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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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前哨2


 再び、その言葉に驚いたのはルドルフとノクターナだけだった。そうやら自称探偵は同じ言葉を何度も繰り返しているらしい。その結果が今日の早起き、納得がいかない。


「わかった、わかったから。その理論じゃあんたも犯人候補なんだ。そもそも女将さんが帰って来なきゃ何もわからない。早く座りな」


 頬杖を突いた男にそう諭され、自称探偵は席に戻った。やはり同じポーズ、憧れでも抱いているのだろうか。


 揉み合いになって病院に行ったとなれば、ただ事ではないはずなのだが、何だか気が抜ける。全く大事に思えない。コメディのように感じるのは全部自称探偵のせい。


 自称探偵の演説を数十分と聴いたのは長いと感じたけれど、今ではそれで済めば良い方だと思う。女将さんが戻るのを待つとなれば、それは何時になるか。今朝考えたばかりの計画を早速変更しなければならなそうだ。不満に共感を求めてノクターナを見遣る。


「言っておくけど、魔法はそんなに万能じゃないよ」


 呆れたように。


 魔法を使って脱出しようとか考えていたのではなく、いや全く思わなかったでもないけれど、些か心外である。


 初対面同士が食事もなしに同じ場所に集まるのは、気まずい沈黙との闘いになる。眠りたくなるのも理解できる。落ち着かない。


 どうせなら部屋に戻ってゆっくりしたいけれど、無意味に行動するのは疑われる要因に成りかねない。そんな空気を破壊してくれる救世主が現れたのは、旅の回想が季節外れの極寒に到達した辺りであった。


 施錠された扉がガチャリと解かれ、全員の顔に緊張が走る。ゆっくりと、何かを警戒するように開かれた扉からは、件の女将が顔を見せた。


「あら、どうしたの皆して。私のお出迎え?」


 怪我の具合でも確認しようとして、真っ先に目に入ったのは手に持った袋だ。


 そう、袋。何も特別じゃない。袋からはみ出た大根、漂う土の香り。新鮮そうなお肉と魚を抱えて、その姿は主婦さながら。というか買い物帰りの主婦そのもの。何が強盗か。


 これには寝ていた人も顔を上げて、自称探偵を見遣る。信用できないとは思っていたものの、言葉の節々は信用していしまっていた。人々の視線が自称探偵に突き刺さる。否、突き刺す。


「もしかして、皆お腹を空かせて待たせてしまったかしら?ごめんなさいね。珍しく混んでいて。今すぐ作るから、待ていてちょうだい」


 女将さんは別室、おそらく厨房があるのだろう部屋へ消えていく。


「…………」


 つい先程まで辛い沈黙だったのが、 それを辛いと思うのは自称探偵だけになっていた。


 全員が一点を見詰めて、自称探偵は口を開くけれど言葉が発せられることはない。


 弁明とか弁解とか、そんなことができる空気ではないのだ。無意味に疑われた不満が降り注ぐ。自業自得だと思うと同時に、同情してしまうくらい。


「ね、ルドルフ。朝食は何だと思う?」


「そうだな、あの袋の中身からすると――」


 誰も面と向かって言わないから止める言葉もなく、せめて関係のない話でもしておこう。


 ちなみに、提供された朝食に大根は使われていなかった。記憶に色濃く残っていたせいで、大根をメインに献立の考察をしたものだから、ほとんどが外れて残念である。ミスリードをされた気分だ。正解したのはパンの種類だけ。


 さらにちなみに、朝食はかなり美味しかった。


◇◆◇


 不意に。気付いたのは多分偶然。


 午前中には街を出る予定だったから、結局は丁度良い時間帯になったことを喜んで、歩を進めていた。


 城に着くのは何か月後だろうだとか、辿り着いたらどうなるんだろうとか、若干の現実味や実感が生まれて来た物事に対して、さほど深刻でもなく考えながら。


 時間が経つにつれて閑静になり、だからこそ一人が目立った。珍しくもない出で立ち風貌の、しかしどこか不自然で挙動不審な男とすれ違う。初めて訪れた場所で高揚していると説明されればそれだけの、人が少ないからこそ目立った男。


 無意識に意味もなく、視線が男へスライドする。景色に見惚れているのか将又考え事か、幸い目は合わなかった。


 見て、すれ違って、背中。それだけのことだったのだけれど、同じく人が少ないからこそ目立った影があった。だから多分、偶然。


「ノクターナ、忘れ物。ちょっとだけ引き返して良いか?」


「え、うん、大丈夫だけど――」


 寄り道してみることにした。


 人の少ない道を選んでみる。塀の上で休んでいた野良猫が人を見て逃げ出すような、用事がなければ好んで通らないだろう小道。数歩進めば次の分かれ道があるような場所を、身勝手に選ぶ。同じルートだけは選ばないようにしながら。


 確信に至ったのはこの辺りのこと。


 好奇心、危機感、義務感。どれが最たる理由になるのかわからないけれど、誰の目にもわかるくらい足早になっていく。やけに頭が冴えている。


「どうしたの、急に、そんなに、大切な忘れ物」


 疲れた。ようやく、落ち着く。


 流石に見失うだろうと思ったのだけれど、念入りに探すと、影は絶妙な距離を保ったままそこにあった。後をつけられている。素人目に手練れだった。


「それとも、何か困りごと?」


「ノクターナの予想通り」


 尋ねる体だけれど確信している。


「ノクターナ、少し走れるか?」


「うん。――余裕」


 多分、入り組んだ道を走るだけじゃ撒けない。


 例えば追えなくなる何か、見失うくらい時間を稼いでくれる何かが必要だ。それを待って走るのは、疲れる。だったら撒くのを諦めてしまえば良い。大丈夫、相手は一人だけだ。


 走る、右折、少し。


 角に隠れて、息を殺して、影を待つ。華麗に吸収された衝撃が僅かな足音となって響く。


 三拍。待って、言う。


「忘れ物なら、ここにはないと思いますよ」


「それとも、僕たちのファン?ごめんね、人の前に立つのは随分と前に引退したの」


「……やはり、お二人はどこか違いますね。申し遅れました、わたくしのことは探偵さんとお呼び下さい。そう呼ばれたいのです」


 観念したように曲がり角から姿を見せた男は記憶に新しい顔をしていた。


「自称探偵――」


「自称ではありません。名実ともに歴とした探偵さんです」


 探偵さんは動いてずれた帽子を被りなおし、乱れた息を深呼吸ひとつで整える。


 尾行された理由に心当たりがなく、不信感ばかりが募る。怪しいが、絶やさず作られた笑みに後ろめたさが全く感じられなくて、故に怪しい。


「まずは謝罪を。早くに声をかけるべきだったのですが、そのタイミングを見失いまして」


「それで、俺たちに何の用向きだ」


 好奇心もあり、話くらいは聴いても良いだろう。


 自称探偵なんて評価はつい先程改めたばかりなのだけれど、それだけでは足りなかったかもしれない。


「こんなところで話すのも何ですから場所を、と言いたいのですが信用を頂くためにもひとつだけ」


「…………」


「昨晩、変わった出来事はありませんでしたか?」


 言われて。頭の中でその音が鳴った。


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