忘却と記憶の館2
魔法によって作られたライトが一つ。暖色が真っ暗を最低限照らす。
少しばかり彷徨って、壁に設置されたスイッチを押す。外から一瞥したときには随分と長期間放棄されている印象を受けたのだが、運良く回路が生き残っていたらしく、幾度かの点滅のあと館中に光が灯された。
「ようこそいらっしゃいましタ。どうぞこちらヘ」
「――吃驚した」
三体の頭のないマネキンが腰を折って付いて来るよう促す。
訝しんで数秒睨んでみたのだけれど、マネキンは次の言葉を発するつもりがないようだった。中央の一体は少々ぎこちない直立不動、他二体に至っては腰を折ったまま。そうプログラムされたように。
「君たちに聞きたいんだけど、一晩宿を借りても良い?」
返事はない。
「喋るマネキンってことは、主がいるはずだよね。話がしたいから案内してくれない?」
返事はない。
「――多分、無駄だと思う。意思疎通ができるタイプじゃない」
最近は――とは言ってもずっと昔から――めっきりいなくなってしまったが、昔は使い魔にも二種類存在した。片やルドルフたちが会ってきたような、所謂自意識を有するタイプ。片やこのマネキンのような、造られたときに決められたこと以外を成せないタイプ。
後者はほとんど絶滅したと聞いていた。数少ない生き残りと捉えることもできるけれど、古来からある館には思えないから、現代で誰かが再現に成功したのだろう。
「とりあえず従う他なさそうだ」
あわよくば隙間風の通らない落ち着ける部屋があることを祈って。ノクターナの同意を得て一歩踏み出すとようやく、マネキンは俺たちを先導し始める。
館の内部は随分と妙な様相を呈していた。
装飾の盗まれたシャンデリア、破けたカーペット。雨漏りの受け皿にされた高級そうな壺や無造作に放置された絵画。観葉植物はそうとは思えないくらい育って、住み着いたリスが木の柱に木の実を隠す。
蜘蛛の巣に顔を襲われるのではと警戒したいたのだが、虫含め気分を害する存在は排除されている。大きな両階段の手すりは丁寧に磨かれ、割れたガラスはそのままだが床の破片は片されている。
彼らマネキンの管轄範囲かそうでないかの違いなのだろう。主の戻らない館を、そうとは知らずに清掃し続けているのだ。彼らの目にこの館はどう見えているのだろうか。
「僕たちどこへ向かってるんだろ?敵意はなさそうだけど」
「盛大な歓迎が待ってるかもな。良い意味でも悪い意味でも」
なんて冗談で言ってみたのだけれど、当たらずとも遠からずだった。
館は想像していたよりもずっと広くて、しかし侵入した場所からはそう離れず。内部から光が漏れる部屋の前でマネキンは立ち止まる。
扉を一枚隔てた先ではラジオのようなものが鳴っていた。台詞の聞き取れない話し声と時折途切れる音、ノイズ。盗み聞きに心血を注いでいると、それは機械から発せられた音ではなく、傍聴の邪魔をする魔法を施された生の声であると気付く。
「もしかして、僕たち以外にも人がいる?」
「そうみたいだ。一晩泊まるだけなら会わなくても大丈夫だろうけど、どうする?」
館は広い。
こんな場所にまともな人間がいるとは考え難い。無人なのを良いことに定住したホームレスか、館の備品を盗みに来た貧乏人か、訳もわからず迷い込んだまぬけか。気をおかしくしているのでなければ、少なくとも会話ができる人数はこの先にいる。
「どうぞおはいりくださイ」
マネキンは痺れを切らせたようにそう促した。
ときに。
傍聴を邪魔する魔法が施されてなお、扉の先の声が届く状況で、その声は彼らにどう聞こえるだろうか。折角声を潜めていた二人だったが、空気の読めないマネキンは思慮の必要をなくしてくれた。
瞬間的に静寂が訪れ、コツコツと靴の音。後ろめたいことがなくても警察に追われれば逃げてしまうように、理由なく「まずい」と思ったのは時既に遅くて。
警戒の意を表すようにゆっくりと開かれた扉。先にあったのは予想外の光景で、しかし考えればそう不思議でもない光景だった。
「――ぁ」
「やあ、ボクに何か用?」
