて言っている。
しかし自称探偵は素人ではなかった。その動作にある僅かなぎこちなさを見抜き、そして訝しみを隠す。
「失礼、女将さん。疑り深すぎたようです」
「ええ。探偵さんも、早く今の仕事を終えられると良いわね」
そうして、女将さんは自身の生活スペースへの扉を開けた。がちゃりと鍵を閉められてしまえば、これ以上の追求はできなくなる。
はあ、残念だ。そろそろ決定的な証拠をつかみたいのに、かの尻尾は猟犬のように短い。
「探偵さんは、女将さんが何かを知ってるって睨んでいるんです?」
「いいえ。ただの世間話です」
少なくともそういう風にしておかなくては。
あの魔法使いたちを巻き込むのはやぶさかではないが、キャロージアのような無関係な人を巻き込むのは良心が痛む。キャロージアが他の人と違うのであれ同じであれ、ただの人間だ。いざとなったときに自衛手段を持たない人間。巻き込むのは信条に反する。
「私には教えてくれないのね……」
そう項垂れるキャロージアがいくら可憐であっても、これだけは譲れないのだ。上目遣いで見られても、悲しそうな声を出されても。
何となく見ていられなくて視線を彷徨わせると、女将さんが入っていった扉の先から甲高い音がした。
カランコロン――。
それは昨晩聞いたのと同じ音で、地獄耳が自慢な自称探偵が耳を澄ます。
さすれば、本人は自覚していないが微弱な魔法が発動して、本来なら聞こえるはずのない音を拾う。
「どこでか落とした――?」
それは魔法を使ってもギリギリ聞き取れるような小さい呟きであったが、確かに自称探偵の耳には届いた。その後、同じく小さな音でガチャリと扉を開閉する音が鳴った。
裏口だ。裏口を使って女将さんは落とし物を探しに行った。ようやく、尻尾を見せたのだ。
立ち上がって追いかけようとすると、ぎゅっと服の裾を掴まれていることに気付いた。
「もしかして、お仕事ですか?」
自称探偵は言っても良いものかと逡巡して、頷く。
「でしたら、私も連れて行って下さい」
「――それは何故ですか」
「ええと面白そうだから――じゃなくて、探偵さんが危険なことをしないか心配なんです。だから、ダメですか?」
後半になるにつれキャロージアは上目遣いに、そして猫なで声に変化していた。
自称探偵は思った。ここで断るのは、本業を放棄してどこかへ隠れてしまうより難しいと。
しかし連れて行くかと言えば、それも難しい。信条のこともあるが、それ以上に危険な可能性があるから。自衛手段を持たない一般人には、こうも可憐なキャロージアには。
「でしたら、わたくしはもう一杯コーヒーを頂くとしましょう」
だから、この宿に留まることにした。
自称探偵はキャロージアの手を振り解き、女将さんがいつも座っているカウンターへと向かう。ほとんどの調理器具は扉の先にあるのだろうが、茶葉やコーヒー豆、コーヒーメーカーはカウンターの中に置かれてあるのだ。それを誰の許可を得るでもなく勝手に使って、自分用のコーヒーを作る。
えー、とキャロージアが分かりやすく文句を垂れるけれど、認めることはできない。
「変わりにと言っては何ですが、わたくしの昔話をしてあげましょうか」
間違っても一人で追おうなどと考えないように。
キャロージアは面白そうであれば何であれ良いらしく、ブーイングもいくらかましになった。
「キャロージアさんもコーヒー、飲みますか?」
「――いただきます」
コーヒーカップをふたつ取り出して、豆やミルクや砂糖も倍量用意する。
最近の技術とやらは随分先進的で、バリスタが小難しいことをしなくても材料と多少の知識があれば、機械の補助を受けて素人でもある程度の品質のコーヒーを入れることができる。
便利な技術だが、それが発明されたのは結構最近で、故に高額だ。少なくとも、ただの街宿に置かれるには。
機械の準備を待っている間、自称探偵はこれまた珍しく高価な道具を取り出す。
「何をしているんです?」
「これは同僚と情報のやり取りをするための道具です。落として傷が付こうものなら、わたくしの首が飛びます」
「探偵さんて、一人ぼっちじゃなかったんですね」
かなり失礼な評価をされていたらしい自称探偵だが、それを気にするでもなく、出来上がったコーヒーを持ってお気に入りの席に座る。
仕事は、キャロージアを守っていたということにすれば大丈夫だろう。あるいは、コーヒーに睡眠薬でも混ぜて無力化するか。ふむ、その方がわたくしの首としては安全かもしれない。
だが残念ながら、思い付いたときには既に遅し。目の前に座っているのに薬なんて混ぜられるはずがない。それにコーヒーと睡眠薬とは、何ともアンマッチなものだ。
「昔々。とあるところに有能な美男子が生まれました」
あわよくば、子供に絵本を読み聞かせるように、眠ってくれればなんて思いながら。




