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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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逃避行のその先へ


 パラレルの工房に窓はなく、唯一光を取り入れていた扉の小窓さえもカーテンで閉め切られてしまえば、誰であれ部屋の全容を認識することは叶わなかった。


 ルドルフたちは手指から伝わる感覚だけを頼りに灯りのスイッチを探す。


 工房はお世辞にも綺麗だとは言えない状況だった。何やらわからない物を踏み付けて、躓きかけて。積み重なっていた本が崩れてようやく誰かがスイッチを見つけ出したようだ。


 カチッと言う音と同時に目が眩むのを警戒して目を瞑ったのだが、存外点灯したのは机に取り付けられた小さなライトだけだった。


 弱弱しく照らされた工房はその狭さに反して、ほとんどが物で溢れ返っていた。天井まで届きそうな書籍の山、ごみ箱に収まっていないくしゃくしゃのページと総菜の入れ物。

 隠し通路と言うだけあって、それらしいものは見当たらない。


「ルドルフ、これ見て」


 ノクターナのそんな呼びかけに、呼ばれていない二人も含め机の前に集まる。


 机の上は最低限のスペースを残してあとは部屋と近い状態にあった。


 時間のずれた時計や開かれたままの本。文字で埋め尽くされたノートに、筆箱と片されていないペン。比較的綺麗なスペースにまで侵食した飲みかけのコーヒーと小さな石ころ。


 ノクターナが明らかに場違いな石ころを持ち上げると、ジジジっと機械音が辺りに響いた。物音に注意を払っていた一行は警戒心を見せて、外に漏れていないことを悟ると緊張解く。


「ちょっと、驚いたじゃない」


「わ、わたしは違うからね。この通り何も触ってないし――」


「シャーロットのことを疑ったりなんてしないわ」


「スペシア――」


「……そんな目で見られても、俺たちだって何もしてないからな」


「待って。確かこの石ころから聞こえたの」


 ただの石ころが独りでに音を奏でるわけがないのだが、工房の不可思議な雰囲気もあって、ルドルフたちは集まってそっと耳を澄ました。


 ジ、ジジ、ジ――。


「本当だな――」


 石ころは断続的に、リズムを変えながら音を奏でる。


 自然物でないのは確かだ。だったらパラレルの造物?何のために?


 見た目はどこにでもある小石だ。道端に転がっていれば子供たちに蹴って遊ばれるくらいの。しかし頻度はそう多くなさそうだ。大きさの割に角ばっていて上手く転がらず、むしろ安定して自立しそうだ。

 石ころに目を近付けてみれば、極小さな穴がいくつか空いていることがわかる。影になっているせいか穴の内部には黒い粒が詰まっているようで、それと目が合ったような気がした。


「まるでカメラみたいだ」


 その言葉がトリガーにでもなっていたのだろうか。


 眩いフラッシュが焚かれ、石ころが真っ二つに割れる。ノクターナの手から下半分が零れ落ちて、石ころの内部から小さな鍵が落ちる。鍵は意思を持っているかのように机の上を転がり、引き出しのノブに引っ掛かった。


「ちょっと、今度は何よ」


「……これも使い魔の一種なのか?」


 不可思議な技術だ。


 ノブに引っ掛かった鍵はやはりその鍵穴にピッタリだった。


 勝手に人の引き出しを、その上施錠されていたものを盗み見るのは忍びないが、今はそうも言ってられない。急いで隠し通路の手がかりを見つけないとパラレルの努力が無駄になってしまう。


 大層な仕掛けの割にあっけなく開いた引き出しには、一つの手記が隠されていた。


◇◆◇


 〇月〇日


 意図的に身体の一部を改造された使い魔を見た。生物を使い魔にする方法、無機物に無機物を混ぜて造る方法は試したことがあるが、あれはその次元を超えている。願わくば造ってみたいものだ。


 雄のひよこを一匹、知り合いに頼んで譲って貰った。鳥なのに飛べないのは可哀そうだから、背中にプロペラでも付けてやることにした。ひよこくらいの体重なら小さなプロペラでも事足るだろう。


 結果は失敗した。当然だ。これまでの使い魔の魔法と比べて一段と難しかあったが、問題はそこではない。あれくらい何度か練習すれば誰でもできるようになる。問題は技術的な面ではなく精神的な面だ。本来使い魔を造るのに時間はかからない。無機物同士の融合は時間こそかかれど、彼らは喋らない。耳から離れないのだ。めりめりとプロペラと融合していくひよこの悲痛そうな叫び声が。あんなのを造れるのは、少なくとも人間としての感性を持っていない。


