表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/86

Rafflesia1


「ねえ、知ってる?」


 そんな言葉から始まる噂話は無数にある。それらは大抵、利き手の知識に関わらず語られる。


 リゼッタは集めた記憶から政に有用そうな情報を探す中で、おおよそ趣味のようにそういった陳腐な噂話も集めている。それはお姫様が侍女を連れて逃避行を始めたとかいう突飛なものだったり、ルドルフが帰ってきたといった有用なものだったり様々だ。


 ここではひとつ、少しだけ変わったものを紹介しよう。


「ねえ、知ってる?」


 この近くにはさ、とびっきり綺麗な花畑があるんだって。しかも年中いつ見ても満開な花畑。街中が大雪に覆われる日でもそこだけは雪が降らずに、春みたいな陽気が続いてるらしいよ。


「えー素敵じゃん」


 そんなところが本当にあったら、なんだか永遠が現実にあるみたいで、とってもロマンチック。プロポーズされるならそんなところが良いなー。それに、つまりは真冬でも全く寒くないってことでしょ?今年の冬が来る前に、一緒に探してみない?


「不気味なのはこれからなの」


 私の知り合いが友達から聞いた話なんだけどね、その人の友達が今の私たちみたいに探しにいって、ある日突然帰らなくなったらしいよ。失踪する数日前からおかしかったらしいんだけど、居なくなる当日にこんな書置きがリビングにあったらしいの。私はもう戻りません。桃源郷を見つけました。


「えー、こわーい」


 でも桃源郷かー。そんな大げさな表現されたら、危ないってわかってても探したくなっちゃうかも。ねえ、真冬の間だけでも良いから、行って戻って来れるようになる方法とかないの?


「実はね、こんな噂もあるの」


 その花畑にはね、ほとんどの花は普通なんだけどひとつだけ、見る人を惑わしてゆっくりと養分を吸い取る花があるんだって。目が合ったら最後、死ぬまで魅了され奉仕させられ続けるらしいよ。でもね、そうならない方法もあるみたいなの。


「うーん、燃やしてしまうとか?」


 でもそれだったら他の花までなくなっちゃうよね。だったら切り倒すとか?どの花かもわからないのに、それを見ずに切るなんて不可能だよね。ねえ、どうしたら桃源郷に行けるの?


「そこまでして行きたいの?」


 まあ良いよ、教えてあげる。それはね、花なんかに魅了されないくらい何かを好きになること。趣味でも人でも好きになる対象は何でも良いけど、ちょっとやそっとじゃだめ。それがなくちゃ生きていけない、ってくらい何かに依存してると、花畑がただの花畑に見えるらしいよ。


「結局、ありきたりな着地するんだね」


 まあわかってたけど。大体そういった噂は、愛だとか恋だとかに落ち着いて、ちょっと興ざめ。もっと新しい話を聞きたいのに。……あれ、そういえばいつも花束を持ってこの辺りを歩いてたおじさん、最近見ないよね。近くに花屋さんなんかないから、どこまで買いに行ってるんだろうって思ってたんだけど――。


「まさか、ね」


◇◆◇


 ミスをした。そう思った頃には多分、もう遅かった。


 日が顔を見せたあたりから下山を再開したのだけれど、途中で分かれ道があった。どちらも下に向かっていたから深く考えずに道を選んだら、どうやら間違いだったらしい。もともと少し歩きやすい獣道くらいだった道が徐々に細くなり、入り組み、再びの遭難だ。


 考え事をしていたと言い訳はできるけれど、念のため傷をつけて目印にしていた木すら、全方位を木々に囲まれてしまえば、どれに印をつけたかなんてわからない。


 二回目の失態は笑えない。それに気付いたときすぐノクターナに打ち明けたのだけれど、「うん、知ってる」とやや冷たい返答をされてしまった。


「僕もちょっとした目印は残してたんだけど、山の中じゃ魔法はそんなに長く残らないんだよね」


 引き返しても道までは案内してくれないだろう、とのこと。


「でも安心して。この先にほら、ちょっと開けた場所があるみたい」


 ノクターナが指を差す、木々の合間を抜けた少し遠く。


 壮麗な花畑があった。


 隕石でも落ちて来たようにぽっかりと空が見えるそこは、中心付近に山小屋――と呼ぶには立派すぎる――があって、それを囲むように多種多様色鮮やかな花々が咲き誇っている。

