記憶と忘却の館7
それは両親に連れられて行った場所でした。その日は休日だったにも関わらず学校の制服を着せられて、静かに行儀良くいることを口酸っぱく言われたと記憶しています。
両親は全身を真っ黒い服で包んで、漫画の悪役のようでした。けれど顔は隠していませんでしたから、銀行強盗の準備でないことは簡単にわかりました。
街に出ると、悪役がたくさんいました。どんな優れたヒーローでもこれを全て捌くのは至難の業でしょう。悪役は吸い込まれるように高級なホテルへと足を運びました。多分ボスからの呼び出しがかかったのでしょう。私もその一員でした。
言い訳にはなりますが、悪役なんて話を本当に信じていたのではありません。けれど異様な光景に興奮していたことは認めましょう。そして少しばかり、はしゃいで悪の本拠地を冒険してやるなんて考えたのも認めましょう。――つまりは、迷子になってしまったのです。
「お母さん――?お父さん――?」
適当な大人にそう話しかけてみますが、無視されます。当たり前です。彼女も彼も私の両親ではありませんから。
多分そんな状況でしたから、私は無意識に仲間を探していたんだと思います。これだけ広いホテルなんだから、これだけ多くの人が同じような服装をしているのだから、迷子になるのは私だけじゃないはずです。
そうやって自分を正当化していました。仲間を見つけて安心したかったのです。
そんなときに、一人の男の子を見つけました。同じように独りぼっちで、心細そうに辺りを見回して、すぐ近くの扉に隠れてしまいそうな男の子を。私は迷うことなく話しかけました。
「どうしたの、迷子?」
決して自分が迷子であることは隠して、訪ねました。
「忍び込んだんだ。入れそうだったから」
どうやら、迷子ではないようです。私は尚更、言い出せなくなりました。
近くの階段に座って話を聞いていると、男の子の名前がルドルフであること、今は一人暮らし?をしていることがわかりました。
一人暮らしとはつまり、自立しているということです。私は彼を尊敬しました。かっこいいと思いました。それを伝えると、彼は言い淀みながら答えました。私は行きつけのパン屋さんのおばあちゃんが、会計が合わないと嘆いている理由を知りました。
一人暮らしとはつまり、孤独であるということです。誰にも頼れないのです。私は彼を可哀そうだと思いました。家に招待してあげようと思いました。それを伝えると、彼は言い淀みながら答えました。私は私が迷子になった理由と同じようなものを感じ取りました。
雑談に現を抜かしていると、ルドルフのお腹が鳴って、時間は待ってくれないことを知りました。私は立ち上がって、ルドルフの腕を引きます。ルドルフは驚きながらも反抗することなく、隣に並びました。このとき気付いたのですが、私はルドルフよりもお姉ちゃんなようです。
「近くに良い場所を知ってるんです。一緒に行きませんか?」
ナンパとはこうやるんだと、学校で語っていた男子の顔を思い出しました。
迷子になってホテル内を彷徨っていたおかげで、と言うのは納得がいきませんが、実際そのおかげで、会場のことはそこらのスタッフよりも良く知っていました。立ち入り禁止と書かれた場所にも当然行きました。悪役のボスはいませんでした。
子供の脚には少し負担がかかるくらい――うろ覚えで同じ絵画を三回は見ました――歩いて、良い匂いが漂う場所に辿り着きました。人もたくさんいました。厨房ではありません。皆、菓子と茶を楽しんでいました。
「着きました。お腹が空いているのなら、一緒にたべましょう?」
これらは私が提供しているわけではありませんが、そんなのは些細な問題です。私は可哀そうな男の子のために頼れるお姉ちゃんを演じなければいけません。
「えっと、【ナナシ】ちゃんはどうか知らないけど、俺なんかが食べて良いのかな?」
私は驚きました。高級ホテルに忍び込む胆力の持ち主がそんなことを気に掛けるなんて。
でも言われてみれば、確かにそうです。これらが来客用に用意されているのは確かですが、想定の中に私たちが入っている確証はありません。それに菓子はまだしも、お茶やコーヒーは子供の趣味に合いません。何より、立食スタイルを想定して作られたテーブルは高くて私たちでは届きません。
