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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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記憶と忘却の館5


 リゼッタ、元友人。現在の関係を表す言葉はまだ生まれていない。


 偽名を使うだとか、そういった後ろめたさの一切ないリゼッタを、この場にいる全員の視線が固まりとなって殴る。その色は混じりっけのない、切望であった。

 何かの間違いであれば。あるいは、リゼッタを告発した張本人でさえ。反するふたつの感情が存在し、例えば記憶のような混濁を示し、例えば真実のようにひとつに収束する。紙の表と裏の両方を拝む術はない。


 三日間の絆がどれほど強固になり得るのか、それを論じるのは無粋だ。事実として、ルドルフの言葉でそんな視線をぶつけられ、少なくとも初めてのことだった。


「まずは、おかえり。シャンパンを振る計画もあったんだけど、君の趣味じゃないよね」


 リゼッタが発したのは求められていた言葉ではなく、想像していた言葉でもなく、あっけらかんと。


 弁明すべき場面を、しかしその不必要性を認めているのはリゼッタ一人だけだった。観客を置いてけぼりにする。必然的に優位に立つ。


 いつの間にかリゼッタの背後にいたマネキンは水の入ったグラスを手渡す。


「やっぱり君は変わらない」


「――――」


「いいや、変わらないよ。君もボクも。君は一目でボクを見つけてくれるんじゃないかと心配して、安堵もメランコリーもしたんだけど、それは全部記憶が曖昧なせい。変わったからじゃない。あーあ、記憶なんて映画のフィルムになれば良いのに」


 変わり果てたリゼッタは変わらないでそう宣う。


 誰も本題が告発だったなんて覚えていなかった。誰もリゼッタを追い詰める立場であると認識できなかった。誰もが無自覚なカリスマに魅了されていた。それは全部記憶が曖昧なせい。

 

「そうだ、昔話にでも花を咲かせる?君は今みたいに、昔もボクの家に来たよね」


 大勢いたはずの部屋は、ふとリゼッタ一人になっていた。


 他の全員は物語に干渉できない観客、壁にかけられたぬいぐるみ。演者は少年、監督もいない。


 言葉は未熟なもので受け取り手の解釈によって如何様にでも姿を変えるように、少年以外の演者がいない舞台は全て少年の思うがまま振る舞われる。そこに真偽も是非もない。


 少年はぬいぐるみの行動が自主的なものであると信じている。そうでないと面白くないと考えている。だから収集がつかない。


「――――」


「うん、そうだね。君ならボクを断罪すると思った。こんな監禁まがいなことをして、ボクの街に法律があったなら、ボクは刑法一条に監禁罪を設定するだろうね」


 「――――」


「もちろん。ボクは平等なんだ。労働者はお金を手に入れて、ボクは手に入れた記憶でより良い政ができる。平等公平そのものだとは思わない?本当は政なんてボクの趣味じゃないんだけど、君と約束したからね」


 黄色いぬいぐるみは問い詰めるけれど、華奢なぬいぐるみは可愛い以外の感想を観客にもたらさない。


 しばらくして、観客の中から黒いぬいぐるみが壇上に上がる。


 台詞を与えられていないノクターナは言う。「戯言ばかり言ってないで、早く僕たちをここから解放して」と。

 しかし言葉なき訴えがリゼッタに届くはずもなく、身勝手にも登壇を果たしたぬいぐるみを一瞥した後、視線はすぐルドルフに戻る。


「今度は彼女を連れて来たの?君の趣味をどうこう言うつもりはないけど、やっぱり君は変わらないね」


「――」


「貶すだなんて、そんな。ボクはただ安心しただけさ。不変こそこの世で最も美しい事柄なんだから。考えてもみてよ、年老いてしゃがれた人間を誰が好きになるのさ」


 それが少年のカリスマであった。


 辺りを煌々と照らし続けていたライトが点滅する。観客の視界は一瞬奪われて、背景は館の部屋へ戻って来た。スポットライトが全員を映し出す。


「そうだ、君の帰還を祝ってパーティをしよう。皆を集めたのもそのため。確か君は甘いものが好きだったよね。丁度ケーキを買いに行かせたところだったんだ。もうすぐ帰ると思うからさ」


 ほとんど決定事項のように、姿の見えなかった他のマネキンがワゴンを押して現れる。ケーキ、チョコレート、ホイップ、フルーツ。甘味と言われて思い浮かぶ種類の七割ほどがテーブルに所狭しと並べられる。


 リゼッタはこれまでの人生において、拒絶の経験が限りなく少なかった。何を言っても是と答え、それは年齢差に関係なく。

 だからリゼッタは断られないだろうと高を括っていた。ましてや好意で行ったことに対して。


「……俺は、俺たちは、遠慮させてもらう」


 ルドルフはこの日初めて、リゼッタに面と向かっての拒絶を下した。僅かに声が震えているのをリゼッタだけが感じ取っていた。


「そっか――。君に渡したあの紙切れ、あれで何処にでも帰れるから。それじゃまた」


 二度目の返答は、離れ行く靴音だった。


◇◆◇


 か弱い星灯りさえ見えるほど澄み切った夜なのに、狐は一生を誓っていた。


 全身に巣食っていた熱が急激に冷やされて、多分そのせいで鳥肌が立つ。ルドルフたちが館に足を踏み入れたときはもっと暗かったけれど、嫌に長い一日だった。


「夜の山道は危険だから」


 正論と言い訳の混在した理由は、その半分を失っている。いっそ燃えてしまえばと願う紙切れは反して大切に携えて、その軽さと呆気なさに拍子抜けだ。


「その、気を付けて下さい。風邪を引くといけませんから」


「ありがと。君の方こそ、元気でね」


 見送りは一人だけだった。その気遣いに感謝しつつ、ひっそりと去る方が心地良かったと感じる。結局リゼッタは断罪されていない。俺はかき乱しただけに終わった。


 旅人は何かを成し遂げるために在るのではない。柄になく振り返るのを止めて、無事に下山できるかを考えてみる。


 この辺りだったろうかと手を伸ばす。見えない結界に触れる。軽く押してみれば腕は沈み込んで、柔らかい弾力が感じられる。

 初めて水に顔を浸けるような不安感を拭って一歩踏み出すと、全身を包んだ弾力がパッと消えた。


「この結界は魔法使いと呪われた者を閉ざさない」


「最初から僕たちの自由は確保されてたんだね」


 どこからどこまでがリゼッタの思惑通りなのだろう。


 振り返ると少女は未だにこちらを見ていた。目が合うと少女はペコリとお辞儀をして、ルドルフは言葉を返す。


「今更だけど、名前を聞くのを忘れていた。教えてくれるか?」


 さよならには違いない。数か月後思い返すかも定かではない。けれどこれで終わるのは、彼女を普遍的な代名詞で終わらせるのは、勿体なく思えた。


「ごめんなさい、それが覚えていないんです。私も知らぬ間に記憶を売ってしまったのかもしれませんね」


 申し訳なさそうにはにかんだ少女は、ルドルフに小さな影を落とした。


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