パラレル探偵事務所2
あれやこれやと考えている内に、部屋の中の話し合いには一段落ついたようだった。
「その、悪かったわね」
「何のことかわからないな」
少しだけ開けた扉から顔を出して、恐る恐ると言った様子でそう言う。
少なくとも誰かに謝られる案件ではないはずだ。
話はそれだけか、などと急かそうとすると、それを邪魔するようにノクターナが一歩前に出た。
「密談はもう終わったの?」
「密談って、プライバシーよプライバシー。もう入って良けど手短に終わらせてよね」
そう言うことならご所望通りに。
机を挟んだ位置に向かい合う形でソファが二つあるのだが、女性はその端に座って俺たちに目配せをした。己の話をするときは追い出されたが、今回そうするつもりはないらしい。まあ、聞かれてまずい話でもないから良いけど。
様々な思いは一旦拭って、導かれるがままソファに腰掛けると、部屋中に充満した香りが鼻腔を蕩かす。
「クッキー?」
「ええ、今丁度焼けたんです。良ければいかが?甘いコーヒーもありますから」
「私は遠慮しとくわ。三人で食べなさい」
そう言うとパラレルは、返事を聞く前に準備を始めた。大きめの平皿に切り抜かれたクッキーが盛り付けられる。オーブンの中に切れ端が残っているのが見えて、中でも形が綺麗じゃないのを一つ口へ。
味わっていると、ミルクの多く入ったコーヒーが三つ並べられる。昔はコーヒーってだけで大人びた気がしてよく飲んでたっけ。
「綺麗なクッキーだね」
「昔練習したんですよ。最初からできる人もいますけど、そんなに器用な人間じゃありませんので」
「何で甘いコーヒーなの?愛好家とか?」
「――いいえ、ブラックしか好みです。ですがまあ、何と言いましょう。ブラックが飲めない方はいらしても、甘いのが無理な方はよっぽど少ないでしょう?」
ふーん、とノクターナは訝しむような煮え切らないような返事をした。
「それよりも、ですよ。本日はこの名探偵パラレルにどんなご用向きで?」
「ああ、俺たちは――」
ところで。
カオスシティ特有の風習として、使い魔と呼ばれる存在がある。
例えば女性の姿をした人形や二足歩行のウサギ、あるいは単眼の梟など。魔法使いたちによって創られたそれらは、知能では人に劣り身体能力では元となった生物に劣るが、創造主の忠実な僕となる。
魔法使いにしか許されない猫の手以上の使い魔、それはつまり魔法使いの優位性と言い換えて良い。
人々と比べて秀でた魔法使いたち、しかし彼らを雇う公的機関が存在しない。であらばどうしたか、各々独自に仕事を始めたのだ。そしてそれらは本来国家が行うべき仕事の代替だ。
例えば公共交通機関代わりの馬車やライフラインの宅急便。警察代わりの探偵など。
魔法使い一人が担える仕事量の多いカオスシティと、飽和状態に近い探偵。余程優秀でもない限り、裕福な暮らしは望めない。だから。
「あああああ――っ!」
どんな迷惑客でも、重力の向きが変わったように落ちて来た女性が窓を蹴破って壁に着地したとしても、パラレルには嬉しいことのようだった。
硝子が弾ける音と強い衝突音が同時に聞こえて、ほぼ無意識にノクターナを押し倒す。パラレルはまだ熱いコーヒーが零れる前に退避させる。
突然のことに反応できたのはそれくらいで、使い魔や金髪の女性はショートしたように固まっていた。
「大丈夫だった?」
「待って、まだ動かないで」
少し喋れば吐息がかかるような距離で、ノクターナはそんなことを言う。
城で見たときと比べてしまえば長く荒れてしまった髪と少し大人びた表情、合わない瞳は変わらず輝いている。そんなノクターナがすぐ近くにいる。
「背中に硝子刺さるかも。杖なしでの魔法は難しいの」
ふと視界の端に、硝子の欠片が氷に包まれ空中で静止にているのが映った。
「ちょっと待って下さいよ、今クッキー諦めますから」
パラレルによって同じように空中に静止させられていたクッキーが床に落ち、硝子が一か所に纏められていく。
数秒の長い待ち時間があって俺たちから怪我の心配がなくなった。
「もしかして邪魔だった?」
「ううん、嬉しかった」
隙間風と呼には通りすぎる風を浴びて、惨事の原因を探す。パラレルは散らかったクッキーを見てしょんぼりと、使い魔は未だ唖然。甘いホットコーヒーの湯気が凹んだ壁に流れて、窓から落下してきた女性のことを思い出す。
