記憶と忘却の館3
早朝、一階、エントランス。
彼らと会いたくなかったから、という訳ではないのだが、やけに朝が早かった二人はそこにいた。
夜中からずっとライトが灯されていた館とは違い、外は未だ薄暗い。日の出を迎えたばかりの太陽が鋭い角度で光を放ち、そのほとんどを山肌や木々に遮られながら地表を照らしている。
明るさで言えば、街中ですらまだ外に出るには早いと思うくらい。それが居場所のわからない山中となれば尚更、もう少し時間を潰しておくべきかもしれない。
所々が破けた、しかし叩いてみても埃の出ないソファに腰を下ろす。一見おんぼろでも手入れされているのが不思議なところだ。意図的に破いたようにも見える。
しばらく外を眺めていると、無機質な足音が響いた。振り返ると予想通り、三人組だった頭のないマネキンの内一体がこちらに向かってきていた。あれが使い魔だと知っているから良いけれど、知らない人から見ればかなりのホラーである。
「朝食の準備ができましタ」
「――至れり尽くせりだね」
マネキンは軽く腰を折る。
なるほどこれは、定住するにはぴったりかもしれない。
「でも、ごめんね。僕たちは別に涼んでるわけじゃないんだ」
「なりませン」
「うん?なりませんって、どういうこと?」
「なりませン」
それとなく拒否を示すけれど、マネキンは同じ言葉を繰り返す。
このタイプの使い魔が淘汰されたわけだ。意思疎通に難がありすぎる。
「せっかく作ってもったいないから食べろ、とかその辺りだろうな」
「なりまス」
…………。
確かに朝食が頂けるのはありがたいことだ。持ち前のを多少食べたけれど、あって困るものでもない。
けれどマネキンに付いて行って食堂にでも案内され、昨日の彼らと鉢合わせることになったら気分が良いものではないから、「だったら、持って来てくれる?あんまり量はいらないから」と頼むことにした。
そんな要求は引き受けて引き返すのだから、線引きというものがわからない。あるいはそんなものなくて、マネキンの気分次第なのかも。
「どうする?今の内になら逃げ出せるけど」
「別に、俺たちは盗人じゃないんだ」
「そうだね」
明るくなるまであと少し。
「おはようございます。早いんですね」
入れ替わるように、今度は足音なく気配で振り返ると件の少女がいた。少女は一つ離れたソファへ向かい合う形で座る。
どの面をと責めることもできたのだが、それを真に思うほどルドルフは子供ではなくて、ましてや口に出すほど少女は大人ではない。
「昨日は、すみません。あの場は私がリーダーをしていて、皆の不満を考えれば問い詰めるしかありませんでした」
「リーダー?君くらいの子ばかりじゃなかったと思うけど」
子供も数人いたが、大人と一般的には年寄りと称される年齢の方がほとんどだったはずだ。分不相応だと言いたいのではないけれど、不思議だ。
「はい。売買所で見かける方も、全く知らない表に出られないでしょう方もいます。ですが大事なのは年齢ではないのです。それに私自身の方が信用できます」
そうしているとマネキンが出来立てのクロワッサンと紅茶を運んできて、内一つを少女に渡し、食む。
軽い食感と柔らかい食感が混在している。甘めの生地とバターの香りが充満する。甘さの控えられた紅茶がくどさを洗い流して、掌からパンが消えていく。
文句があるとしたらお皿を少女に渡してしまったものだから、粉がぽろぽろ落ちることだろうか。
「お二人は、これから出られるんですよね」
「うん。もともと長居するつもりじゃなかったからね」
それを言うのなら、この館に来る予定もなかったのだが。
「はい、昨日聞きました。館に来たばかりですとか」
少し違和感のある言葉だ。三日前だと言い、日付を重視しすぎではないだろうか。その真意が読み取れなくてノクターナは首をかしげる。
「だからと言うつもりはないですけど、お見送りをと思いまして」
「――もしかして、何か企んでたりする?」
「少しだけ。でも恐らくは杞憂になります」
本当にわからない。
徹底的に追い出したくてその瞬間を見届けたいのだとしたら、物腰が柔らかだ。企みよりも葛藤が見え隠れしている。
マネキンは昨日のように用事が終わったらすぐ退散すると思っていたのだけえれど、まるで監視するようにそこに立っている。二つの視線に晒されて、それ以上にいくつもの視線があるように錯覚する。
「そろそろ行こうか」
外は少し明るい。下山にどれだけの時間を所要するかわからいし、潮時だろう。
正面玄関。硝子が割れているからそこを通れるのだけれど、一応扉から。
どこからでも侵入できるのに鍵がかかっている、なんて妙なことはなく、扉は簡単に開ける。
「それじゃ、世話になった」
「ばいばい」
その言葉は少女かマネキンか、どちらに向けられた言葉だったのだろう。
ときに。
少女の言葉への違和感、マネキンの不思議、館に訪れた所以など。不明な点ばかり残して足を踏み出して良いのだろうか。数日もすれば気にもならなくなるような事柄だけれど、館を離れたら二度と知ることはない。勿体ないという言葉は正しくないけれど、何かが引っかかる。何かを取り逃してしまう。
そう理由もなく思う。例えば少女が呼び止めるだとか。そして都合の良い大義名分が、誰かの作為によって準備されていることは少なくない。
「ちょっと待って。――何かある」
目前に拳があったとき咄嗟に目を瞑るように、人が転ぶとき頭を守るため受け身を取ろうとするように。無意識に伸ばしていた手がそれにぶつかって押し戻される。
「結界だね。何時からあったんだろ、来たときは全く思わなかったのに」
「残念ながら杞憂にはなりませんでしたか。それが、私たちがここに居る理由の一つです。」
瞳に映らないそれは、しかし確実にルドルフたちを、館に迷い込んだ者たちを閉じ込めるために存在していた。




