呪い
それは大雨が過ぎて数日したある日のこと。
何の脈略もなくコンコンコンと部屋のドアがノックされた。使用人たちの部屋に来客があることはとても珍しくて、俺は身構える。グレイに出て貰おうと思ったのだが生憎彼は先に部屋を出ていた。
人が来るようなことは何一つ身に覚えがないのだが、あれかこれかと考えてしまうものだ。取り敢えず謝ろうか、それともしらばっくれようかと悩んていれば、そんな俺を急かすようにまたドアがノックされた。
「はーい」
取り敢えずは相手の出方を伺おうと笑顔を作って迎える。
「やっ」
予想外というかそうでないというか、ドアの先にはノクターナがいた。ここはお前の来るエリアではないぞと思いつつ、かくれんぼのために男子トイレに侵入する輩だからなと納得する。
「取り敢えず入れてくれない?」
見つかるとまずいんだと笑って、俺が部屋の中に退ければ後ろ手でドアを閉める。
部屋は狭くて、勝手にグレイのベッドに座らせる訳にもいかず、壁を背に座る。床に散らかった物を適当に投げてやれば、応えるようにノクターナも隣へ座った。
「ここが君の部屋だって聞いたの」
聞く前に答えたノクターナは、気に入らないといった具合で散乱した物を一箇所に集めていく。絶対に要らないだろうゴミを二三拾っていれば、部屋には半分ほどスペースが作られていた。
「今日は暇?」
「いや、仕事」
俺が部屋でゆっくりしていたのは既に朝食を終えたから。いわれて気付いたのだが、始業まで残り少なくなっていた。
多少遅れても終わりに間に合えばそれで良いのだが、偶々人が通らないとも限らない。駄弁る暇もなかったことを残念に思いつつ、俺は壁を伝って立ち上がる。
「今日は君に来客が居るの」
一瞬頭がフリーズしたあと、多分、俺は随分と間抜けな顔をしていたように思う。
「来客?」
「うん、だから今日の君は休み」
んな暴論なと思ったが、曰く以前から根回しは済ませていたらしい。そういう大切なことは事前に教えておいて欲しい。
急に休みだと告げられて、喜んてよいのかわからなくなる。合法的にサボれるのは嬉しいことだが、面倒な香りも漂っている。
――断れはしなさそうだ。
「良いとこのお嬢様なんだ」
そういってノクターナは、俺に一つのケースを押し付ける。
そのケースを開ければ、ノクターナはタイミングを合わせてむふんと鼻を鳴らす。
それはお坊ちゃまが着るような、見るからに高価な服だった。デザインも手触りも装飾も、何もかもが分不相応で手の届かない代物。
億劫になる。
顔を顰めた俺を知ってか断っても良いと言うが、それはおそらくノクターナの顔を傷付けることになって、元より選択肢は与えられていないも同義だった。
「わかった」
諦めた俺にノクターナは申し訳なさそうに笑う。
「それじゃ行こっか」
何時なのか聞こうと思えば既に待たせているようで、俺は腕を引かれるがままに連れられる。遥か昔きりの豪奢な服は、懐かしさよりも居心地の悪さばかりを感じさせた。
◇◆◇
ここだよ、と止められたのは定期的に人の往来がある応接間だった。清掃のため以外で入ったことはなく、緊張で身体が強張る。
「礼儀正しくね」
と俺に念を押して、けれど反面無造作にも思える手付きで両開きのドアを押す。
ドアの先で座っていた女は立ち上がり、不気味なくらい綺麗な姿勢で、透き通た声色で名乗る。
「はじめまして。騎士団副団長リナと申します」
「久しぶり。気にせず座ってよ」
騎士団。この国の表立った戦力の一つで、警察とはまた違った役割を持つ軍隊。白を基調とした制服は人々の憧れの的で、それは俺にとっても同じこと。そして副団長といえば確か、魔法の名手だと小耳に挟んだことがある。
「こっちはルドルフ」
早く挨拶しろとノクターナに急かされる。作法なんてわかる訳もなく助け舟も求めれば返ってきたのは面白がるような目付きで、テンションの上がっていた俺はそれに乗ることにした。