「お兄さん?」
フードを深く被って顔の見えない男とその他十数名、カセットテープの売買所へ案内してくれた少女が、一斉に二人を見上げて疑問符を浮かべていた。
彼らは一つのテーブルを囲んで議論をしていたようだ。中身の見えないメモ書きとペン、地図のようなものも開かれている。先の邪推のせいで海賊のようにも見えてしまうが、それは考えすぎというもの。
「えっと、こんばんは――?」
「多分、あやしくないと思います。私たちと同じなのでしょう。保証――はできませんが」
少女の援護のおかげで訝しむ先遣隊の中年は鉾を収めて、しかし目は離さないようにしながら部屋中央の椅子へ座った。
ドア枠を挟んで数秒。すっかり頭の中から抜け落ちていたマネキンに背中を押され、それほど強い力ではなかったけれど、よろめいて枠を越える。
パタン。驚いて振り返ったときにはマネキンの姿はなくて、というか閉ざされた木製の扉に阻まれて、認識を阻害される。
「あの使い魔は気にしないで。キミらのことは客だと思ってるみたいだから」
仕方なく、いつの間にか輪に混ぜられていた椅子に腰を下ろす。丁度ライトの真下にあるテーブルは嫌に眩しかった。
「お兄さん、で大丈夫ですよね。お兄さんはどうしてここに?今までどこにいたんです?」
「どうしてと聞かれても難しいが、強いて言うなら迷い込んだ」
その質問は些か妙ちきだと思いつつ、疑問符が取れないのは彼らも同じようだ。むしろその色が濃くなったようにさえ感じられる。
「お兄さんやい、それは――」
「えっと、それは私たちも同じです。訊いているのはそういう話ではなく、どこに隠れていたのか、です。私たちは一度、他にも人がいないかこの館を散策しているんです。それも三日も前に」
「三日前?」
「はい。私たちが迷い込んだ当日でした」
三日前といえば、俺たちは何をしていただろうか。鮮明には思い出せない。
特別な日ではなかったはずだ。特筆すべき点のない日常。それだけにルドルフは悩み黙る。それを言って聴かせる必要があるのかを。向けられた不信感への回答のつもりだった。
「忘れましたか?」
しかし彼らの受け取り方は違っていた。
訝しみは、敵意とまではいかなくとも不快度を増して、数々の視線に好意的でないものが混ざる。歓迎されていないのは明らかだった。
だか三日も前だ。今朝散策したと言うのなら露知らず、三日前にいなかったからはい貴方たちは怪しいです、とは傲慢ではなかろうか。
それに三日もあれば、どれだけ遅々とした歩みだったとしても麓まで辿り着けるはず。なぜ古ぼけた館で燻っているのか。
「……一晩の宿にしようと思っただけだ。邪魔だと言うのなら、言われずとも、明日の朝には出て行く」
そう言ってルドルフは椅子を立つ。この場から早急に抜け出すために。
疑問はある、問い詰めるつもりはない。気にならないし答えてくれるかどうか。答えを得られたとて、だから何なのか。
ノクターナならあるいはと単純な興味が湧いたのだが、手を小さく振って「じゃね」と言うだけだった。
ルドルフたちが踵を返そうとも当然引き留める者はおらず、呼吸音だけが聞こえる居心地の悪い静寂に見送られる。
パタン。扉を一枚隔ててもそれは変わることなく、少しの肌寒さを感じた。
「マネキンたちは――いないみたいだね」
「使えそうな部屋くらい訊いておけば良かったな」
あわよくばマネキンに案内させようと企んでいたのだが、自分の脚で探すしかないらしい。せめてこの場所からは離れた場所が良い。翌朝になれば所持品が減っていそうだ。
下山は――どうしようか。生憎彼らが持っていた地図もこの館の見取り図でしかなかった。
「ルドルフ――、そろそろ眠気が限界」
ノクターナは盛大な欠伸をして流れた涙を拭う。釣られて、ルドルフの口からも空気の塊が吐き出される。
まあ、明日のことは明日の俺に任せるとしよう。
草木が揺れる。梟が鳴く。リスの寝息。しばらくの散策はそれらに包まれて、階段を上がった先正反対の場所で二人は瞼を下す。