 時期的に花が満開を迎えるのはまだ先なはずなのだけれど、そんなことは知らん顔で、当たり前のように存在する陽気が、花畑を育む。

 風が吹けばそれに揺られた花びらが舞って、鼻腔を盪かす。香りに乗って川のせせらぎ、目を瞑っていても全く同じ光景が頭に浮かぶことだろう。


「まるで桃源郷のよう、でしょう?」


 思考を代弁したその声で現実に引き戻されると、じょうろで花に水をやる女性がいた。この広大な花畑全てにじょうろで水をやろうと考えているのなら、狂気だ。それに昨晩は雨が降ったはず。


「こんにちは。僕たちは偶然ここに迷い込んだんだけど、この花畑は貴女の土地?」


「いいえ。私はただ、お手伝いをしているだけよ」


 女性は口元を隠しふふっと上品に笑う。


 女性がじょうろをその場に置くと花びらに隠れて見えなくなって、すぐにでも見失いそうなままこちらに近づいてくる。


「はじめまして、私のことはフローラと呼んで」


「ルドルフとノクターナだ。よろしく」


「良い名前だね。ここにぴったり」


「ふふっ、ありがと。本当の名前は別にあるのだけれど、この名前は旦那様がつけてくれたのよ」


 フローラは恍惚とした表情を浮かべる。


 記憶を辿ってみるのだが、この辺りに婚約時名前を変えるような文化はなかったはずだ。何やら事情のようなものを感じて、不用意に問うて良いものかと悩む。


「さあいらっしゃい、旅のお方。旦那様のいるお家へ案内するわ」


 フローラは山小屋――近くで見るとログハウスであることがわかる――を見遣って言った。


 花々を踏んでしまわないように、蛇行して作られた細い道を歩く。ここを見つけた瞬間から漂っていた花の香りは、鼻が慣れて鈍感になっていくどころか、中心部へ進むにつれてより濃くなっていく。


 ログハウスは二棟あって、屋根のついた渡り廊下で繋がれていた。その片方、「こっちよ」と案内された方の扉へ入る。


「あら、新しいお友達?」


「それともお嫁さん候補かしら?」


「でも殿方もいらっしゃるわ」


「考え方が古いわよカメリア。昨今は多様性だってローズも言っていたでしょう」


 一、二、三、……フローラ含め七人の女性が一斉に扉の音に反応して、バラバラに喋る。一夫多妻は珍しくないが、七人は見るのも聞くのも初めてだ。


「驚かれるのも無理はないわ、旦那様は特別だもの。奥様の方は少し前に一人増えたみたいだけれど、ごめんなさい。あまり詳しくないの」


「奥様?てっきりフローラたちがそうだと思ってたんだが、違うんだな」


「そんな滅相もない」


「旦那様の奥様になるのは簡単じゃないの」


「言ったでしょう、私たちはお嫁さん候補」


「フローラはまだ新参者よ。次奥様になれるのは、私かローズかしら」


 口々に咎められて戸惑う。


 少し、いやかなり不可思議な世界観を持っているようだ。それをどうと言うつもりはないが、思うだけなら自由だろう。気味が悪い。

 それはノクターナも感じていたようで、ルドルフにだけ訝しんだ表情を見せる。けれど帰ろうと言ってこないのは、帰ろうと言わないのは、少しの興味と下山の案内をしてもらおうという魂胆から。


「気になるのなら会って行かれては?」


「そうよ、それが良い」


「でも貴女はだめよ。向こうの棟に行けるのは奥様か男性だけ」


 二人で視線を合わせたのをそう解釈した女性たちはそんな提案をしてくれる。


 旦那様と奥様への狂信とも言うべき感情を見るに、断るべきではない。気味が悪いとは思うけれどやはり些かの興味もあって、俺は頷いた。一人だけというのは心細いが、ノクターナなら多少何かあっても大丈夫だろう。