なるほど確かに。ルドルフは私よりもすこーしだけ視野が広いようでした。
「世界にはこんな名言があります。犯罪とは、人に捌かれて初めて現れるものである」
無条件に認めるのは負けたような気がして、私はそんな言葉を引用しました。もちろんそんな名言なんて知りません。適当に言っただけです。でも言葉はたった数十音の組み合わせでしかないのだから、長い歴史の中で誰かしらは言っているはずです。
ルドルフは納得したように頷きます。彼は人を疑う心をまだ知らないようでした。
それからの数分はとても楽しいものだったことを覚えています。大人たちの目を盗んで菓子を食べました。手が届かない問題は肩車で解決しました。始めは私が下になろうとしたのですが、数回で疲れ果て上下が逆転しました。自立した男の子には敵わないようです。
私が上になってから体力は問題になりませんでしたが、私には技術が足りませんでした。大人たちに見つかってしまうのです。結果身を隠してやり過ごす時間が必要になって、効率はぐんと落ました。最終的に、私の方がずっと長く上にいたのに盗めた菓子はずっと少なく終わりました。
数を折半して食べた菓子は甘くこれまで食べたことがないような美味しさで、良くないことをしているという背徳感も混ざっていたのでしょう。
黒い服は心までも悪役に近付けてしまうようでした。
最終的に、と言うのは途中で諦めたのではありません。警備員らしき人に見つかってしまったのです。その大人はやはりプロフェッショナルなようで、床まで垂れたテーブルクロスの中へ忍び込んでも、カーテンの裏へ入ってみても、容易く発見されてしまうのです。
隠れて、目が合う度に、次の隠れ場所を探しました。捕まってしまうのが恐ろしくて必死だったけれど、同時にとても楽しい時間でした。そのときの私は笑っていたと思います。そのときのルドルフは笑っていました。
隠れている最中にも、捕まるまで、捕まっても菓子を食べるつもりだったのですがそれを中断させられる出来事がありました。偶然忍び込んだテーブルの下には、先客がいたのです。私は驚いて、けれど別のテーブルに移動するには時間が足りなくて、私は先客に話しかけました。
「あなたが何で隠れているのか当ててあげます。大人たちに隠れて菓子を盗み食いしたのでしょう?」
ほとんど間違いないと確信していました。
「残念。不正解だね」
不正解でした。
「彼の身長じゃ、俺たちと一緒でテーブルに届かないと思う」
ごもっともでした。ルドルフは私よりもそこそこ視野が広いようです。
「次はボクが、君たちが隠れてる理由を当ててあげる。大人たちに隠れて菓子を盗み食いしたんだね」
大正解でした。ルドルフはポーカーフェイスが得意でしたが、私はそうではありませんでした。顔に出てすぐにばれて、笑われました。不思議と不快な気持ちにはなりませんでした。
それから私たちはテーブルの下で、お話をしました。彼の名前はリゼッタ、隠れている理由は教えてくれませんでした。
しばらく話していると、辺りが暗くなりました。停電かと思いましたが、誰もざわめきを上げておらず、しばらくしてマイクを通した声が聞こえて、演出であることを理解しました。
チャンスだと思いました。私たちは顔を見合わせて頷きます。心が通っている、そんな気持ちになりました。
テーブルクロスから顔を出すと、誰も私たちに興味を抱かず、全員が壇上を見ていました。壇上では偉い人がお話をしていました。
私たちはもう一度肩車を作って、お皿に手を伸ばします。今回は気にするべき事項が減ったおかげで、簡単に菓子が手に入りました。
菓子はリゼッタとも分けましたから一人当たりの量は増えました。リゼッタも一緒になってやりました。私たちは友達でした。
リゼッタとルドルフが肩車を作っている暇な時間は、偉い人の話にでも耳を傾けていました。
聞き取れた内容によると、最近とても偉い人――偉い人が言うにはこの辺りを治めていた人――が亡くなったようでした。そしてこれは葬式、だから皆真っ黒い服を着ていたのです。私はこれまでの振る舞いを恥じました。止める理由にはなりませんでした。
「皆さんの前に、紹介したい方がいます」
菓子を二個同時に食べていたころ、偉い人はそう言いました。それとほぼ同時に、見知らぬ人が現れて言いました。
