記憶と忘却の館4
深い闇の中、彷徨う。
壊れて動かなくなった壁掛け時計は十一時を示している。カーテンの隙間から外を見れば既に暗闇が跋扈していて、おそらくそう多くは外れていない。
ひとつ、深呼吸。高鳴る心臓を落ち着かせる。しかし思っていた効果は得られなかった。この状況にか、今後起こるだろう状況を想像してか、俺は興奮しているらしい。再び深呼吸、結果は同じ。
俯いていた視線を上げる。ぶつかりそうなくらいの目前に重工な扉がある。確実に施錠された扉は軽く押したくらいではびくともせず、俺たちの訪問を硬く拒んでいる。
昨日のことがあったからか、部屋の内部から話し声は聞こえない。警戒されているのか、無人ということはないだろう。
ここに戻るつもりは毛頭なかった。そう言うち言い訳がましく聞こえるかもしれないが、事実だ。俺たちも彼らと同じく館に閉じ込められたのだから。
「ちょっと楽しくなってきたかも」
「同じく」
ノクターナが呟く。俺はそれに短く返す。
この感情を楽しいと表現するのは些か不適切で不謹慎だ。同時にそういった感情を孕んでいることも否定できない。
俺たちはいつから嫌なやつになったのだろうか。多分、違う。これは大多数にとって朗報だから。不利益を被るだろう一人を強くイメージしてしまうけれど、本質はそこではない。
コンコンコン。ノックする。返事はない。
コンコンコン。聞こえなかった可能性を考慮して、強めに。返事はない。
まあ、そうだろう。あちら側からすれば用事はないし誰も出たくない。しかし俺たちからすれば用事が出来てしまったのだから、仕方ない。是が非でも応答していただこう。
「開けゴマ」
何やらで聞いた合言葉を唱える。線引きが理解できない応用力を見せたマネキンは、事前に決めた台詞をきっかけに無言で頷いた。
鍵穴にぎこちなく指を添える。瞬きの間に指は鍵の形に変形してすっぽりと填まる。回る。
ガチャリ。求めていた音が鳴ってドアノブが軽くなる。
「――――!」
部屋の中からどよめきが聞こえる。
良かった、不在ではなかったらしい。あまりに静かだから不安になってきた頃だったんだ。
「ごめんくださーい」
「お邪魔しまーす」
嫌味を込めてもう三度ノックする。
鍵を開けた小さな音に反応したのだから聞こえていないはずがないのだが、当然のように返事はない。少々礼を欠く行為ではと考える余裕さえ生まれてくる。
やけに眩しいライト、たったひとつのテーブルに集まる十数人。声が聞こえなかったのは軽快からではなく議論が弾まなかっただけのようで、ペン立てはぎっしりと詰まっていた。
「どうぞおはいりくださイ」
その言葉は図らずとも無断でないことを彼らに知らしめる事となった。
訝しみよりも色濃い視線を受けて、意趣返しのように彼らを見遣る。
俺たちの来訪を唯一知っていた少女、見知らぬおっさん、若い女性、目立ちたがりの男。前回よりも顔ぶれは増えて、一度見えた顔も初見の顔もある。
これで全員ではないかもしれないが、十分だ。始終を見届ける観客と目的の人物はそこに座っているから。
「座席は用意しておきました。少し――心地は悪いかもしれないですけど」
「ありがと」
二人は彼らの中心へ。心にあった僅かな後ろめたさは今回出る幕はなく、疑問以上の感情に晒されながら堂々と歩く。
「あれ、出て行くんじゃなかったの?それとも何か忘れ物?ボクは暇じゃないんだけどな」
目立ちたがりの言葉を皮切りに、感情を伝える手段が目から口へと変化した。
罵声、同調、笑止、エトセトラ。彼らの素性は知らないし興味もないけれど、ここだけを切り取れば悪辣な略奪者にしか見えなかったに違いない。
「皆さん静かにしてください。一先ず用件を聴きましょう?」
こちらの意に沿うように、肩を持っていると思われないように。多くを伝えられず故に立場を捨てられない少女だが、ここでは十分な仕事ぶりを見せてくれる。
例えば一番良いタイミングを探す講談師のように、朝礼前の校長先生のように、人々に静寂が訪れるのを待つ。少女のおかげか彼らの内に渦巻いている不安感のおかげか、そのときは存外早かった。
「まずは謝罪させて。君たちが、ううん。僕たちが館を出られない状況にあるなんて考えもしなかった」
「そこで全員に問いたい。館に閉じ込められているのは本当か?一度でも出ようとしたのか?」
再びざわめき賑やかになって、しかしその言葉には意味があった。
同意を示すだったり、皆だめだったと諦めを言うだったり、つまり何が言いたいのだったり。意見はバラバラだけれどその中に、ルドルフたちがここに居ることへ疑問を呈する声はなかった。
取り敢えず、安堵。少なくともある程度の人数に証人になってもらう必要があるから。
「閉じ込めた張本人が近くにいる可能性は考えたのか?」