怪我の一つでもしているのかと思ったが彼女はけろっとしていて、あるいは気まずそうに、重力は正常に働いていた。
「えっと、てへぺろ?」
あるいは悪びれもせず、彼女は上等そうな服の埃を払う。
「シャーロット!?どうしてここに?助っ人を連れて行くから待っていてって言ったじゃない」
「ごめんスペシア。でも、貴女の帰りを待つだけなんて耐えられなくて」
「シャーロット――」
ああ、なるほど。
突然作り出された二人だけの世界は、傍からでは見るに堪えないものがある。
かと言ってそれを壊してしまうのはより難しく思えて、ルドルフたち三人はほぼ同時にコーヒーを啜った。ようやく掃除し始めた使い魔を見て、机の上に残った数少ないクッキーを食む。
今しばらく、誰かが二人を止めなければならないと言う共通認識が生まれだした頃。
「フィクション然りですけど、こう言うのを見ていると、独身なことがとても悲しく頃えてくるのです」
「悲シイ悲シイ」
使い魔がパラレルに目薬を差し出すと、音の通りが良くなった窓の方から喧噪が届けられた。
それは惨事に対する野次馬と言うよりかは、何か明確な目的を持っているように思えた。大勢を引き連れて落とし物を探すような、路地の隙間を覗くような。例えば惨事の原因が笑うみたいに。
パラレルの呟きのおかげか良く届く喧噪のおかげか、少なくとも片方はこちらの世界に帰って来たらしい。
「そうそう、スペシアにね、言わなきゃいけないことがあるの」
まるで屋上に呼び出された学生のように、スペシアは息を呑んだ。
「こっそり抜け出すときにね、ちょっぴり大きな音が出ちゃったの。そのせいじゃないと思うんだけど、皆付いて来ちゃった」
その言葉の意するところは全員に伝わったはずだ。
「パラレル、アンタ何とかしなさいよ。名探偵なんでしょう」
「スペシア、そんな物言いはだめ。お願いする立場なんだから」
「でも」
「でもじゃない。子供みたいなこと言わないの」
「パラレル、アンタならわかるでしょ。私は既に依頼料を支払ったの」
「……お金を受け取ったなら依頼主には従うべきよ。断っちゃいけないなんてルールはないけれど、罰則の上限も決められていないもの」
恐ろしいジョークだ。
コントのような問答を見せられている間にも喧噪は近づいている。もしこのまま彼女たちが捕まるとどうなるのか。彼らが乱暴な手段に頼るとも限らないが、ジョークの通り罰則に上限はないのだ。
彼らが権力者なら、あるいは権力者の後ろ盾を持っているのなら、旅人なんかは簡単に捻り潰せる。
「二人ともが無理ならせめてシャーロットだけでも」
「それはだめよ。二人で逃げようって約束したじゃない」
「シャーロット――」
…………。
「只今、オ取込ミ中。マタ後日オ越シ下サイ」
何度も聞かされた言葉が今や別の誰かに向けられている。
沈黙。パラレルは考え込んで動かない。新しい来客に喜んでいなければ良いが。
「――工房の奥に細い隠し通路があります。そこに小さな懐中電灯があるでしょう、それを持って行って下さい。先を教えてくれるはずです。お二人もどうぞこの先へ。おそらく彼らにも干渉できない世界が広がっていることでしょう」
パラレルは扉を一つだけ挟んだ工房を見遣る。
そこはパラレルが普段使い魔の研究をしているところで、ルドルフも一度しか入ったことがない。前回は急いでいたし、きちんと許可を貰ったのは今回が初めてだ。
「一緒に居ては濡れ衣を着せられてしまいますよ」
パラレルはルドルフをじっと見つめて、まるで小さな子供を嗜めるように言う。
スペシアたちは既に工房へ身を隠して、ルドルフたちへ手招いていた。
「大丈夫よ。パラレルはそこらへんの探偵とは違うんだから」
「行こ、ルドルフ」
様々な疑問がとめどなく浮かんで、それらが言葉になる前に消える。どうして。
そんなことばかりを繰り返していれば頷くことしかできず、ノクターナに背中を押される形でその場をあとにする。どうして。
「彼をお願いします」
扉が完全に閉まり喧噪と別れを告げるその寸前。ノクターナにしか聞こえなかったその言葉は、ルドルフが聞けなかった全ての問への答えのように思えた。