「あっちの扉を開けて渡り廊下を進めば、奥様に会えるわ」


「貴女はあっち。先に旦那様に会ってお嫁さん候補として認めてもらいなさい」


 俺たちはそんな戯言を聞き流す。


「じゃ、またね。何かあったら、多分ここまで警察は来ないから」


「ジョークは笑える程度に、な」


 俺はそんな戯言を聞き流して、ノクターナは俺を見送った。


 彼女たちの口ぶりから察するに、おそらくはこの後旦那様とも会うことになるのだろう。ノクターナを待たせないよう少し足早に渡り廊下を進む。


 ログハウスはふたつとも同じような外観だ。三回ノックをしてから、返事はないけれど開ける。


 先程とは打って変わって優雅さの代わりに忙しなさと、湿気のある生暖かい空気が充満していた。


「おう兄ちゃん、新入りか?」


「扉は開けたらすぐ閉めてくれ。ルールだからな」


「そっちから来たってことは大体聴いてるだろ。でもまあ、質問があったら何でも訊いてくれな」


 ログハウスの主の趣味なのだろうか。旦那様のログハウスには女性ばかりだったが、奥様のログハウスには男性がほとんどだ。そして目に見えて違うのは、働いている。彼女たちも働いているのかもしれないけれど、彼らはより分かりやすく。


「あら、可愛い子が来たのね。……ちょっとお水を取ってくれるかしら」


 その仕事というのが、ベッドに臥せる数人の女性の看病である。生暖かい空気は多分そのせいだ。


 彼女たちは目に見えて不健康というわけではないが、声には疲れが色濃く表れている。ベッドの上で身体を起こすのも体力がないらしく、両手で支えてやっとのようだ。


「ここは病院みたいだが、程度によっては街に降りた方が良いと思う。技術も薬も、ここより優れてるだろうからな」


「ありがとう、でも大丈夫。ここにはお医者さんもいるのよ」


 近くにあった水入りのボトルを手渡す。口元から数滴の水が零れて、男性がそれをふき取る。


 聞き齧っただけの知識で彼女たちを診てみるけれど、咳もなければ熱に浮かされている様子もない。まるで全力疾走したあとのように体力だけが失われて、一様に水分を欲していた。


「彼らは元気そうだが、病気はうつらないのか?」


「病気、ね。貴方から見たらそうなのかもしれないわね。――彼らも感染しているわ、ただ症状が違うだけ。貴方には――うつるのかしらね?」


 人は時折、意図して意味深な言葉を使う。そしてそれは大抵、説明不足で終わるものだ。


「貴方がこっちに来たのは多分、彼女に会うためでしょう?行ってみると良いわ。彼女なら、あの扉の先にいるから」


 女性はそう言って、旦那様がいると言っていた扉と全く同じ見た目の扉を指差す。


「いや、俺は奥様に会えると聞いただけで――」


「つべこべ言わずに行ってみろ。行けばわかる」


 男性の一人が邪険にそう言い放って、微笑んだままの女性を寝かせる。


 仕方ない、ならば従うとしよう。


 部屋中の人々の視線を浴びながら、扉の前に立つ。ノック、「どうぞ」との言葉を聴き届けてから入室する。言われた通り扉はすぐ閉ざす。


「いらっしゃい。若い子が来るのは久々よ」


 そこは、外よりもずっと濃い花の香りが閉じ込められた場所だった。少し呼吸しただけでも甘い味すら感じられる。そう広くない部屋に、花瓶に入った花がいくつも並べられ、部屋中に光が注ぐよう、天井が硝子張りになっている。


「焦点が合ってないみたいだけれど、私が見えているかしら?」


 心配したような声が、耳を撫でる。視界から入る彼女の情報がフィルムのように焼き付いて、肌に触れる陽気が心地良いものとして記録されていく。心の深くまで突き刺さる。


「そこに落ちている写真、そう、それを取ってくれるかしら」


 この棟は病院のようだったからてっきり同じように臥せっているものだと考えていたが、彼女はまっすぐと椅子に座っていて、しかしその場から動けないようだった。


 手を伸ばして足元にある写真、どうやらここが現在のような花畑になる前らしい写真を棚に置く。


「私はね。初めて会う子には必ずこの話をするようにしているの」


 時間にしておよそ十分ほど。集中力が切れるほどの長さではないし、とても共感できる良い話だったのだけれど、終わったときなぜか俺は話の内容を一切覚えていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