「坊ちゃん、出番です」
急なことで驚きました。捕まえに来たわけではなさそうで安堵しました。リゼッタが坊ちゃんと呼ばれて、再度驚きました。
「それじゃ、行ってくるね。お菓子のことは怒られないから。もっと食べたかったらそこの執事に言って。どれだけでも取ってくれるよ」
リゼッタの言うことは全て本当でした。私たちの手にはいっぱいの菓子がありました。どれも手を付けている余裕はありませんでした。
壇上に上がったリゼッタはマイクを持って、小難しい演説をしました。内容は理解できなかったけれど、リゼッタの演説は堂々としていて、終わったときには多くの人が拍手していました。私は呆気に取られて拍手を忘れました。
ルドルフに内容を要約してもらうと、つまりリゼッタは亡くなった人の後釜、現在のトップになったのだと言いました。正直、ルドルフの要約を信用する気にはなれませんでした。それくらい突飛な話でした。
菓子を取ってくれた執事にも要約させて、それが事実であると認めました。私はとんでもない人と友達になったようでした。
◇◆◇
それからというもの、私たちはよく顔を合わせる間柄となりました。
あるときは二人、あるときは三人。あるときは偶然、あるときは約束を交わして。もちろん私の知らないところでも二人は会っていたころでしょう。それくらいの距離感だったのです。それくらいが心地良かったのです。
それが狂ってしまったのは、狂ってしまったと感じたのは、しばらく後のことでした。
きっかけはあったのですが、例えそれがなかったとしても、結果は変わらなかったように思います。ただ必然であるように、ゴールに至るためのチェックポイントであるように、それは起こるのでした。
「おまたせしました。――リゼッタは?」
「今日も遅刻みたい。一応起こしたんだけど、先行ってろって」
一人暮らしするルドルフをかっこいいと私は思ったことがありましたが、その頃のルドルフはリゼッタと共に住んでいました。使用人として、あるいは従僕として、その地位のほどは知らないけれど、働いていました。それでもプライベートにおいては、私たちは友達でした。
そんな状況でしたから、次第に私はどちらかと会う日はどちらとも会う日で、だから何だという話ではありますが、つまり私は寂しさを感じていたのです。私の知らないところで二人は会っているのに、私にはその時間がない。いえ何もおかしくはないのですけれど、不思議な感覚として。
だから私はこんな提案をしました。
「少しだけ、デートしませんか?」
言葉選びを間違えたと思いました。でも、断られる可能性は微塵もありませんでした。太陽がやけに眩しく、暑い日でした。
デートとは言ってもリゼッタと合流するまでの間ですし、その後にも予定がありましたから、近場を歩くだけのものでした。
その日の街は閑散としていました。勤勉な肉屋、勤勉な八百屋、怠惰なカフェなんかは営業していましたが、多くの店は数日前にシャッターを下ろしたままでした。
街を出歩く人の姿も、先週とは違ってめっきりと減っていました。買い物のために外には出ても、寄り道をする人はいませんでした。普段は白い歯の印象しかない学校の男子も、この日ばかりは喪に服していました。
今日は私たちが出会って一周年記念日、つまりはとても偉い人が亡くなった命日カッコ数日後でした。初日はお達しとして店を開くのを禁じられ、数日は暗黙の了解として喪に服し、ちらほらと営業を再開して日常に戻っていくその最中なのです。
そんなの、私たちには関係のない話です。私たちが出会った記念の方が大切です。一周年記念という大切な日が命日カッコ数日後と被るのは嫌でしたが、非日常の風景が楽しくもありました。つまり、私たちには関係のない話です。
デートは一時間足らずで終わってリゼッタの代わりに、くりっとした瞳がかわいい梟が私たちを見つけて、近くに止まりました。ようやくリゼッタの目が覚めたようで、私たちはリゼッタの屋敷に向かいます。少しだけ遠い道を選びました。
私たちは屋敷では有名人でしたから、そこそこ偉い使用人にお辞儀をすると、屋敷には簡単に入れました。顔パスというやつです。
