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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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出立1


 新年は大きな節目の一つだが、それを強く感じることもなく、月日は簡単に流れていった。


 近頃吹雪はきっぱり姿を見せなくなった。寒さが和らぐにはまだ時間がかかるだろうがそうも言ってられない。暖かい家庭はノクターナの心を着実に蝕むし、お荷物だという感覚は積もるばかり。

 そう思われていないのだろうが、大切なのは思われているかどうかではない。事実としてノクターナはこの家で何もできていなくて、それが嫌なのだ。


 知ってか知らずか、ルドルフがそろそろかなと呟いたのは数日前のこと。旅を始めてから一番長く滞在したこの国を出発する日が近づいていた。


「ノクターナさん、今大丈夫ですか?」


 某日、夜。


 そろそろ横になろうかと考えているとリリーが扉を叩いた。


「うん、起きてるよ」


 鍵を閉めていなかったのを思い出して、リリーを部屋に招き入れる。


「遅くにすみません。寝るところでしたか?」


「ううん。寒いからちょっと運動しようかと思って」


 もふもふのパジャマに身を包んだリリーをベッドに座らせる。お風呂から出たばかりらしく、髪は僅かに湿り首からタオルをかけている。


 ノクターナもその隣少し間を空けて座り、リリーが口を開くのを待つ。お菓子でもあれば良いのだが生憎都合良く備えてはいない。


「ノクターナさんは、二人はいつ国を出るんですか?」


 その質問を嫌に受け取ってしまうのは僕がささくれてるせいだ。


「僕は何も聞いていないから今すぐにってことにはならないだろうけど、どうして?」


 「いえ、気になっただけです。少し前にそんな話を耳にしましたから」


「……多分、そう遠くないと思うよ。寒いは寒いけど僕らがこの国に着いたのもこれくらいだったし、あまりのんびりしたくないから」


「そうですか……」


 城を追い出されたのはつい最近のようで、ルドルフとの旅は長いこと続けてきたように感じる。ルドルフとの旅をずっと続けたいと思わないではないが同時に、それ以上に帰りたいという気持ちが膨らんでいる。


「確か、遠く南の国から来たんでしたね」


「僕の故郷からね。彼には感謝してる」


 ルドルフが居なかったら野垂れ死んでいただろうから。


「この国はどうですか。好きになりましたか?」


「――?もともと嫌いじゃないよ。いろんな場所を旅してきて、一番長く居るからかもしれないけど、ここは寒いのに暖かい」


 あとご飯がおいしい。ひどいところは味気ない携帯食が最高級に思えたくらい。


 リリーと旅の話は何度かしていて一度喋ったことのある内容だったが、それを思い出すように思い出させるように、以前の会話をなぞる。

 次の問いに繋げるために。


「ノクターナさんは、ノクターナさんはまだ故郷に帰りたいですか?この国でいいやって思ってくれたりしませんでしたか?」


「……どういう意味?」


 それは随分と失礼な問いに思えた。


「兄さんがノクターナさんを本当に導いてくれるのでしょうか。口から出たでまかせだったりはしないんでしょうか」


「……それは僕も考えたけど、でも考えても無駄だって思って、本当だったら良いなって考えるようにした。僕は帰りたいから」


 旅を始めたばかりの頃、当時はそれ以外選択肢がないように思えて了承したけれど、不安になったことがあった。


 例えば下心だとか、ただの悪戯だとか、腹いせだとか。それを肯定する根拠と否定する根拠どっちもあった。わからなかった。

 判断材料が欲しくてルドルフに訪ねたことがあった。今後の具体的なプランだとか何故帰る方法を知っているのかだとか。


 ルドルフはまるで臭いものに蓋をするように答えなかった。はぐらかすのではなく答えてくれなかった。信じないのならそれで良さそうに。


 そして僕は自殺よりはマシな方を選んだんだ。それがはじまり。


「ノクターナさんは、もし私がノクターナさんを故郷に帰してあげられると言ったらどうしますか。それも兄さんよりずっと早く」


「それは……」


「私は兄さんにこの国を出て行って欲しくないんです。この家にずっと居て欲しいんです。ノクターナさんは兄さんを置いて行ってくれますか?」


 それは長年兄と離れ離れになっていたリリーの悲痛な叫びだった。


 一人で故郷に帰るのは考えもしなかった選択肢だ。隣にはルドルフが居るかそもそも帰れないかのどちらかだと考えていた。

 僕は故郷に帰りたい。それが確実に為せるの言うのは何と甘美な誘惑か。


「僕はたとえ一人でも帰りたいと思ってる」


 これは本当。


「でも、叶うならルドルフと帰りたい。彼の故郷はここだから帰るとは言わないかもだけど、僕は連れて行きたい。もちろんルドルフが嫌だって言わないならだけど」


 これは一部嘘。


 ルドルフに断わられても説得する。だめそうなら泣き落としだってする。城で学んだことの間違った使い方をしよう。一人で帰るのは最終手段だ。だって一度乗りかかった船だから。


 だって一人は寂しくて不安で、離れたくないと思ってしまったから。


 なのにこんな言い方をするのは、断られ難いと知っているから。断り難いとわかった上で、僕はこの言葉を選ぶ。僕はどうしようもなく自己中心的で卑怯な人間だから。


「――だったら勝負しましょう。期限は兄さんがどうするか選ぶまで。手段は問いません」


「いいよ、そうしよう」


 僕は小さく頷く。


 勝ち負けがどうであれそれで納得することは両者ないのだろうと思いながら。


◇◆◇


 それは朝早く。久々に暖かかった今朝は布団から出るのにさほど苦労せず、ルドルフはリビングにてくつろいでいた。


 朝早くから仕事のある一部使用人を除き、ほとんどはまだ眠っているようだ。砂糖を溶かしたホットミルクが食道を通る。毛布に包まり活字に目を通す。


「おはよう兄さん。今朝は早いんですね」


 そうしていると結構な時間が経っていたようで、同じくホットミルクを持ったリリーが隣に座ろうとしているところだった。


 ルドルフは本を閉じて少し寄る。


「最近はノクターナと仲良さそうだな」


 出会った頃は棘があったように思えたが、ある時からその色が見えなくなっている。


「そう見えますか?」


「ああ。違うのか?」


「そうでしょうか、そうかもしれません」


「煮え切らないな」


「少なくとも兄さんほどではないです」


 それは当然だ。月日が違うから。


 もし関係値が超えられることがあれば――、まあそれはそれで嬉しいのだけれど。依存先は多い方が良い。


「でもつい先日、約束したことがあるんです」


「約束?」


「約束。対決をしましょうって」


「そっか」


「興味なさそうですけど、兄さんにも関係あるんですよ」


 リリーはずっと正面を見て、目を合わせたくなさそうに話す。


 興味がないわけではない。あまり首を突っ込むべきじゃないと思ったからだ。

 対決とやらの内容が喧嘩ならいざ知らず、口調的にそうではないと見える。対決が仲を深める手段なのは少々疑問だが、同性の友達は大切だ。旅をしているのならより。


「……兄さんは、いつ頃この国を出ていくつもりですか?」


「一週間か、もう少し先か。安心しろ、餞別は置いて行ってやる」


 それから、リリーが対決について話すことはなかった。俺はあえて尋ねることもせず、視線を手元の小説に戻した。


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