ここへ来る前に決めておいた台詞を書写のようになぞる。それは演説に近しく、伝えたいことを伝えるため、うっかり不要なことを言ってしまわないため。
不安が立ち込めていれば人は昨日顔を見ただけの人物でも信じてしまうようで、彼らの疑念は俺たちから移る。
一部は四日間を共にした隣へ、多くは食事を用意してくれたマネキンへ。そもそも信頼なんて端からなかったのかもしれない。
「犯人はこの中にいる」
告発。これは告発だ。
集団の中からたった一人を浮き彫りにする告発。根拠があっても、大義名分があっても気分が良いものではない。
なのに俺は、不自然に興奮していることを自覚していた。それは多分この状況を待ち望んでいたから。探偵小説が好きだとかいう意味ではない。大勢の前で彼を告発できることを、期待していた。
「リゼッタ」
その、彼の名を。
◇◆◇
「カニかごみたい」
穴のない結界を作るのは容易ではない。
無駄だとは思いつつも隙間はないものかと館を歩いていると、ノクターナがそう呟いた。
それはルドルフに向けた言葉ではなかったようで、待てど先の言葉は発せられなかったけれど、察することはできる。
カニかごとは文字通りカニを捕まえるための罠のこと。水中に設置しておくと、入り易く出難い入口が獲物を集めてくれる。ルドルフたちは一晩の宿という餌に釣られてまんまと閉じ込められたという訳だ。
しかしカニかごは何も完璧ではない。標的以外の、殊の外身体が小さかったやつは簡単に出て行ってしまう。つまりは。
「自由に出入りできるやつもいる」
「うん」
その条件がわかれば結界を作った犯人を断定もできそうだ。「あんまり期待しないでね」と言って結界の解析をするノクターナの傍ら、ルドルフは犯人候補を整理する。
一番有力なのは、現在館を管理しているマネキンだろう。館が放棄される前結界の構築を頼まれたとすれば動機も十分。あるいはそうでなくても、それほど詳しくない使い魔のことだから、動機を作ろうと思えばいくらでも考えられる。問題は断罪する方法が見当たらないこと。
二つに、外部の人間。例えば館の主が去る直前に興味本位で結界を構築したのだとしたら、少々お手上げである。何か目的があってのことならいざ知らず、忘れられているのなら、一生マネキンの作ったご飯を食べ続けることになるかもしれない。
三つに、同じく閉じ込められている誰か。正直この可能性はかなり低い。閉じ込められた人数が多すぎるからだ。特定のだれかへの恨みを動機とするのなら、外部から容易に侵入できてしまう結界を作るのは計画として杜撰すぎる。
「ね、ルドルフ。ちょっと」
しばらく。
ノクターナに手招きされたルドルフは一旦思考を中断し従う。おそらくそこにあるのだろう見えない壁をぺたぺたと触りノックし、首を傾げる。
「僕なら出られるかもしれない」
と、そんなことを言った。
◇◆◇
同日、日中、一室にて。「もう少し調べたい」と言ったノクターナと離れて中で休んでいたルドルフの耳に、やや無遠慮なノック音が響いた。
「誰だ?」
警戒を込めてそう言ってみるけれど、ノックをした人物から名乗りも弁明の声も聞こえない。存在を確認できたならそれで充分だとでも言うように。
ただのいたずらか、荷物を盗みに来たか。どちらにせよぬるま湯に浸かった神経が引き締まった出来事であったが、それだけに留まらなかった。
ガチャリ、と施錠したはずの扉から不穏な音がした。
俺は拳銃の所在を確認する。
「お届け物でス」
身体に風穴が空く寸前にマネキンは独特なイントネーションで実質的な自己紹介をして、頭のない面を見せた。なんだマネキンか、と安堵してしまうのは良くない傾向かもしれない。あれが友好的である確証などないのだから。
マネキンの言葉を疑問に思っていると、小脇に抱えていたひとつの書物を渡してきた。
羊皮紙だ。巻物状にされ、装飾を施された赤い紐でくくられた羊皮紙。
記録媒体として高価すぎる羊皮紙は、公的にあるいは秘密裏に効力を持つ。その形式と赤い紐の存在も相まって、書かれている内容によっては考えられない桁のお金が動き抗争のきっかけに成りかねない代物。一般人には末恐ろしい代物。
「なに、これ――」
「お届け物でス」
ルドルフは声が震えて、しかしマネキンは早く受け取れと催促する。
狼狽える自分を隠すのに必死な俺の手にそれが乗せられ、全身を鳥肌が走った。
たった一枚の皮がとても重いように感じる。紐を解くのは憚られて狙いをつけるように片目で覗き込むと、ルドルフ・グリモワールの文字が見えた。
ここでその苗字を目にするとは思わなかった。違いなく、俺に宛てられた書物だ。
「主様からノ、お届け物でス」
「主って――」
「署名為されバ、貴方は主様の正式な盟友と成られまス」
この書物の効力なのだろうか。マネキンは不意に饒舌になって、青いインクと羽ペンをテーブルに置いた。