 迷子の子供を見かけた。杖も持たず一人きりで彷徨っているようだった。今にも泣きそうなその顔を見ると、彼の背中からプロペラが生えるような幻覚を覚えた。そっと距離を取った。


 今日もまた彼を見た。これで何日連続だろう。とんだ偶然だ。いつも違う場所にいるが、もしかすると無意識の内に探していたのかもしれない。泣くのにも疲れてしまったのか涙の跡すら残っていなくて、彼の背中にプロペラはなかった。使い魔を総動員して彼の親を探したのだが、結果は惨敗。彼に尋ねてみても何も覚えていないらしかった。当分の間彼を匿うことにした。


 配偶者もいなければ弟子も取っていない。どうせ拾ったのなら後継者として育ててみようかと思ったのだが、彼は魔法使いではないようだった。尚更どうして一人で彷徨っていたのかわからない。彼は手癖のように杖を振っては、変化のなさに首を傾げていた。おそらくは身近に魔法使いがいたのだろうが、魔法使いの子供が魔法使いとは限らない。


 魔法には一旦諦めがついたようで、今度は料理本に興味を示した。後継者にはなれなくても、家政夫として育ててみるのも悪くないかもしれない。掃除料理洗濯など家事全般を教えてみた。比較対象はいないが要領良いのではと思う。


 使い魔からキッチンを奪ってクッキーを焼いてみた。焦がしたり上手く固まらなかったりと散々だったが、彼は気にせず頬張ってくれた。最近は泣くいている子供を見てもプロペラは見えなくなった。


 彼が失踪した。


 使い魔の一体が証言した。工房の隠し通路から抜け出したところを見たと。それはこの事務所を買ったときからあったものだが、早く潰しておくべきだったと後悔した。あの先は危険だ。こっちとは治めているギャングが違う。勝手がわからない。


 使い魔に先を探させた。空を飛べるものから優先的に送り込んだけれど、それらは毎時間のように落とされていった。事務所にある使い魔がみるみる減っていく。最近は造るのをサボっていたせいで数が心もとなくなってきた。寝る間も惜しんで造っては送り出しを繰り返す。始めの数日間はペースを保っていられたがあるときから消される使い魔が増えた。考えたくはないがそろそろ終わりが近付いているのかもしれない。


 今朝使い魔に泣き付かれた。意識を吹き込んでいないのも含めれば百体近くいた使い魔はたったの二体しか残っていなかった。もう止めて欲しいと、これまで肯定しかしてこなかった使い魔に言われた。仕事をすっぽかしてこんな時間まで悩んで、今日捜索は打ち切ることにした。


◇◆◇


「懐中電灯を探そう」


 確かパラレルは言っていた。それが案内をしてくれると。


 まだ続きのある手記を閉じて引き出しへ戻す。施錠も忘れずに。

 石ころは割れてしまってこの鍵を元の形に戻すことはできない。すべきでもない。そう言う風に造ったのだろうと、何故か確信めいて思う。


「わ、わたしまだ読んでないのに……」


「諦めなさいシャーロット。あんまり良いものでもないから。それにあなたは私だけを見てれば良いの」


「スペシア――」


 床に落ちた石ころの半分を拾い上げる。内部を覗くと小さな鍵がぴったり収まる隙間があって、期待外れにそれ以外の仕掛けはないようだった。片割れを持つノクターナも見るに同じ状況。