もはや慣れ親しんだ庭のように館を歩き回って、いつもの部屋に辿り着くのですが、そこは所謂修羅場のようでした。
五人掛けくらいのテーブルと、三つだけの椅子。テーブルの上にはケーキや菓子など様々な甘味が乗ってあって、その隣でリゼッタと偉い人が言い合っていました。
「坊ちゃん、これは何のつもりで?」
「おじさん、久しぶり。これからちょっとしたパーティを開くんだ。安心して、迷惑はかけないから」
「なりません。今すぐに片付けなさい。今日が何の日か忘れたのですか」
「おじさん、ボクはおじさんと違って、チートデイなんて名前を付けなくても甘味を食べて大丈夫なんだよ」
リゼッタは偉い人よりも偉い人でしたが、まだ子供なだけあって、政は全て別の人に任せていました。お飾りの王、というやつです。見たところ偉い人が実質的なトップのようでした。
「ふざけないでください。坊ちゃん、今日は偉大なお父様の命日ですよ。とても悲しい日なのです。笑ってはなりません。一人でいなくてはなりません」
「父さんの命日はもう終わったよ、おじさん。父さんの命日カッコ数日前よりボクたちの記念日の方が大事。もし今日が命日だったとしても、ボクはパーティを開くよ」
お飾りの王は都合が良いからそうしているだけとリゼッタは言っていました。実際、その通りだと思いました。
リゼッタは強かったのです。武力的な意味ではなく、言葉的な意味で。偉い人は少しづつ、劣勢になっていきました。リゼッタには王たる資格がありました。
そんなリゼッタですから、私たちが加勢する必要は全くありませんでした。席について矛先が私たちに向くのは嫌だったので、それを隠れて見ていました。リゼッタの心配はしていませんでした。つまり私たちは、暇を持て余していました。
「まだ長そうですね――」
「うん。ちょっと退屈」
「ゲームでもしますか。最近巷では指だけで遊べるゲームがあるんです。知ってました?」
「それは面白そうだけど――ちょっとまって。トイレ行ってくる」
そう言って、ルドルフはこの場を後にしました。付いて行こうかとも考えましたが、少なくとも迷子になる可能性はなかったので、私はここで待っていることにしました。
リゼッタの口喧嘩は、体格差から想像するものではありませんでした。偉い人にはその器がないのだろうと思います。
リゼッタの口喧嘩は、誰も止めに入りませんでした。むしろそれを見た人たちは一様にここを離れて行きます。ありふれた出来事だったのか、関わり合いになりたくなかったのでしょう。ここに残っているのは私たちだけでした。
リゼッタの口喧嘩はヒートアップしていきました。偉い人の言葉はほとんど罵声でした。
その内容は、考えたくもありません。柔らかい表現を選ぶなら、私たちの自尊心を傷つけるものでした。
偉い人は頭のてっぺんから足の先まで茹でタコのようになっていましたが、比べてリゼッタは冷静に見えました。やっぱり器が違んです。それでも私には、リゼッタが怒っていることは丸わかりでした。
人が悲しんでいるときは、少し塩辛い香りがします。人が笑っているときは身体がポカポカします。人が怒っているときは舌がピリピリします。人が暴力を振るうときは寒気がすることを、私は知りました。
それは平手打ちと呼ばれているそうです。私は頬が赤くなる理由を知りませんでした。リゼッタの理解が追い付いていないような顔を見ると、舌が煮え滾るように痛むのです。私は自分喜怒哀楽には何の感覚も伴わないことを知っていました。
リゼッタの手には杖がありました。比較対象がいなかったので真偽のほどを確かめられたことはありませんが、リゼッタが言うには、リゼッタは卓越した魔法使いでした。醜い人はただの人間だそうです。魔法が人間に及ぼし得る影響は、最近学校で習ったばかりでした。
もしも、もしもの話です。リゼッタが悪役を成敗したらどうなるのでしょうか。物語の世界なら賞賛されます。悪役を改心させたのなら賞賛されます。悪役が静かになって声を発さなくなったら、詳しいことはわかりませんでしたが、多分とても怒られます。
リゼッタはすごい人です。醜い人は醜いです。すごい人も偉い人も醜い人もいなくなったら、この街に良くありません。それが正しい考えなのか判断するには、学校で居眠りしすぎました。明日からは寝ないと誓います。