右足を軽く引き、右手を身体に添える。左手を横に出して軽くお辞儀をすればボウアンドスクレープという姿勢――この国でも正しいのかは知らないが――が出来上がる。
「お初にお目にかかります、ルドルフと申します。此度はご足労頂きまして恐悦の限りにございます」
二人は少し驚いたような表情をして、俺は小さく口角を上げた。
「それで、俺は何をすれは良いんだ?」
呼ばれたからには何かしら理由があるのだろうと尋ねる。ここに来るまでの短い時間、ノクターナにも聞いたのだが曖昧な言葉しか返ってこなかったのだ。ただ実験とだけ。
「君は座ってれば良いよ、すぐ終わるから」
リナは何やら珍しい玩具でも見るような瞳で俺を見つめながら頷く。
実験体にされて詳細な説明もなしとは良くない気配がしないでもないが、まあ気にしないでおこう。ノクターナが、そしてノクターナと談笑しているリナが危害を加えてくるとは思いたくない。
「僕は他の用事があるから、行くね」
そういって頼みの綱が席を立てば、瞬間不安感に襲われる。だからといって一度承諾したものを撤回する訳にもいかず、策士めと去っていくノクターナの背を睨みつけた。
「確認なのですが、ルドルフさん魔法は使えないですよね?」
「ああ」
「それが信じられないくらいには貴方、魔力を持ってるんです」
魔力を持つ。それは大なり小なり差はあれど魔法を使えるということ。うろ覚えの知識によれば魔力があれば自然と扱えるようになるらしいのだが、そんな記憶は全くない。
それっぽいポーズを取ってみたり、ノクターナの真似をして呪文らしきなにかを唱えてみるが変化なし。恥ずかしい思いをするだけに終わる。
「と、いうことで私が呼ばれました。ひとまず手を出して下さい」
魔法の使い方を教えてくれるのかと興奮したのも束の間、それはすぐに否定される。
「痛かったら我慢して下さい」
差し出した手の人差し指に軽い痛みがあって、ぷくうと血が一滴垂れる。リナに魔法で切られたということだろうか。
「あの――」
痛いんですけど。
抗議の意味を込めて瞬きを何度もしてみれば、しかしそれに気付かずリナは手元でメモを取っていた。
熱心にメモを取る割には傷口に興味ないらしいので俺は血が落ちる前に舐め取る。
「魔法が効き難いと聞いたので攻撃してみました。次は状態異常系です、痛くないので安心してください」
リナが何かをしていることはわかるのだが、生憎攻撃と違い実感は何もなく、暇な時間が続く。
何いってるかわからないし、話しかけても返事してくれないし。
俺が聞き取れたのは「面白い身体してますね」という、褒められているのか貶されているのかわからない言葉だけ。
「ルドルフさんは呪われて魔法を使えなかったり他者からの魔法の恩恵を受け難くなっているみたいです。呪いを解くことができれば元通りなのですが――すみません、私には不可能です」
といわれたのは突然のことだった。
姫様に解いてくれと頼まれたんですけどね……と申し訳なさそうにリナは溢した。
呪いとは、魔法の一種だが特別な手法を用いない限り解けないものを指す。
魔力があると聞いた時には嬉しかったのだが、おそらく魔法のエキスパートだろうリナが解けないというのなら糠喜びだったらしい。
検査してくれたことには感謝しようと頭を下げるのだが、一度期待しただけに落胆の色が顔に出てしまう。
「お詫びといっては何なんですが一つ教えてあげましょう。姫様もかなりの魔法使いですけど、実は魔力を持たないんです。どうやって魔法使ってるんでしょうね」
「ありがとう――?」
そういう特殊な人も居るからもしかしたらとリナは俺を慰める。あまりショックを受けた訳ではないのだがそんなに落ち込んで見えたのか。
俺は今一度感謝を告げ、自然とノクターナの話となったお茶会を楽しんだ。