 振り出しだ。一通り普通に探すのにも一苦労する工房の中、見えないタイムリミットは確かに存在している。


「ね、ルドルフ。何か覚えてない?」


「さあな」


 馴染みのある看板を除き、パラレル探偵事務所は大幅な改築が為されている。覚えていたとて役に立たないだろう。少なくとも懐中電灯の案内なんてなかった。


「パラレルさんって馬鹿だったりするのかな」


「は?」


「貶してるわけじゃないよ。ただの疑問。隠し通路の場所を業者さんに教えるかなって。あの城にも隠し通路はいくつもあったけど、僕だって全部は知らないから」


「…………」


「ね、ルドルフ。何か覚えてない?」


 もしかすると、懐中電灯なんてものは端からなかったのかもしれない。

 隠し通路について教える物なんて、忘れてしまう可能性を考慮しなければ、本来パラレルには必要ないものだ。あったとして精々暗い足元を照らしてくれるだけ。

 あるいは口から出任せ。工房内を探させて石ころや手記を見つけさせるための口実。――これは都合が良すぎるか。矛盾する部分も出てくる。


 そうでないとしたら、工房内に置いていない可能性。真っ暗な隠し通路にあって、例えば隠し通路の先からやって来る誰かが無事ここにたどり着けるように。


「ルドルフはどうやって一度、ここを家出したの?」


 考えたくないと思っていた。己の愚かさに気づくから。

 考えなくて良いと思っていた。もう一度、きちんと話す最後の機会になるだろうから。


「ノクターナ、杖を貸してくれ」


「良いけど――?」


 ノクターナに物珍しそうに眺められるが、残念ながら魔法は使えないし使えるようになるような仕掛けもない。


 結局は自分の記憶を頼るしかないのだ。


 ピラミッドの下部を漁ることはできないだろう書籍やガラクタ、実験の残骸などの塊を、崩してしまわないよう慎重に動かす。凹んでしまった絨毯を捲る。はずれ、はずれ、あたり。フローリングに金枠で囲われた部分があるはずだ。

 本棚、本の高低差によって生まれた隙間に杖を差し込む。はずれ、はずれ、はずれ。ノクターナがぽかんとしながら真似事をする。数えるのも嫌になるほどのはずれを経験して、ようやくボタンの感触があった。

 押し込むと足元で音がなる。これでハッチの開錠は済んだはずだ。


 いやはや、昔の俺はどうやってこんなのを発見したのやら。


◇◆◇


 パタリ。


 実験に集中できるよう防音機能を備えた工房の扉が閉まって、応接間は普段通りの寂しさに包まれる。半分以上残ったままのコップを一瞥、パラレルは嘆息を一つ。


「工事の予約をしておいて下さい」


 こんなことなら今日を定休日にしておけば良かったと思うのは、この探偵と言う仕事に向いていないのかもしれない。


 服のしわを伸ばす。杖を一本机の上に置く。散らかったクッキーは勿体ないながらもゴミ箱へ。ソファのクッションを定位置に戻してあげれば、一部を除いて元通りだ。あ、カーテン閉めないと。


「只今、オ取込ミ中」


「いいよ、通してあげて」


「只今、オ退屈中」


 賑やかだった彼らと入れ替わる形で入ってきたのは、紳士服とハット姿の男だ。高い身長と底の見えない表情、初老のようにも老いて見えるだけのようにも感じられる。


「はじめまして、ミスター。パラレル探偵事務所にようこそ。どうぞこちらへ」


「こちらこそ、パラレル殿。私はエドワードと申す者です。以後お見知りおきを」


 上流階級向けの挨拶を済ませ名刺を交換する。


 エドワード、四十八歳。中小企業の社長で、工場を営んでいる。住所は近くの高級住宅街、社名に聞き覚えあり。

 なるほど、偽名か。


「お連れ様は今どちらに?随分と大勢でいらっしゃったようですが、外は寒いでしょうし、案内させましょうか?お話を聞かれたくないようでしたら、席は廊下にもございますよ」


