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そしてまた、この地へ  作者: 朱殷


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魔法使いの矜持1


 それは十年ほど前のこと。


 十年という短い月日では現在とあまり変わりなく、街並みは同じような呼吸をしていた。


 ありふれた顔ぶれは幾何か若々しく憂鬱は少ない。あえて違うところを探すとするなら、国のトップが歳老いていることくらいだ。


 あるところに名の知れた一家があった。政府の重鎮に位置し多くの魔法使いを輩出している一家。貴族にしては珍しく権力争いに興味を示さず、それだけにつかみどころのない一家。


 そんな家に息子が産まれたのはかれこれ八年前のこと。名を――と言う。


 ――はその一家らしく、幼少の頃から魔法使いの才能を見せていた。同世代の者と比べれば光るものあり、大人たちと比べても遜色ないくらい。

 贔屓目なしに神童だと呼ばれることもあった。とは言え子供は子供で、彼を知っているのは両親と仲の良い人か情報通くらい。大きくなれば自然と注目されるだろうとその頃は考えられていた。


 しかし、その日が訪れることはなかった。おそらく今後も、話題にあがることはないのだろう。


 それは――が九歳の誕生日を迎える前日のこと。彼は失踪した。ただ独り忽然と。公的文書には行方不明のちに死亡とされている。


◇◆◇


 子供が失踪する数年前。先の王が病に臥せった。跡継ぎはまだ小さく世間に公表されてはいなかったが、国民の間にも噂話程度に留まれど不調が囁かれていた。先の王の影響力は凄まじく、故に上層部は気が気でない。


「早く次の王を決めなければ」


「まだ回復しないと決まったわけではない」


 はじめの頃はそんな調子だったが、病が長期化し助かる見込みはないと医者に宣告されれば、彼らがどうなるかは想像に難くない。権力争いだ。


 ある者は今の王を担ぎ上げ自らを摂政と名乗った。

 ある者は王政を廃し議会を立ち上げようと奮闘した。

 ある者は地位を欲し、ある者は誰かを推薦した。


 混沌。誰もが外を見なくなった。それでも表面上は一定の秩序が保たれていたが、見る人が見ればおかしさに気づく。


 戦争だ。まずは帝国の情勢にあおられた隣国が小競り合いを始め、火薬の音が響いた。草木は鉄を喰らい血の風が漂った。

 その頃、幼い今の王が先の王と国民の支持のもと類稀な手腕で国々をまとめ上げ、戦争は一か月も経たずひっそりと終幕を迎えた。


◇◆◇


「郵便でーす」


 早朝。外はまだ暗く夢の狭間を彷徨う頃。時間帯を気にしない配達員によってその書物は投函された。


「どうも、お疲れ様です」


 家に雇われたメイドの一人は不満を内に秘めながらカラフルな封筒を受け取る。


 それは家主に宛てられたものだった。丁寧に封がされ宛先だけが見えるようになっている。当然だが、勝手に開封してはなっらないものだ。メイドだって普段ならそんなこと考えもしない。


 けれど雇われて日が浅いメイドだったからだろうか。あまりに珍しい見てくれをしていたからだろうか。それとも、何か別の特別な理由があったのだろうか。今となっては知る由もない。


 メイドは跡を付けてしまわないようそっと指を滑らせ封を切る。過度な緊張とは裏腹にさしたる抵抗もなく紙切れはメイドの視界に入る。


「――――っ!」


 果たして何と書かれていたのだろうか。


 メイドは酷く動揺して長いスカートの裾に足を絡ませ、近くに飾られてあった花瓶を巻き込んで盛大に転んだ。


 花瓶の割れる音、メイドの叫び声。家中に響いた事故は、幼い息子とその妹を除くすべての人の耳に届き、そこに大集合した。


「大丈夫かしら?」


「お、奥様――」


「何があったの、その手に持っているものは?」


 母親はメイドと封筒を一瞥して顔を顰め、それに気づかぬまま訪ねる。端からすれば睨んでいるか責めているように見えただろう。


「その、申し訳ありません。勝手に封を開け、その拍子に花瓶を割ってしまいました。処分は受け入れます」


 隠すことなくメイドは端的に告げる。


「いいえ、大丈夫よ。それより怪我はない?立てる?」


「はい。ありがとうございます――」


 その対応に全員がほっとする。


 メイドは近くの同僚の手を借り、埃をはらう。花瓶の水で濡れてしまった制服は着替えないと今後に支障が出そうだ。比較的暖かい季節だが風邪を引きかねない。


「なら良いかったわ。それで、そんなに慌てて何が書かれてあったの?」


「そうでした!奥様見て下さい大変なんです」


 メイドは握ったままの封筒を渡そうとして気づく。入れ物は無事だが肝心の中身が濡れて破け、文字として体を成していなかった。


「随分と質の良い紙なのね」


 メイドは、全部を読めたわけではありませんが、と前置きして言う。


「坊ちゃんが、――様が戦争の戦力として招集されると」


「…………」


 ――・――の才能と知能を認め、小隊の指揮として戦争に赴くことが決定した。返信はしなくて良い。明日までに準備しておくこと。


 そして明日の日付と王家の印。間違いなく本物でまがい物だ。


「そう――わかったわ。馬車を準備して、彼女に会いに行く。それと配達員にお礼も忘れずにお願い。きっとすぐそこで待っているはずだから」


 子供を戦争に、ましてや指揮官にだなんて普通ありえないことだ。焦って迷って訝しんで当然のことなのに、テキパキとまるで事前に打ち合わせがされていたように、呆気に取られる暇もなく事が進む。


「ありがとう。受け取ってくれたのが貴女でよかったわ。これが正式に発効される前の今なら、まだ間に合う」


 メイドには何のことやらわからなかったが、とんでもないことが起こっていること、そして配達員がただの配達員でないことは理解できた。


◇◆◇


 薄暗い、等間隔に並べられた蝋燭だけが照らす部屋。唯一地上と繋がる扉は隙間なく閉ざされ、淀んだ空気は行き場を失う。


 妙な寒気と緊張感。埃っぽい臭いと何一つない空間。ここはとある貴族の地下室で、本来個人が所有してはならない儀式の間だ。


「対象は近くにいるのよね?」


「ええ。二人とも、待機させているわ」


 広い地下室にいるのは、初老の夫婦と貴族女性の三人だけ。ほとんどの使用人は出払っており、中でも信用の置ける使用人数人が扉を見張っているだけ。


 老婆は重く使い勝手の悪い儀式用の杖を用いて床に陣を描いていく。それは赤黒い特殊なインクで描かれ、蝋燭の火に」よって仄かに発光していた。


 老爺は陣の中心にてより大きく装飾品のついた杖を持ち、座禅を組んで瞑想する。


「最後に確認だけれど、本当に良いのかしら?」


「お願い。子供たちのためだなんて言わない。これは私のエゴなの」


 これから行われようとしているのは呪いだ。意図的に指向性を持たせた呪い。魔法の数段危険で難しくて強い、ほとんどの国において禁忌とされその存在すら隠匿されている呪い。


「ミスがあれば後遺症が残ることになる」


「承知の上よ」


 何度も繰り替えされたそんなやり取りは、母親の決意を揺るがすことはできない。当人たちは何も知らぬまま、事は進められるのだ。


「……男の子の方には一部記憶の削除と改変、魔法使用能力の剥奪、そしてこの国へ帰って来ることがないように。女の子には一部記憶の削除と改変を。あなた、おねがい」


 こくりと、老爺は静かに頷く。


 今日。世界から記憶と才能が失われた。


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