偽物の魔法使い1
帝国において、魔法使いは重宝される。
出自に関わらず魔法使いであれば帝国のもと上質な教育とある程度の未来が約束されている。魔法の才能だけで重役にまで上り詰めた者もいるくらいだ。
だから貧民街で一発逆転を目論む者や、将又家が傾きかけた貴族なんかは魔法使いだと嘘をつくことも少なくない。
魔法使いには魔法使いが見分けられるという有名な俗説があるがそれも絶対的なものではなく、故に嘘を見抜けない場合もある。
尤も、大体の場合はどこかしらのタイミングで気付かれ特殊警察のお世話になるのだが。
今回もその類の仕事になるだろうと考えていたリリーだったが、巻き込まれたのは少し変わった事件だった。
某日。リリー本が部からの招集を受けある地点へと向かっていると、道の半分異常を塞ぐような人集りを発見した。
玄関付近を中心に、大勢の人は一つの家をぐるっと囲んでいる。口々に困惑の声と好奇の眼差し、近くを通りかった人がいれば巻き込んで人集りを大きくしていく。
近付くとわかることなのだが、家主らしき人物はベランダにて、今にも飛び降りるのではと思われた。両手には嫌がって暴れる小さな男の子がいる。
別件があれど無視はできない。
「何があったんですか」
「あら、貴女どこかで――」
「気にしないで下さい、それよりも」
話しかけた女性は長い瞬きをする。
「彼のお子さん、隠してたんだけど、魔法使いだってお国に気付かれたんですって。可哀想に」
そう言って明後日の方向を見た。
可哀想だという言葉の意味がわからなくて問い質そうとしたけれど、それ以上話すつもりはないようだった。
「そんな高さから飛び降りても死ねないでしょうにね」
そういう問題ではないでしょう。
ベランダに立つ男は興奮していていまいち聞き取れなかったのだが、饒舌に語ってくれていたおかげで聞き込みをする時間が得られた。
「彼は最近爵位を貰ったんだが、まだ庶民の感覚が抜け切っていないらしい」
「変なオカルトや都市伝説を信じちゃったみたいなんです」
「巻き込まれた子供が可哀想だ」
「彼の行動も理解できるような気がする」
「自殺するくらいならわしに遺体を寄越さんか」
リリーは裏手へと回り人々を押し退け、高い塀を越える。
一階の窓は全て施錠されていて、けれど開けるのは難しくない。
「鍵開けの魔法」
泥棒御用達の魔法だ。
このくらい大きな家ならば魔法での解錠を知らせる機能が搭載されているはずだが、それを素通りする方法も存在するのだ。
若干の気持ち悪さと申し訳無さを抱きつつ土足で上がり込む。偶然階段にはすぐ近く、男の背後を取るのは容易い。
杖を取り出す。距離はあるけれど階段から一直線だ。コンマ数秒で狙いをつけて、呟く。
「人を眠らせる魔法」
男は背後に倒れ、同時に現れたクッションに身体を沈める。一瞬の沈黙のあと、蜘蛛の子を散らしたように離れていく人々の足音が響いた。
◇◆◇
「何名かこちらへ向かわせて下さい。はい、お願いします」
急激に静かになった辺りは、リリーの言葉を妙に反響させた。
一定間隔で上下する胸と寝息が二つ。人集りに耳が慣れてしまったせいで、耳鳴りがするくらい居心地が悪い。
当分は目覚めないだろう二人を前に、先の言動の意味を考えてしまう。
聴衆の言うことをどれだけ信用できるか判断しかねるが、その言葉を纏めるに息子を帝国に渡したくなかったのが一番の理由だろう。
望む理由はあれど拒む理由なんてないはずなのに。そう知られているはずなのに。
ふと、誰かの言葉を思い出す。
近々戦争が起こるかもしれない。
帝国は平和だ。圧倒的な軍事力があるから。帝国の軍事力の源は、無論人口と武具が多くを占めているけれど、少なくとも他国よりは魔法使いに頼っている。もしも戦争に帝国が巻き込まれたとき、それを危惧したのなら。
いや、そもそも民衆には知れ渡っておらず確証もない情報だ。帝国は平和だ。
「おーい」
ベランダの方だろうか、声がした。
時計を見る。連絡を入れてからは数分しか経っておらず来るにはまだ早い。折り返しの連絡もない。
「おそらくは来客なのでしょう」
騒ぎを知らないにしては違和感があるが、一先ずは無視を決め込むことにする。家主はお昼寝中なのだ。
「おーい」
その声量は大きく、しかし窓を閉めに行く訳にもいかない。
「ミスター?」
しつこく、敵のように。
「先日お約束しましたよね?」
やけに通る声質は人を呼び寄せる。興味本位、クレーム、目的は何であれ、先程ではないにしろ家の前に人集りができているのを感じた。
嫌なことに、この街の人は野次馬が大好きらしい。あまり騒がれては困る。
二人が眠っていることを再確認してベランダへと向かう。
いつしか見た光景と同じように、しかし今回は性別も違えば子供を抱えてもいない。
「ありゃ、お嬢さん、どなた?」
足音やらで想像していたよりも人集りはずっと小さかった。
まあ良いや。さてはて、どうしてやろうか。
威嚇して散らしても後処理はしてくれるだろう。眠らせると少し面倒、出てきてしまったので何もせず踵は返しにくい。
「私のことは良いでしょう。それより、何の用です?」
「言っただろう、約束があるんだって」
「私の記憶にはありません」
「……申し訳無いんだけど、ここはミスター・スワンの家で合ってるよね?」
「そのミスター・スワンが誰が存じ上げませんが、おそらく合ってると思います」
「おそらく――って何?まって、ほんとに意味がわかんないんだけど」
彼はその場で留まったまま頭を抱える。
どうしよう、面倒になってきた。人集りは少ないし散り始めてるし、彼も家主の許可なく押し入ってくるような常識のない人ではなさそう。
だったら応援が来るまで部屋で待っていよう。寒いし、窓とカーテンを閉め切って。
「あー、ちょっと、お嬢さん!待って、もう少しお話しない?」
話?
「お嬢さんかわいいよね、彼氏とか居たりしないの?」
「なんで貴方に言わないといけないのですか」
「あっ、そうそう、お嬢さん魔法も上手そうだ。トップ目指せるんじゃない?かわいくて強いなんて最強だ」
最強。私より兄さんの方がずっと――。
「あー、ちょっと!戻ろうとしないで!なんでわからないかなあ。次で最後だから、ね?」
「…………」
「……お嬢さん、特殊警察だよね。もしここで俺が市民を人質に取ったらどうする?」
それは、たとえ冗談だったとしても看過できる言葉ではなかった。
杖を取り出す、狙いを付ける。市民を巻き込む心配はなし、殺してしまわなければ四肢の一部くらい大丈夫。
ただ威力だけを高め続けたグリモワール家が得意とする魔法を。
「爆破しろ――」
「なーんてね」
彼が小馬鹿にするように舌を出した瞬間、彼とリリーを隔てるように――いや、リリーを中心に覆うように濃い煙が現れた。
目標を見失った魔法がすぐ近くで発動して毛先を焦がす。
「ケホッ……コホッ……」
煙が肺に入って喉がそれを拒む。粒子が瞳に触れて痛む。何も見えない。
威力を抑えた爆発をいくつか起こして煙を取り払い、視界を確保するのに要した時間僅か一秒未満。けれど――。
「やられた」
外には人っ子一人おらず。そして、室内で眠らせていたはずの二人は忽然と姿を消していた。