「ああ、お気遣いどうも。遠慮しておきます。少し礼儀作法に疎くて、不快にさせてしまうかもしれませんので」


「それは残念です。本来必要ないものを求められるなんて、大変なお仕事をされているんですね」


 顔色が一切変わらず推測しかできないが、エドワードが連れて来たのは用心棒だ。そして駆け引きの邪魔になるから外に置いてきたのだろう。面倒だ。


 パラレルは駆け引きが、もとい会話が得意ではなかった。普段ならお茶を濁す方法も取れるのだが、今回はそう言うわけにもいかない。だからせめて、後手には回らないように。


「随分と風通しが良いようですが、石でも投げられましたか」


「いいえ。うちの使い魔がヘマをしまして。お寒いようでしたらホットコーヒーなんていかがです?ミルク、砂糖、もちろんブラックでも、何でも作らせますよ」


「ヘマシタオ詫ビ、何出モ作ル」


「結構。あまり長居するのも悪いですから」


 追手のことはスペシアから聞いていた。


 詳細は伏せられたが、依頼内容はスペシアとシャーロットの二人を追手の手の届かない場所まで逃がすこと。勘違いでなければエドワードが件の追手だ。

 アクシデントにより予定が大幅に前倒しになったおかげで、前払いの報酬は多く貰いすぎている。


「この名探偵パラレルにどんなご用件で?と言いたいところですが、生憎予約がいっぱいいっぱいでして。来月にでもまたお越し頂けますか?」


「一人探している方がいるんですよ、パラレル殿」


「一人――?」


「ええ、一人です。それとも何かご存じで?」


 そう言って、エドワードは机に現金を置く。こちらを優先しろと言いたそうな、あるいは明け渡せと言う賄賂として。


「……いえ、少し。一人にしては多かったですから」


 失態は誤魔化せただろうか。いや、もう必要ないのかもしれない。


 エドワードのポーカーフェイスが緩む。元々探らずとも証拠を探すだけの会話で、彼は金に諦めたのだ。取引は終盤、終わりに差し掛かっている。


「探偵職はあまり儲からないと聞きます」


「――?それほどでもありませんよ」


「パラレル殿一人では、彼らに敵わないとわかっているはずです」


「脅しとは感心しませんね」


「いいえ、単純な疑問です。いくら貰ったのかは知るりませんが、パラレル殿は両方懐に収めれば良いだけです。何か、お金以外の何かでもあるのでしょうね」


 どうだろう。その答えをパラレルは持ち合わせていない。


 しばらくして、背にしていた工房の扉が開いた。彼らはもうその中にいない。ぐちゃぐちゃにされた部屋と、真っ二つになった石ころが転がっているだけ。


「――――」


 工房に隠れていた使い魔が、パラレルにそっと耳打ちをする。


「わかりました、その依頼を受けます。この世界をくまなく探してみせましょう。使い魔の、このパラレルの、そして名も知らぬミスターの目が届く範囲なら、ね」


◇◆◇


 狭いはしごを降りた先は、一歩踏み出すのすら躊躇するくらいの真っ暗闇だった。灯りはおろか通路がどの方向に延びているのかも分からず、伝わるのは掌に広がるひんやりとした感覚だけ。


「ノクターナ」


「うん、任せて」


 念のため瞼を閉じて、すると暖かな色の光が作られる。


 一見するとここは坑道のようだ。四方は岩石で囲まれ、坑木が等間隔で建てられている。外と比べれば随分と過ごし易い温度だが、足元や側壁は地下水によって湿りじめじめしている。


「わああ綺麗――。ねえ、これ貰っても良い?」


 ルドルフたちの頭上にある光を見上げながら、シャーロットは言う。


「いいよ。捕まえられたらね」


「いい?スペシア。挟み撃ちよ」


 スペシアは乗り気でないようだが、そんな希望は当然のように無視され追い掛けっこが始まる。


 ノクターナの杖の動きに合わせて自由自在に動き回る光とそれに飛び掛かる二匹の猫。作戦が機能にていたのは最初だけで片方が疲れて毛繕いをすると、光は余裕綽々と浮き沈みするルアーのよう。


 ルアーの目的はその先にある釣り針へ魚を引っ掛けることだ。


「捕まえた!」


「――ごめんね、実はこの光には触れられないんだ」


 光は小さな手をすり抜けて、再び頭上で居座った。


「これが好きなら蛍でも見に行くと良い。捕まえるのはおすすめしないけど」


「ちょっと、変なこと教えないで。魔法と蛍は全くの別物でしょ」


「ねえ、聞いた?スペシア、ここを離れたら蛍を探しましょう?何処で見られるかはわからないけど、二人で見たらすっごく綺麗だと思うの」


「二人で蛍を――名案ね!」


 ここを離れたら。


 時間的感覚を失わせるこの場所で、俺たちはどれくらい歩いたのだろう。あとどれくらい歩くのだろう。この先は何処へ繋がっているのだろう。

 過去の自分に問い掛けてみても、月日が邪魔をして答えてはくれない。


 ここを離れたら。


 今回は寄り道をしたけれど、目的が終われば俺たちはすぐにでも南下するだろう。事の是非に関わらず、失くした城を取り戻すために。

 過去の自分はどうしてカオスシティを離れ城へ向かったのだろう。今の自分は過去の自分から何か変われたのか。


「そう言えば、二人は何で逃げようと思ったんだ?」


 ふと気づくとそんな質問をしていた。


「うーん、別に隠す必要もないしいっか。いいよね?」


「お好きになさい」


「どこから話そっか――。私たちの上には国じゃなくて、代わりに別の組織があるのは知ってる?」


 カオスシティは、細々としたものも含めれば百以上のエリアに別けられる。それらエリアを統治するのは金のある一家だったり人望のある個人だったり、一番多いのはギャングが治めているパターンだ。