私は水の入った花瓶の重さを知りました。床と服が冷たくなったら花瓶は持ち上がりました。
私は重たいものの運び方を知りました。花瓶の価値は知りませんでした。
私は力の込め方を知りました。頑張って重心を動かすと、花瓶の先端は案外早く回るのでした。
私には体力がありませんでしたが、力は人よりも強いことを知りました。
ストレスが溜まったとき、ものに当たって発散しようとする人の気持ちを理解しました。
重たいものを振り回すと体勢が崩れることを知りました。花瓶は頑丈であることを知りました。
コケると痛いことは知っていました。俯いて目を合わせられない気持ちも知っていました。
濡れた服が気持ち悪いことを知っていました。液体に粘り気があるともっと気持ち悪いことを知りました。濃い鉄の臭いがしました。
黒い服は悪いことを誘発すると知っていました。赤い服は後悔を誘発すると知りました。
魔法はとても便利なようでした。静かになった醜いを隠すのは杖を振るだけでした。
今日も一段と賢くなった私をリゼッタは衣装室へと案内します。そこにはかわいい服、かっこいい服、奇抜な服、色々ありました。
黒い服は怖いです。赤い服は心臓を締め付けられます。白い服は私には似合いません。何なら私が着ても許されるのでしょうか。わかりません。私は赤い服を脱いで、そのまま着ないことにしました。インナー姿になった私は何にも影響されないように思えました。
しばらく悩んで、ハンガーを落としたからでしょうか。それとも醜いが見つかってしまったのでしょうか。何度か会って顔見知り程度になっていた使用人の一人が衣装室の扉を開けました。
変わったことはありません。物音が聞こえたからだと説明して、微笑みます。強いて言えば、インナー姿の私を見て驚いただけでした。
醜いを見つけたら、そしてそれが私の仕業だと知ったら、このままの反応であったでしょうか。いいえ。そんな人はいないのです。
彼は挨拶をして、衣装室を出るために背中を見せます。私はそのとき、無意識に花瓶を探していました。そんな私が怖くなりました。私は着ている服に関係なく、悪役だったようです。
それから私たちは、ゲームをしました。ゲームの内容はババ抜きだったと思います。それが一番馴染みがあって、引き分けがありませんでしたから。
ゲームの勝敗を使ってお願いすることを、賭けるというのだと知りました。
私は言います。
「私は、私じゃなくなるみたいで怖いんです。今にも誰か無関係な人に言ってしまいそうなんです。だから忘れさせてください」
それはとても身勝手な言葉でした。逃げることを選ぶ悪い選択でした。醜い人は私でした。
リゼッタは言います。
「ルドルフには言うべきだよ。ボクと君だけの秘密があって良いはずないんだ」
二人はゲームをしました。一枚増えて二枚減るだけの序盤もハラハラするゲームでした。
勝敗は、醜い人の勝ちでした。醜い人はババ抜きが強いことを知りました。
どちらが勝つべきだったのか、醜い人にはわかりません。けれど素直に喜べないのは、事実としてありました。
リゼッタは魔法を唱えました。予想外にあっさりとした感覚でした。少なくとも醜い人は喜んでいました。
ルドルフが二人を見つけたのはそんなタイミングでした。最悪よりはひとつだけマシな、けれどやっぱり最悪なタイミングでした。
今日このとき、醜い人は忘れてはならないことを忘却しました。
「こんなところで何してるの?それは何の魔法?」
「忘却の魔法だよ」
「忘却?俺も忘れたいことがあるんだ。例えば今朝蜘蛛の巣に引っ掛かったこととか。今――は何を忘れてるの?」
「ボクたちのことだよ。ボクたちのこと、全部」
レストランで聞こえてくる他人の話し声のように、会話の意味は理解できるけれどその背景にある部分まで推し量ることができませんでした。
「――全部、って何?――も何か言ってよ」
「えっと、何のことでしょう?あなたたちは誰なんです?」
男の子は私の回答を聞くと、どこかへ走り去ってしまいました。その後のことは私にはわかりません。
いいえ。その前のことも、私にはわかりませんでした。
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