前哨1
ある日、轟音が大地を劈いた。
その日その場所にいた者ならば、二度と耳から離れないであろう爆音。空に小さいきのこ雲が出来て、悲鳴、それら全てを打ち消すような甲高く煩い耳鳴り。風圧に脳が揺さぶられるのを堪え、なおも前を見続けた者は、爆音の結果と原因を目の当たりにした。
巨人が畑を耕したように、根こそぎひっくり返った地面。宙に浮かんだ石ころと危うく衝突しかけて、極寒の鳥肌と肝を冷やす。
数分にも思えるラグがあって降るのは、部下の死体、血、鎧、武器、涙。五体満足であるのが不思議なくらいだ。
そんな惨状をたった一回の爆音が成していた。余剰にも思えた数百の戦力が、たった一回の攻撃によって評価を改めさせ得られた。
腰に吊るした双眼鏡を手に、攻略目標である砦を見遣る。先程までは一瞬に思えた距離がやけに遠い。
砦は、あまり人員が割かれていないことは予想していたけれど、それを上回るくらいがらんとしていた。砦の上にもそれを守る兵士がいない。先にあるだろう街からも人々の息遣いが感じられない。まるで無人、放棄された砦。
そんなはずはないと、探して、探して、探して、ようやく見つけた。あまりに堂々としていて気付かなかった。
砦の入口、門の真上。一番高いところに、その少女はいた。
真っ先に家族に守られて逃げ出しそうな少女が、さらりとした髪を風に靡かせて立っていた。姿からは想像もできないほど堂々と、虫けらを見下すように。対峙しているのは魔王ではないかと勘違いさせられるくらいだ。
魔王と目が合った気がした。蔑まれた気がした。その口角は上がっていた。双眼鏡ごときでは表情まで見えるがずがないのに、魔王は笑っていた。嗤っていた。焦る我々とは反対に、魔王はゆっくりと口を開き、言う。
「来い」
条件反射だった。将校は突撃を唱え、部下の命が爆ぜた。悲鳴が、使命が、撤退を許さなかった。かの国を領土にするまであと少し。後に予想される大戦を生き残るためには、こんなところで黒星を付けるわけにはいかない。
三時間、三時間だ。数百の兵がたったひとつの砦を、たった一人の少女を攻略するのに要した時間は。
受けた被害は三ケタにも上り、一部の人々の間で少女が英雄視される原因を作ってしまった最悪の戦い。後の歴史書ではこう語られている。
「ロスト・ワンの戦い」
と。
◇◆◇
カランコロン――。
甲高い、金属の転がる音だ。不意に鳴って、眠りの浅いところを彷徨っていたルドルフの意識は覚醒した。
重い布団に押し潰されたまま頭だけを動かす。ノクターナは目覚めてしまってはいないようだった。
天井のライトが落ちているのでなければ思い当たる節がなかったのだが、目を細めるとやはり吊るされている。となると隣か、はたまた一階か。なにせ浅いとはいえ眠っていたのだから、音の出どころが何処かなんて掴めていない。
真夜中であることを考慮しなければ、そうおかしな出来事でもない。寝て、朝が来れば思い出すこともなければ記憶にすら残っていないのだろう。夢と共に消えていく。
そう思っていた。
「昨晩、変わった出来事はありませんでしたか?」
言われて。その音が頭の中で鳴った。
旅を続ける中で、時間が来たら目覚めるという便利な能力を習得していたルドルフであったが、その日は身体にだるさが残っていた。
前日に重労働があったのではなく、朝が早かったのだ。はっきりとしない意識のまま、身体を振り子の要領で起こす。カーテンと窓を開け光で視界を明瞭にしようと試みる。しかし朝焼けはまだうす暗く、冷たい風がその役目を買って出た。
欠伸を大きく一度。腕をぐぐっと真上に伸ばせば、筋肉の緊張が解けて身体が若干の熱を持つ。普段通りの朝。
ルーティーンのように肺を数回膨らませると、ようやく視界が晴れてくる。
「おはよ――、ルドルフ」
自分のものでない欠伸に振り返ると、ノクターナを起こしてしまっていたらしい。
「おはよう」
少し、申し訳ない。
こうして早起きしてしまった日は二度寝するか、早く出る必要のある場合ばかりなのだが、今日は違っていた。それが、ルドルフが起こされた原因でもある。
ドタドタ、バタバタと。二人が今日泊まった宿は二階建てなのだが、その一階が騒がしかった。安眠を提供すべき宿にあるまじき、まあ高い宿では全くないのだけれど、それにしてもだ。
「朝食の準備でもしてるのかな?」
「だったら良いけどな」
今日は夢を見た気がする。ネガティブな方面の。それが何かの示唆になっていなければと願う。
一階から聞こえる音は煩いと言うほどではなく、この宿は評判が良かっただけに、多少の違和感。朝食の準備をしていると説明されれば、納得はできる。それまでだ。
朝早くに朝食をせびるのは中々にやっかいなもので、暇を潰すがてら次の目的地を決めるため、地図を開く。