 各エリアによって、エリア毎の線引きやエリアの数、カオスシティの広さまで異なっている。


 言うなればカオスシティとは、北方に点在するギャングたちの総称でしかない。


「ここのエリアを担当しているのが私のお父さん。スペシアは――」


「そのメイドと言うか使用人よ。ま、もう辞めたから関係ないけどね」


「――僕たちと似てるね」


 そっと囁くように言う。


 ルドルフとしてはそれを安易に是としたくない。客観的に見ればその通りなのかもしれないが、ルドルフは目を瞑ってそれを回答とした。


「似てるって何が?――あ、もしかして二人も逃避行の途中?」


「あれ、聞こえてたんだ」


「もっちろん。こう見えて耳には自信あるんだよね。それで、何が似てるの?」


「ううん。ただ、僕たちも同じような関係性だったってだけ。始まり方は違ってもね」


 黙って、シャーロットは話の続きを催促するが、ノクターナはそれに気づかないふりをした。


 語りたくないのか思い出したくないのか。無理な話だとはわかっているが、あの出来事が重く圧し掛かっていなければ嬉しい。旅の中で少しでも軽くなっているのなら嬉しい。


「――私はね、小さい頃から幸せな結婚なんかできないって知ってたから、まあいっかって諦められた。でもね、我儘なスペシアがそれじゃ嫌だって駄々をこねたの」


「ちょ、ちょっとシャーロット――」


「だから私たちは今二人でここにいる。あなたは?あなたはどうしてここにいるの?」


「――僕には諦める以外の選択肢が残ってなかった。遅すぎたんだろうね。今でもどうにかなる保障はないけど、その頃は死んじゃってもそれで良いって思ってた。そんなときに、何故かとなりにいた友達が言ったんだ」


「絶対何とかする。って嘘を」


「一番恰好良いところを取られちゃった」


「元は俺の台詞だからな」


 長く遠い距離を経て、あの行動が正解だったと証明されたんだ。次はルドルフが嘘を嘘でなくす番。


「あなたにとって彼は、とっても大切な人なんだね」


「さあ、それはどうだろ?」


 ノクターナは意地悪だから、今後も答えを出すつもりはない。


 魔法の光が人知れず揺らめく。光度を落として寒色に寄る。誰も頭上なんて見ていない。


 歩くのを無意識に任せていると、終点には存外早く到着してしまうものだ。


 僅かに湾曲して見通せなかった先に、眩しい自然の光があった。馬車が二大を引きずる音があった。


「つっかれたー。スペシア、着いたらすぐにでもカフェで休憩しましょ」


「ええ。もう足が棒になる寸前。よく持ち堪えた、って褒めてあげたいくらいよ」


 考えないようにしていたけれど、一度実感してしまえば再び意識から追い出すのは難しい。精神的なものもあって疲れが一気に押し寄せてくる。


 ノクターナは魔法の光を片づけて、小さく息を吐いた。


「ルドルフ」


 自分たちはどこで休もうか考えていると小声で呼び止められた。


 ノクターナは目配せで何かを伝えようとする。ああ、なるほど。


「そうだな」


 立ち止まって頷く。


「――二人は先に行っておいてくれ」


「えー、一緒に行かないの?コーヒーくらい奢るよ?」


「魅力的な提案だけど、ルドルフがもう一歩も動けないって」


「じゃあ私も一緒に待つ。ね、スペシア。良いでしょ?」


「先に行こう、シャーロット」


「なんで――」


「あのね。人には二人っきりになりたいときがあるの。……感謝しなさいよ」


「そっか――。またね、ノクターナ、ルドルフ」


「じゃあな」


「ばいばい」


 二人の背中が白んで見えなくなるまで手を振って、ルドルフたちは壁に背を預けた。


 眠くなるくらい静かに、岸壁は体温を奪っていく。振り返った先にある闇が名残惜しく思う。


 微かに聞こえる足音と人の声の中から二人のものを探す。これも違うあれも違うと、見つけられるはずもないのに。


 手袋を外せば感じられるくらいの風が吹いて外気を運ぶ。冷たさに焼き立てのパンの香りが混じっている。


 ルドルフが光の側に立っているせいでノクターナの顔が陰る。凹凸が遮られてその表情を確認することができない。


 しばらくすると足の疲れを忘れる。こんな日はいつも以上にふかふかのベッドに出会えることを願う。


「そう言えば杖、借りたままだったな」


 沈黙を壊したくなくて頭の中に収めていた言葉が、何かの拍子に零れ落ちる。


「それあげるよ。僕からのプレゼント」


「ありがと」


 その杖はリリーに杖を貰ってからも愛用していた、城にいた頃から使っていたものだ。きっと大切なもの。


 それを貰うのは忍びない。ルドルフには使うこともできない。ノクターナだって百も承知のはずだ。だからルドルフはそんな野暮な質問には蓋をして、腰のホルスターに差した。


 そんなやり取りをきっかけに、俺たちは自然と光を仰いだ。まだ明るい外は浅慮な二人に罰を与えて、人々の活気が腹の虫を呼び覚ます。


「あっ、こんなところに」


「ん?」


「ほら、懐中電灯」


 明るみと暗がりの境目。それは一つ孤独に、今も誰かを待って佇んでいた。


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