城を出たばかりの頃はほとんど一直線に、最近は心情的にも余裕が出来たらしく、寄り道をすることが多くなった。行きとは別の道をと言い出したのはノクターナの方だ。おかげで、地図に書き込んだ線はガタガタ。
「ね、ここなんてどう?」
ただでさえ広い地図だ。書き込まれているのは大雑把な距離と地形、地名だけ。この地図が何時作られたものかも定かではない。その場所に何があるかなんて、その地名が今も変わらず存在しているかなんて、ギャンブルに近い。実際、廃墟になった国も見た。
そんな地図に勘と好奇心を織り交ぜて、候補地を上げていく。
海が近く栄えていそうな街、少し離れた静かそうな場所、自然に囲まれた辺境の地。どうせなら変わった地を引き当てようと、何かのゲームのように。
しばらくそうしていると、尚も続く一階の騒がしさがマンネリ化してきて気にならなくなる。音には話し声も混じっていていよいよ朝食の準備ではなさそうだが、それはすぐに消える疑問となるだけ。
変化があったのは次の目的地が決まった頃のこと。ざわざわとした喧噪が窓からも入ってきた。つまりは、外が騒がしい。
正しく朝と呼べる時間まではまだ少しある。その次の目的地の候補くらい考えておきたかったのだが、仕方なく地図を畳んで、窓から外を見下ろした。
「何か――、問題が起きたみたいだ」
地図を見て談笑している場合でないと気付いたのは遅かったらしい。
外には宿を囲むように人だかり、とは言っても時間のこともあって多くはないのだけれど、集まっていた。人々は辺りをキョロキョロとしながら、しかしその中心には宿を据えている。人だかりが人を呼ぶ。口々に言葉として認識できない声を発し、不穏な気配だけは感じられる。
「うわあ――。僕たち、何かやらかした?」
「心当たりはないな」
二階からこっそり逃げ出すには観客が多すぎる。ルドルフたちは気持ち急ぎで荷物を纏めて、堂々と宿を後にすると決めた。
階段を下りてすぐにある、ロビーと居酒屋が合体したようなエントランスには、既に数組の宿泊客らしき人が座っていた。退屈そうに頬杖を突いていたり、テーブルに突っ伏して寝ていたり、有名な銅像のようなポーズで思考に耽っていたりするが、座っていた。
宿代を渡して出るようと思っていたのだが気付く。昨晩見た顔がないことに。扉がきっちりと施錠されていることに。
「おはようございます。これでようやく全員が集まったようですね――」
銅像ポーズの人がゆっくりと顔を挙げて、探偵小説さながらの帽子を被りながら言う。助手はいないらしい。
「ようやくって、もしかして僕たちを待ってたの?」
「今日は用事があって先を急ぐんだが――」
「ええ。ですがご安心を。お時間は取らせません。ものの数分、いえ、数十分で済みますから。申し遅れましたわたくし、こう言う者です。以後お見知りおきを」
多分全員に配っていたのだろう。テーブルに無造作に放置されたそれと全く同じ名刺を受け取る。
でかでかと住所が書かれたデザインにセンスのない名刺だが、肝心の名前がどこにも書かれていなかった。謙虚に小さく書かれているのか、裏にあるのかとひっくり返しても、採用した理由に苦しむ別なデザインと同じ文言があるだけ。
「名前が書かれていないことに疑問を覚えられたでしょうが、間違ったのではありません。能ある鷹は爪を隠すと言うっでしょう、探偵とはミステリアスであるべきなのです」
「はあ――」
「名前然り素性然り、知られてはなりません。わたくしのことは探偵さんとお呼び下さい。むしろそう呼ばれたいのです」
おそらく、ノクターナも全く同じことを思っただろう。変人である。
宿を離れるのは一旦諦めて席に着くと探偵さんは水を出してくれた。やさしい。
「なぜ探偵がここに居るのか、それを今一度皆さんに説明致しましょう。――偶然宿泊していただけです」
信用できないとは、満場一致の意見。誰かがため息を吐いた。ルドルフをため息を吐いた。
自称探偵は全員が見える位置に移動して、口を開く。寝ている人は起こさなくて良いらしい。
「今朝、あるいは昨晩。この宿に強盗が入りました。女将さんは犯人と揉み合いになり負傷、現在は病院にて治療を行っています。幸い傷は浅く、そろそろ戻られるそうです」
その言葉に驚くのはルドルフとノクターナだけ。
強盗と言われて辺りを見回してみるのだけれど、荒らされた形跡は残っていない。片付けたのだろうか、現場の保存は絶対のはずだ。
「盗まれたのは女将さんが副業として売っていた商品。断言しましょう」
自称探偵は一拍、息を吸う。
全員の耳にしっかりと聞こえるように、寝ている人を起こすように。あるいはルドルフとノクターナに言って聴かせるように。
「犯人はこの中にいる」
少し、恥ずかしくなった。




